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2024年01月27日08:39

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フィクションと現実(54) 戦前モダンの戦後文化への継承

 戦前の経済成長は戦後の昭和30年からの成長とつながった。経済白書が「もはや戦後は終わった」と宣言した年。戦後の10年間はどん底からの急回復だったが、昭和30年からは緩やかな成長線に戻ったわけである。
 日本の回復は朝鮮戦争のおかげだという説があるが、それは違う。明治以来の財閥会社は解体され、戦時中は技術担当の海軍将校だった盛田昭夫が町工場の主人と組んで新技術開発会社のソニーを起こしている。

 むろん得意分野だった造船業はいち早く回復したし、新しい溶鉱炉も福山(造船業は瀬戸内海で盛んだった)や内房の君津で建設され、軍事技術の民間転用で新製品も生産された。それで、アメリカへ洪水のような輸出が始まって大問題になっていたが。

 で、生産力を内需にも向けるために、アメリカの調査団が世界一の田舎町と宣告した東京を始め全国の都市に、で福山市も下水道敷設が始まった。
 戦前は「安かろう、悪かろう」だった日本製も、南極越冬隊長になった西堀栄三郎阪大教授などによる生産工程の改善で信用度も向上した。
 で、映画「未来へ帰るback to the future」では、タイムマシンを作ろうとする博士のもとへ未来から来た青年が、日本製の部品が最高ですと言って博士を驚かせた。

 戦前と戦後を繋ぐドラマも朝ドラにある。
 2011年後期のNHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」は岸和田のファッションデザイナーの母親と戦後に活躍した小篠3姉妹の物語。
 サントリーから独立したニッカ「まっさん」(国際結婚だった)の物語。
 そして、作曲家「古関裕而夫妻」の物語なども、戦後ドラマの主題歌「君の名は」の作曲家。
 戦後20年の頃に東京オリンピック(1964年昭和39)があって、茨城県北の山村からのおお集団就職物語もあった。「蒸発」が多かったのはあの頃か? 北朝鮮への拉致も多発していたようだが。
 その後、バブルはじけて20年という停滞があったが、どうやら抜け出しそうだし。

 私は終戦の年生まれなので、小学校の頃はまだ戦後の食糧難が残っていた。冷害に強く味も良いコシヒカリの育種はずっと後だった。
 これも大元は戦前、新潟県の試験場で育種された農林一号で、その後のすべてのイネの親品種になった。育成者の並河氏は自死してしまったが。期待が重荷になったらしい。


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