ウィキによれば、
浅草オペラは1917年にアメリカでダンサーをしていた高木徳子が浅草六区で上演したのが最初だとのこと。
関東大震災で一旦途絶えたが、榎本健一の劇団「カジノ・フォーリー」や古川ロッパの劇団「笑の王国」によって再興された。
パリの「ムーラン・ルージュ」の影響も受けていたようである。
田谷力蔵や藤原義江などが代表的テノールだった。
無論私は、この時代のことは分からないが、藤原義江のことは戦後の子供の頃にも有名だったし、女性歌手との関係もいろいろあったらしい。
しかし、浅草オペラの歌は戦後でも流行っていた。
「ベアトリ姐ちゃん」、作詞・小林愛雄、作曲フランツ・スッペのオペレッタの翻案
ベアトリ姐ちゃん まだねんねかい 鼻からチョーチンを出して
ねぼすけ姐ちゃん 何言ってるんだい ムニャムニャ寝言なんか言って
歌はトチチリチン トチチリチンツン 歌はトチチリチン トチチリチンツン
歌はぺロぺロぺン 歌はぺロぺロぺン さあ早く起きろよ
★ベアトリーチェと言えばダンテの恋人だが、目を覚ませという設定はゲーテ「目覚めよフリーデリケ夜を追い払え」を思い出すのだが?
スッペ作曲 オペレッタ「ボッカチオ」より
恋はやさしい 野辺(のべ)の花よ
夏の日のもとに 朽ちぬ花よ
熱い思いを 胸にこめて・・・
歌詞:コロッケの唄/作詞:益田太郎冠者
ワイフもらって 嬉しかったが
何時も出てくる 副食物(おかず)はコロッケ
今日もコロッケ 明日もコロッケ
これじゃ年がら年中コロッケ・・・
浅草オペラの熱心なファンをペラゴロ(オペラ・ゴロ)と呼んだのだそうである。
今東光、サトウ・ハチロー、高田保(「ぶらりひょうたん」エッセイスト、土浦の人)などが代表格で、彼らに続くのが宮沢賢治、小林秀雄、今日出美、徳川夢声、東郷青児(画家)、川端康成など。
賢治は花巻から通ったわけで、熱心度では一番かもしれない、「飢餓陣営」はその直接の影響だろうし、イーハトーブ童話集の時代を超えたハイカラさは東京のそれも浅草の影響が大きいに違いない。
川端康成は女性を描いた作家だと思うが、その一つに「浅草紅団」がある。幼い「伊豆の踊子」、少女の「浅草紅団」、成人女性の「雪国」、結婚した「山の音」、そしてに少女に戻って双子の「古都」である。
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