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2024年01月18日16:29

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フィクションと現実(48) タレントの意外な一面

 中村メイコ(1934昭和9年―2013令和5年)作曲家の神津善行と結婚1957年
 作家中村正常の娘だが、2歳くらいから七色の声が注目されて子役として人気を博した。
 ウィキによれば、16歳の頃雑誌社でアルバイトをしていた時(忙しいタレントの上にアルバイトとは不審だが??)に、吉行淳之介に恋をしたが、彼がすでに結婚していたために片思いに終わった。その後知り合った神津善行と結婚したとある。

 私が昔読んだ中村メイコの評伝を思い出したのだが、このウィキには重大な事件が欠落していた。
 メイコの活躍で父の正常は小説を書かなくなってしまい、一家の収入は子どものメイコの肩にかかることになってしまった。そのストレスに耐えていたのが、神津善行の歌唱指導のちょっとした齟齬などでかんしゃくを起こし(もっと口を開けてと注意されたので黙って口を開けていたら神津が驚いた顔をした)、葉山の海岸を真っすぐに沖へ泳ぎ出したというのである。しかし水泳の名手だった彼女は沈むことなく、翌早朝意識を失って浜辺に打ち上げられていた。発見者が愛犬の散歩に出ていた友人の徳川無声の娘さんだったことで、この事件は伏せられて、なかったことになった、とのこと。
 病院で意識を回復したメイコに医師から会いたい人がいるかと問われて、どういうわけか神津善行の名を告げていた(私も何で読んだか忘れた)。
 ただ、ウィキにある吉行淳之介との関係は書いてなかったので、知らなかったが、この失恋もかさなってのことだったのかもしれない。

 で、もうひとつは皇太子妃となった正田美智子さんとの関係である。メイコは作家の娘だけあって小説を読むだけでなく中原淳一の挿絵で有名になった少女雑誌「ひまわり」、「少女の友」に詩を投稿していたとのこと。同じ時期に同じ年の少女も投稿していてライバルのような関係になっていたのが「正田美智子」さんだが、後になって皇太子妃になった人だと気が付いたとのこと。

 中原淳一の画は、大きな目がきらきら光るという、後の少女マンガの原型のような感じだが、私が初めて見たのは本郷? あるいは上野の「弥生美術館」(「竹久夢二美術館と併設」、この近くで発見されたのが弥生式土器)に展示されていた雑誌だった。何回か見に行って、そこのレストランで昼飯を食べたことがある。

 ウィキによれば2009年12月21日には美智子皇后が来館し、「創刊100周年記念 日本で最も愛された少女雑誌『少女の友』展」を観覧したとのこと。


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