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2023年07月05日09:37

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浮世の謎(114) 高原へのあこがれの歌

 軽井沢は明治の初期に布教のために来日した牧師たちが避暑地として利用したのが始まりだとのこと。

 北原白秋「落葉松」1921年 信州星野温泉(軽井沢)
 「からまつの林を出でて からまつの林に入りぬ からまつの林に入りて また細く道はつづけり」

 続いて、水原秋櫻子「啄木鳥や落ち葉をいそぐ牧の木々」赤城山1928と堀辰雄の軽井沢。
 堀 辰雄「風立ちぬ」1936-38 軽井沢
 本来は肺結核の療養のために軽井沢に滞在していたのでサナトリゥム文学だが、ここでは高原の美も描いている。
 映画 宮崎駿監督「風立ちぬ」スタジオジブリ2013
 堀越二郎(1903-82)ゼロ戦とYS11の設計 堀辰雄(1904-53)
 堀越と堀は生年がほとんど同じで、大学も東大だが学部が違うので知り合いではなかったはず。宮崎は「風立ちぬ」で飛行機を連想したのだろう。

 立原道造「はじめてのものに」1937年 軽井沢追分宿で浅間山の噴火
 「ささやかな地異は そのかたみに 灰を降らした この村に」
 この詩の最後の行に、シュトルム「みずうみ インメンゼー」のヒロイン・エリザベートの夢を見たとある。イムメン湖も高原の湖に違いない。

 江間章子「夏の思い出」1949
 「夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 とおい空 ・・・水芭蕉の花が 咲いている 夢見て咲いている水のほとり」
 丘灯至夫作詞「高原列車は行く」1954
 「汽車の窓から ハンケチ振れば 牧場の乙女が 花束なげる」

 映画「あの丘超えて」1951年 共演・鶴田浩二 軽井沢
 (映画の内容は何も覚えていないが、15歳くらいのひばりが馬に乗って鶴田浩二か誰かを見送るシーンだけ。これがラストシーンだったと思う)

 軽井沢を嫌う人もいたらしいが。
 木下恵介監督「カルメン故郷に帰る」1951 
 人気ストリッパーのカルメン(高峰秀子)が故郷の軽井沢に凱旋した。軽井沢の原住民たちはしょせんストリッパーだと馬鹿にしながらもカルメンを取り巻いて芸術(ストリップ)を見せろと持ち上げる。監督の木下恵介は両者ともに皮肉りながら、小学生のフォークダンスに(根拠もなく)希望を託す。

 ということで、軽井沢を先頭にして高原ブランドが確立した。その流れに乗って高原野菜も売り出されたわけである。 


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