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2023年06月26日20:21

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浮世の謎(109) 日本人の美意識の形

 日本人の判断基準は(美しいか・美しくないか)だというのは明快な説だが、その美意識は歌や俳句で育てられたに違いない。

 季節の美 俳句
 水原秋櫻子「梨咲くと葛飾の野はとの曇り」(晩春 葛飾は空一面に曇る)
 「高嶺星蚕飼の村は寝しづまり」(蚕飼で春)
「啄木鳥や落ち葉をいそぐ牧の木々」(啄木鳥で秋)
 中村草田男「降る雪や明治は遠くなりにけり」
 「ショパン弾き了へたるままの露万朶」(秋)
 「万緑の中や吾子の歯生え初むる」(夏)
 森 澄雄「ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに」(ぼうたんは牡丹で初夏)
 有馬朗人「草餅を焼く天平の色に焼く」(草餅で仲春 天平の色は暗い黄緑色の瓦の色  「青丹よし奈良の都は咲く花の・・・」)
 「光堂より一筋の雪解水」(春)
 黒田杏子(ももこ)「十二支みな闇に逃げ込む走馬燈」(夏)・・もはや帰らぬノスタルジー

 抒情・叙景の美 和歌・短歌
 持統天皇「春過ぎて夏来るらし白妙の 衣ほしたり天の香具山」百人一首
 常陸の国の歌「筑波根に雪かも降らる否をかも 愛しき児ろが布乾さるかも」
 持統天皇と常陸の東歌はよく似ている。持統天皇は春雪の香具山を見て、もう夏が来たのか、衣を干しているとシャレたに違いない。

 東歌「多摩川にさらす手作りさらさらに 何そこの児のここだかなしき」
鴨川の西岸に浅い小川が作ってあって友禅染の長い反物をさらしていた。昔のことだが今もやっているのだろうか?

 山部赤人「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」
 駿河湾の田子の浦の沖からの光景。百人一首。
 北斎の「神奈川沖浪裏」は木更津から見て、真西の神奈川宿の向こうに見える富士山を描いたもの。
 見ている場所は違うようだが、江戸時代には百人一首はかなり普及していた。北斎は赤人の歌を絵にしたのではないだろうか。
 江戸時代にも日本の読み書き算盤能力(寺小屋)は高かったわけで、百人一首の遊びも読む練習になったのでないかと思う。

 蝉丸「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」百人一首
 逢坂山は東海道を琵琶湖南岸から京都へ抜ける途中の山で、昔は関所があった。今は、トンネルだが、東海道本線、新幹線、国道1号、名神高速道が狭いところを通る難所である。他は岩盤が硬くて、ここしかトンネルが掘れなかったとのこと。

 藤原定家「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」(松帆の浦は淡路島北端)百人一首
 
 世俗の人情 川柳・狂歌
 門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし(一休宗純作の説)

 歌よみは下手こそよけれ天地の 動き出してたまるものかは(宿屋飯盛)
 世の中は色と酒とが敵なり どふぞ敵にめぐりあいたい(大田南畝、別名四方赤良)
 白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき(大田南畝作の説)
 世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜も寝られず(大田南畝作の説)

 泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず(鯖江藩主・老中間部詮勝作の説)
 世の中に寝るほど楽はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く(読み人知らず)
 いつ見てもさてお若いと口々に ほめそやさるる年ぞくやしき(朱楽菅江あけら・かんこう)
 人の恋季はいつなりと猫とはゞ 面目もなし何とこたへん(横井也有)
 死にとうて死ぬにはあらねど御年には 御不足なしと人の言ふらん(手柄岡持)

(劒術によする祝)
 あせ水をながして習ふ劒術の やくにもたゝぬ御代ぞめでたき(もとの木網)

 愛想の よいをほれられたと思い(誹風柳多留)
 通り抜け 無用で通り抜けが知れ 藪蛇(誹風柳多留)
 役人の骨っぽいのは猪牙(ちょき)に乗せ(誹風柳多留)
 むつかしい顔をうっちゃる袖の下
 こらへかねこらへかねての短慮なり(浅野内匠頭?)
 神代にもだます工面は酒が入り(八岐大蛇?)
 本降りになって出て行く雨宿り

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