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2022年07月15日08:57

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日本の心142〜御聖断に込められた願い:昭和天皇5

 大東亜戦争末期の昭和20年8月9日、昭和天皇は、御前会議において、終戦の御聖断を下しました。『昭和天皇独白録』で、天皇は次のように述べています。
 「開戦の際、東条内閣の決定を私が裁可したのは立憲政治下における立憲君主としてやむを得ぬ事である。若(も)し己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、之(これ)は専制君主と何等異なる所はない。終戦の際は、然(しか)し乍(なが)ら、之とは事情を異にし。廟議(ちょうぎ)がまとまらず、鈴木総理は議論分裂のままその裁断を私に求めたのである。そこで私は、国家、民族のために私が是なりと信じる所に依(よっ)て、事を裁いたのである」(註 1)
当時、侍従長だった藤田尚徳(ひさのり)海軍大将は、天皇がその時の心中を次のように語ったと伝えています。
 「…その時には終戦か、戦争継続か、両論に分かれて対立し、議論が果てしもないので、鈴木(貫太郎、当時の首相)が最高戦争指導会議で、どちらに決すべきかと私に聞いた。ここに私は、誰の責任にも触れず、権限をも侵さないで、自由に私の意見を述べる機会を初めて与えられたのだ。だから、私は予(かね)て考えていた所信を述べて、戦争をやめるようにさせたのである。……この場合に私が裁決しなければ、事の結末はつかない。それで私は、この上、戦争を継続することの無理と、無理な戦争を強行することは皇国の滅亡を招くとの見地から、胸の張り裂ける想いをしつつも裁断を下した。これで戦争は終わった。…」(註 2)
 もしこの時、天皇が御聖断を下さなかったら、わが国はどうなっていたでしょうか。
 8月6日、広島に人類史上初めて、原子爆弾が投下されました。さらに9日には、長崎に2発目の原爆が投下されました。沖縄を既に手中に収めていた連合国軍は、9月の末か10月の初めには南九州に上陸する計画でした。ついで10月か11月には関東地方に上陸を敢行する計画も立てられていました。また、9日未明には、日ソ不可侵条約を一方的に破って、ソ連軍が雪崩のごとく満州や樺太に侵入してきました。終戦を急がなければ、ソ連軍は、北海道に侵攻し占領していたでしょう。やがては本州にも上陸したに違いありません。
 当時、軍部は徹底抗戦を主張していました。それゆえ、もし天皇がここで終戦を決断しなければ、軍部は本土決戦に臨んだでしょう。国民は「一億玉砕」という軍部とマスコミの扇動に操られていました。その戦いは、数十万、数百万の犠牲者を生んだに違いありません。さらに、国土は徹底的な破壊を受けたことでしょう。また恐らく日本は四分五裂の状態となり、連合国軍によって分割占領されて、南北朝鮮や東西ドイツのような分裂国家の悲惨を味わうことになったでしょう。最悪の場合には、日本という国自体が消滅していたかも知れません。 
 そのような悲劇を避けえたのは、ひとえに昭和天皇の御聖断によっているのです。「民の父母」である天皇以外に、この戦いを納められる人間は、他にいなかったのです。
 昭和天皇は、終戦を決断した時の心境を、次の歌に詠んでいます。

 爆撃に たふれゆく民の うへをおもひ
  いくさとめけり 身はいかならむとも

 身はいかに なるともいくさ とどめけり
  ただたふれゆく 民を思ひて

 自分の身はどうなっても、国民を救わなければならないーーこのような天皇の必死の思いによって、終戦の御聖断は下されたのです。
 御聖断に従って、わが国は8月10日にポツダム宣言の受諾を連合国に通告し、12日に回答が届きました。そこには「日本政府の形態は、日本国民の自由意思により決定されるべき」という一文がありました。天皇は14日に閣僚全員を召集し、御前会議が開かれました。
 陸軍大臣、参謀総長、軍令部総長らは、連合国の回答の主旨に疑いを持ちました。もし国体の護持、即ち天皇の地位の安泰という条件が受け入れられなければ、受諾できないと訴えました。ところが天皇は、静かに口を開くと、「国体問題についていろいろ危惧もあるということであるが、先方の回答文は悪意をもって書かれたものとは思えない。要は、国民全体の信念と覚悟の問題であると思う。そのまま、受諾してよいと考える」と述べました。この天皇の意思に従って、ポツダム宣言の受諾が決定されました。
 終戦について、天皇は自ら全国民に呼びかけたいと望み、マイクの前に立ちました。8月15日、玉音放送で、終戦の詔書が全国に放送されました。直接国民に呼びかける天皇の言葉に、全国の国民は泣き崩れました。一部には、なお抵抗を主張する人もありました。しかし、御聖断の主旨は、国内はもちろん、海外の戦地にいた軍人においても、守られました。天皇の呼びかけに従って、日本軍は静かに降伏し、国民が整然と行動しました。その姿は、世界の人々を驚かせました。
 昭和天皇は「国民全体の信念と覚悟」を信じていました。こうした天皇の下で、国民は敗戦という事実を受け容れ、苦難を乗り越え再起を図ることを誓ったのです。


(1)『昭和天皇独白録』(文春文庫)
(2)藤田尚徳著『侍従長の回想』(中公文庫)

 次回に続く。

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