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2022年05月22日07:53

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日本の心116〜新語「日本精神」を活用:芳賀矢一

〜〜〜〜〜〜〜〜〜 細川一彦著作集(CD)のご案内 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 拙著『人類を導く日本精神』の付属CDに、「ほそかわ・かずひこの<オピ
 ニオン・サイト」のデータを収納しました。その後、2年9か月ほどの間に、
 新たな掲示や一部修正を多く行いました。
 そこで、本年4月12日時点のデータを<確定版>としたCD−Rを作り
 ました。今後このサイトが閉鎖・消滅した後も、資料としてご利用いただけ
 ます。単行本にすると約30冊分になります。
 1枚400円です。枚数に限りがあります。申し込み期間は1か月限定
 (5月27日まで)です。
 申し込みを希望する方には、詳細をお伝えします。下記にご連絡下さい。
 fhoso@m8.dion.ne.jp

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■日本の心116〜新語「日本精神」を活用:芳賀矢一

 明治20年代に登場した「日本主義」は、その後、発展を続けます。そして、日本主義の思潮の中から、「日本精神」という言葉が登場します。明治になって、古来の「大和魂」「大和心」を、近代的に「国民精神」などと呼んでいたのに代わって、「日本精神」という新しい言葉が使われるようになったのです。
 「日本精神」という言葉を使った最初期の人物に、芳賀矢一がいます。芳賀は、明治後期の代表的な国文学者です。ドイツに留学して文献学の理論と方法を学び、国文学を近代的学問として樹立し、また国語政策にも尽力した人物です。
 芳賀は、明治40年(1907)に、『国民性十論』を著しました。これは留学経験を生かした文化史的な観点から、従来になく詳しい国民性論を展開したものでした。
 芳賀は、日本の国民性の特質として、次の10項目を挙げました。
 (1)忠君愛国、(2)祖先を崇び家名を重んず、(3)現世的実際的、(4)草木を愛し自然を喜ぶ、(5)楽天洒落、(6)淡白瀟洒、(7)繊麗繊巧、(8)清浄潔白、(9)礼節作法、(10)温和寛恕がそれです。
 そして、これらの項目の説明をしています。
 たとえば、(1)の「忠君愛国」では、日本国民の皇室に対する考えは、古今東西全く類例がないとして、皇室に対する忠義と愛国心を強調します。武家で養成された武士道精神が、明治以後は皇室に向かって捧げられることになったと述べています。(2)の「祖先を崇び家名を重んず」では、この性向は、もともと日本は神祇政治・宗族政治の国で、村の氏神、家の先祖、家名を重んじる伝統があるからだとします。このような具合に、各項目を展開し、最後の(10)「温和寛恕」については、当時、欧米に現れた「黄禍説」に関して、日本人は古来侵略的でなく異人種に寛容であると言い、また神話・童話などにも残酷な話は非常に少ないと述べています。
 芳賀『国民性十論』は、三宅雪嶺の『真善美日本人』(明治24年発行)以来の総合的な日本人論として、大きな反響を呼びました。本書が出た当時は、日露戦争(明治38年)、日英同盟、排日運動などが起こった時期でした。日本が国際社会に大きく登場したところで、日本人とは何かということが改めて自問される時だったのです。それゆえに本書は大きな注目をもって読まれたのです。
 芳賀は、明治45年(1912)には『日本人』を発表しました。その内容は、後の大正・昭和の日本論の骨格が、ほぼ出されていると考えられるものです。
 たとえば、第1章「すめらみこと」では、「すめらみこと」としての天皇を「現神(あきつかみ)」とする日本の国体を、国民性の政治的な土台と考えています。第2章「家」では、日本を「家族国家」と考え、その単位集団である家における家長に対する「孝」の念と、天皇に対する「忠」の心が、全く同じものだとします。第6章「同情」では、犠牲的精神が日本人の美質で、義侠とも呼ばれ、忠臣蔵はその象徴であるとします。第9章「国家」では、皇室に対する忠誠心が古代から変わらず、君と国とは一つであるとしています。そして結語では、教育勅語を引用しています。 
 芳賀が活躍していた明治45年頃から、「日本精神」という言葉が用いられ始めます。日本の「国民精神」という意味で、「日本精神」という新語が登場したのは、自然な展開でした。
 大正6年(1917)に芳賀は、ロンドンの日本協会で、「日本精神」を演目とする講演を行いました。その中で、芳賀は、武士道について触れ、次のように述べています。
 「勇猛にしてしかも謙遜、天皇と皇祖皇宗の神々の他には何物をも恐れない日本武人の本質は、遠い神代の昔から子々孫々に伝わったもので、鎌倉時代に始めて現れたものではない。もしそういう祖先の先例がなかったならば、武士道の発達は不可能であったに違いない。そうして後世の領主に対するあの熱烈な忠節は存在し得なかったと思う。たまたま後世の叙事詩や戯曲だけを読んだだけで、古代文学について何の知識も持たない人が、武士道の起源を中世の精神であるかの如く誤り伝えたのである」
 こうした芳賀の武士道の見方は、新奇なものではありません。幕末から明治を生きた剣豪・山岡鉄舟は、武士道を日本古来の日本人の道と説いていたからです。芳賀の見方は、鉄舟と根本において一致しています。彼らはともに、武士道に現れた日本精神を深く観察していたのです。
 芳賀は、明治20年代以降の日本主義を受け継ぎ、日本精神について、初めて本格的に、国際的な視野で総合的な考察を行いました。芳賀あたりから「日本精神」という用語が使用され、大正10年代には積極的に使われるようになっていきます。「日本精神」という言葉は、「世界の中の日本」を自覚した日本主義の思潮の中から、登場したのです。

参考資料
・三宅雪嶺・芳賀矢一著『日本人論』(冨山房百科文庫)

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神〜新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

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