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2022年05月08日08:39

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日本の心109〜東洋の理想と日本の目覚め:岡倉天心1

〜〜〜〜〜〜〜〜〜 細川一彦著作集(CD)のご案内 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 拙著『人類を導く日本精神』の付属CDに、「ほそかわ・かずひこの<オピ
 ニオン・サイト」のデータを収納しました。その後、2年9か月ほどの間に、
 新たな掲示や一部修正を多く行いました。
 そこで、本年4月12日時点のデータを<確定版>としたCD−Rを作り
 ました。今後このサイトが閉鎖・消滅した後も、資料としてご利用いただけ
 ます。単行本にすると約30冊分になります。
 1枚400円です。枚数に限りがあります。申し込み期間は1か月限定
 (5月27日まで)です。
 申し込みを希望する方には、詳細をお伝えします。下記にご連絡下さい。
 fhoso@m8.dion.ne.jp

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■日本の心109〜東洋の理想と日本の目覚め:岡倉天心1

 明治の日本主義と、そこから展開した日本精神論を振り返る時、これらと深いつながりのあるアジア主義にも目を向ける必要があります。そこで、忘れてならないのが、岡倉天心の存在です。
 明治37年(1904)3月のある日、アメリカの大都会ニューヨークを、ひげを生やした男が闊歩していました。羽織・袴に黒足袋・雪駄ばきです。2、3人の若者が物珍しげに寄ってきて、冷やかし半分にたずねました。
 「ジャパニーズ、チャイニーズ、ジャバニーズ、ウイッチ・ニーズ、アーユー?」(お前は日本人かシナ人か、それともジャワ人か?) 男はそれには答えず、こう切り返しました。「モンキー、ドンキー、ヤンキー、ウイッチ・キー、アーユー?」(お前は猿か、ロバか、それともアメリカ人か?) この男こそ、岡倉天心でした。

●アジアは一つ

 岡倉天心は、日本の美、東洋の理想を世界に伝えた美術思想家です。明治11年(1878)、天心の在学する東京開成学校(後の東京大学)に、アメリカ人教師がやってきました。フェノロサでした。彼は哲学を教えるかたわら、日本の美術の研究にのめりこんでいました。そして彼はやがて日本美術の復興を提唱していきます。彼との出会いが、天心の人生を変えました。フェノロサの研究を手伝った天心は、卒業後に文部省に入り、フェノロサとともに奈良・京都などの古美術調査を実施しました。その後、天心は東京美術学校(現東京芸大)の創設(1889)に係わり、同校の校長となります。しかし、その後失脚して同校を去ることになります(1898年3月)。そして同年10月、橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草らとともに日本美術院(現在の院展)を立ち上げました。彼らの目指したのは、伝統的な日本画に西洋的な手法を取り入れた新しい日本画の創造でした。
 しかし、日本美術院の経営はうまくいかず、明治34年(1901)天心は、失意のうちにインドに渡りました。そこで天心は、インドの文化の偉大さに感銘を受けました。また、後年世界的に有名になる詩人タゴールと出会い、意気投合しました。また、イギリスの支配下に置かれているインド人の苦悩と屈辱感を知りました。
 天心は、インドに旅立つ前に、ある英文の原稿を書き上げていました。それは日本の美術史を中心とした壮大な東洋文明論でした。インドから帰ると、天心はその原稿に手を加えて、明治36年(1903)、ロンドンで出版しました。それが『東洋の理想』です。
 『東洋の理想』は”Asia is one.”という有名な言葉で始まります。「アジアは一つである。ヒマラヤ山脈は、二つの強大な文明、すなわち、孔子の共同社会主義をもつ中国文明と、ヴェーダの個人主義をもつインド文明とを、ただ強調するためにのみ分かっている。しかし、この雪をいただく障壁さえも、究極普遍的なるものを求める愛の広いひろがりを、一瞬たりとも断ち切ることはできないのである。そして、この愛こそは、すべてのアジア民族に共通の思想的遣伝であり、かれらをして世界のすべての大宗教を生み出すことを得させ、また、特殊に留意し、人生の目的ではなくして手段をさがし出すことを好む地中海やバルト海沿岸の諸民族からかれらを区別するところのものである」と。
 天心は、アジア民族に共通する精神的な特質とは、「究極普遍的なものへの愛」だとします。その愛が、仏教・キリスト教・イスラムなどの世界的な大宗教を生み出したのだと。また天心が本書で展開する日本と東洋の美術史もまた、「究極普遍的なものへの愛」が生み出した美の歴史だともいえます。
 「究極普遍的なもの」、それは宇宙の理法とも、神、真理、生命の本源ともいえるでしょう。東洋アジア人、なかんずく私たち日本人は、アジアを一つに貫いてきた「究極普遍的なものへの愛」を今一度、燃やすべき時に立っているのではないでしょうか。
 日本主義・日本精神とともに、アジア主義に目を向けることは、「究極普遍的なもの」に対する日本人の思いを取り戻すことにもなっていくのです。

●東洋の理想

 さて、天心の名著『東洋の理想』(明治36年)は、「アジアは一つである」と始まりました。続く部分で、天心は、日本は「アジアの思想と文化を託す真の貯蔵庫」となっていると書きます。そして、「日本はアジア文明の博物館となっている。いや博物館以上のものである。何となれば、この民族のふしぎな天性は、この民族をして、古いものを失うことなしに新しいものを歓迎する生ける不二一元論(アドヴァイテイズム)の精神をもって、過去の諸理想のすべての面に意を留めさせているからである」と記します。そして、次のように述べています。「日本の芸術の歴史は、かくして、アジアの諸理想の歴史となるーー相ついで寄せてきた東方の思想の波のおのおのが、国民的意識にぶつかって砂に波跡を残して行った浜辺となるのである」と。
 こうして天心は、古代から近代にいたる日本美術の歴史の記述へと筆を進めます。そこで彼は、日本のみの美術史ではなく、日本に流れ込んだインド・シナ等の東洋の美術と宗教と思想の歴史を、全アジア的・国際的なスケールで描いています。
 そして結章で、天心は書き記します。「アジアの栄光は、…すべての人の胸に脈打つ平和の鼓動の中にある。帝王と田夫とを合一させる調和の中にある。あらゆる共感、あらゆる礼譲をその結果たらしめるところの、崇高な同心一体の直感の中にある」。しかし、今日、インドやシナ(清)は西洋列強の支配を受けている。日本もまた欧化の中で、堕落・破滅へと進んでいるのかも知れない。「今日、アジアのなすべき仕事は、アジア的様式を擁護し、回復する仕事となる。しかし、これをするためには、アジアみずからがまず、これらの様式の意識を確認し発達させなければならない。けだし、過去の影は未来の約束だからである。いかなる木も、種子の中にある力以上に偉大になることはできない。生命はつねに自己への回帰の中に存する」。こう天心は書いています。
 本書の末尾で、天心は、呼びかけます。「われわれは、暗黒(※西洋列強による征服・支配)を引き裂く稲妻の閃く剣を持っている。何となれば、恐ろしい静寂は破られなけれならず、新しい花が生い出てその美しい色で大地を覆うことができる前に、新しい生気の雨の滴がそれを清新にしなければならないからである。しかしその大いなる声が聞こえて来るのは、この民族の千古の道筋を通って、アジアそのものからでなければならない。内からの勝利か、それとも外からの強大な死か」と。
 本書『東洋の理想』において天心は、西洋近代の物質文明の弊害を克服する価値観として、東洋の精神文化のもつ価値観がいかに貴重かを世界に示そうとしました。近代以降、欧米に支配され虐げられたという点において、東洋は運命を共有していると天心は認識しました。欧米の支配下にあって自信を失っているアジア人の姿に天心は憤りました。そして、日本の美術に結晶したアジアの歴史を再発見することによって、精神的伝統を取り戻せ、自らの理想に向かって立ち上がれと、アジアの人々に、天心は訴えました。
 しかし、天心は武力をもって対抗せよと言ったのではありません。天心は、力によって異文明・他民族を侵略・支配・搾取し、自然をも征服して、ただ無限に富だけを追う西洋の姿勢を批判します。そして、アジアは、西洋と同じ道を行くのではなく、本来の平和的、自足的、調和的なものを追う伝統を復活させるべきだと訴えたのです。そして、世界平和の実現のためには、アジアのみでなく西洋諸国をも目覚めさせなくてはならないと、天心は考えたのです。
 こうした「東洋の理想」こそ、今日、私たちが掲げるべき目標といえるでしょう。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神〜新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

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