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2022年05月07日07:25

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国家論9〜国家と国家を超えるもの、宗教

〜〜〜〜〜〜〜〜〜 細川一彦著作集(CD)のご案内 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 拙著『人類を導く日本精神』の付属CDに、「ほそかわ・かずひこの<オピ
 ニオン・サイト」のデータを収納しました。その後、2年9か月ほどの間に、
 新たな掲示や一部修正を多く行いました。
 そこで、本年4月12日時点のデータを<確定版>としたCD−Rを作り
 ました。今後このサイトが閉鎖・消滅した後も、資料としてご利用いただけ
 ます。単行本にすると約30冊分になります。
 1枚400円です。枚数に限りがあります。申し込み期間は1か月限定
 (5月27日まで)です。
 申し込みを希望する方には、詳細をお伝えします。下記にご連絡下さい。
 fhoso@m8.dion.ne.jp

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■国家論9〜国家と国家を超えるもの、宗教

●国家と国家を超えるもの

 国家に対して、国家を超えるものが存在する。その一つとしてヨーロッパにおける広域的な共同体については、先に書いた。続いて述べたいのは、単に一地域的な組織ではなく、本質的に国家を超えるものについてである。超国家的な組織や思想・運動である。そのうち、最も重要なものが、宗教と資本である。また、国家と資本の関係から派生する問題として、グローバリズムがある。国家にとって、こうした国家を超えるものにどう対応するかは、大きな課題である。

◆国家と宗教

 宗教は国民を信仰を通じて統合したり、逆に分裂させたりする機能を持つ。国家にとって、宗教にどう対応するかは、歴史的に重要な課題である。
 宗教とは、人間や自然を超えた力や存在を信じ、それに関わる体験を共有する集団によって形成された信念と象徴の体系である。宗教の多くは、氏族的・部族的宗教や民族宗教だが、その中から特定の集団の範囲を超えて広がったものがある。民族や文化を超えた強い普及力を持つ宗教は、世界的に伝播し得る可能性を持つ。その水準に達した宗教は、世界宗教と呼ばれる。仏教、キリスト教、イスラーム教がその代表的なものである。これらの世界宗教は、国家の枠組みを超えた教義を説いている。
 ただし、世界宗教といえども、宗教がある国で活動する場合には、その国の政府の許可を要する。またその国の法律に従って活動しなければならない。政府は、宗教団体に規制をかけたり、禁止することが出来る。
 宗教と政治の関係については、拙著『超宗教の時代の宗教概論』に基本的なことを書いた。また国家と宗教の歴史については、拙稿「ユダヤ的価値観の超克〜新文明創造のために」「キリスト教の運命〜終末的完成か発展的解消か」等に詳述した。そこで、ここでは、国家論に関わることのみを簡単に書くことにする。
 フランスでは、18世紀後半の市民革命によって、カトリックを国教とすることが廃止され、いわゆる人権の一つとして信教の自由が保障された。その後、1905年に政教分離法が成立し、政教分離が制度化された。政教分離法は、国家が信教の自由を認める一方、いかなる宗教も国家が特別に公認・優遇・支援することはなく、また国家は公共秩序のためにその宗教活動を制限することができることを明記した。フランスの政教分離は、国家の非宗教性・宗教的中立性を意味するライシテ (laïcité) の原則に基づく。この原則は1946年の第四共和制憲法に規定された。以後、その原則がフランス憲法に引き継がれている。
 わが国では、一部の憲法学者が日本国憲法は国家と宗教の厳格な政教分離を定めたものだと解釈している。だが、フランスの例が近代国家の典型ではない。
 政教分離は、もともと政府とキリスト教の特定の教会(Church、教派)の分離を定めるものである。すなわち、国教を設けることを否定したり、特定の教会(教派)を政府が公認・優遇・支援することを禁じるものである。政教分離を定めている国は、わが国のほか、アメリカ合衆国、オーストラリア等である。ただし、政教分離といっても、国家と宗教の関係を全くなくすものではなく、それぞれの国家の伝統が維持されている。
 アメリカ合衆国は、緩やかな政教分離とする限定分離をとっている。国家行事では、しばしばユダヤ=キリスト教の儀式が行われる。大統領の宣誓においては、大統領が聖職者の介添えを得て、聖書に左手を載せて宣誓する。
 ヨーロッパには、歴史的にキリスト教の特定教派を国教としてきた国が多く、現在も政治と宗教が密接な関係を保っている国が少なくない。
 イギリスは、信教の自由を保障しつつ、英国国教会を国教とし、国王(女王)が国教会の首長を務めている。20世紀後半から国教の規定を止めた国が増えているが、今もデンマークは福音ルーテル派を、フィンランドはフィンランド福音ルター派教会とフィンランド正教会を国教としている。アイスランドもルーテル教会を国教に定めている。これらの国では、信教の自由を認めながら、特定の教会を国教に定め、その教会に対してのみ政府は保護・支援を行なっている。こうした国では当然、政治と宗教は切り離せない。
 それゆえ、国家と宗教の厳格分離は、国際標準では全くない。各国は自らの国の伝統に基づいて、国家と宗教のあり方を定めている。わが国においても、日本国憲法は、国家と宗教の関係を完全に断ち切るものではない。むしろ国民の多くは家族の葬儀や先祖の慰霊において、神道や仏教の伝統を尊重し6ており、葬儀や慰霊を国家行事として行う際、神道や仏教の伝統に則って行うことは、多くの国民感情にかなっている。
 今日、世界各地の近代国家は、信教の自由を何らかの形で保障しつつ、それぞれの国家の歴史・伝統を踏まえて、政治と宗教の関係を定めている。一つの宗教、一つの宗派しか認めない国は少ない。多くの国は、複数の宗教、複数の宗派を認めている。
 イランは、イスラーム教シーア派の大国で、シーア派のうちの十二イマーム派を国教とし、国民の90〜95%がその信者である。だが、スンナ派やスーフィーも5〜10%いる。また公式に認められた少数派としてキリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教の信者もいる。
 中国は、唯物論的共産主義の国だが、仏教・道教・キリスト教等の活動を認めている。ただし、共産党に忠誠を誓う団体だけとし、厳しい統制下に置いている。しかし、その中国と言えども、政府は宗教を完全に支配下に置くことはできない。キリスト教の非公認の地下教会が信奉者を増やしている。
 国家は、宗教の独自性を認めつつ、国内の宗教団体が国家の維持・発展に寄与するように指導や支援を行うべきである。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神〜新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

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