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2022年03月31日08:51

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日本の心88〜坂本龍馬に見る武士道と日本精神

 幕末の志士たちは、日本の国柄や歴史を学んで、そこに現れている日本精神を体して、西洋列強による支配の危機に立ち向かいました。幕藩体制を打破し、明治維新を成し遂げ、天皇を中心とする近代国家を建設しました。
 幕末・維新の志士たちの中で、日本精神をもっともよく体現しているのは、吉田松陰と西郷隆盛です。彼らに比べると、坂本龍馬に関して、日本精神が論じられることは少ないです。だが、吉田松陰と西郷隆盛がいかに偉大な人物だったとしても、松陰の弟子・桂小五郎はなお長州という藩の枠を出ることが出来ず、南洲においては彼自身が薩摩という枠を破ることが出来ずにいました。そうした彼らに藩という枠を超えて、日本という国に立ってものを考え、行動するように啓発したのは、坂本龍馬でした。龍馬の仲介によって、それまで角逐・怨恨のあった薩長が同盟を結びました。薩長同盟は、日本という国の改革のために、徳川幕府を倒す推進力となりました。そうした薩長同盟を実現した坂本龍馬は、幕末において、最も早く真に日本という国を意識した精神を持つに至った日本人ということが出来るでしょう。
 幕末における決定的な転換点は、大政奉還でした。第15代征夷大将軍・徳川慶喜が、朝廷に政権を返上したものです。大政奉還は、わが国の統治権が天皇に所属するものであることを明確にしました。約260年続いた徳川幕府は天皇から統治を委任されていたのであって、慶喜は委任されていた統治を天皇に戻したのです。この大政奉還のもとになったのは、坂本龍馬の「船中八策」でした。龍馬は、わが国の国柄をよく理解し、幕府から朝廷への権力の移譲を行う具体的な改革案を打ち出しました。それによって、天皇を中心とした日本という国を目指すべきことが鮮明に示されたのです。

 龍馬は、慶応3年(1867)6月9日、薩長による討幕を推し進め、天皇を中心とする新国家を創ろうと奔走しました。そして、長崎より京都へ向かう船中で、新しい国の体制案を記した。それが「船中八策」です。

一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出ずべきこと。
一、上下議政局を設け、議員を置き、万機を参賛せしめ、万機よろしく公論に決すべき事。
一、有材の公卿・諸侯および天下の人材を顧問に備え、官爵を賜ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべき事。
一、外国の交際広く公議をとり、新たに至当の規約を立つべき事。
一、古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべき事。
一、海軍よろしく拡張すべき事。
一、御親兵を置き帝都を守衛せしむべき事。
一、金銀物価よろしく外国と平均の法を設くべき事。

 第一の「天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出ずべきこと」とは、大政奉還です。第二の後半に「万機よろしく公論に決すべき事」とあります。この主旨は、議会の開設を説くもので、五箇条の御誓文の「万機公論に決すべし」に生かされます。
 龍馬は、「船中八策」を書いた約5か月後、11月15日に、京都・近江屋で暗殺されてしまいます。

 「船中八策」は、すべて龍馬の独創というわけではありませんでした。横井小楠が松平春嶽に出した幕政改革の方針、「国是七条」の影響を強く受けています。他にも勝海舟、大久保一翁らの影響も指摘されます。龍馬は、多くの優れた改革案に耳を傾けて吸収し、総合し、さらにそれを具体化したのです。
 龍馬は当初、倒幕論でしたが、途中から公議政体論に変わりました。「船中八策」は、大政奉還によって朝廷に権力を集中したうえで、議会政治を実現するものであり、徳川慶喜を含む大同団結を図る案でした。薩長が倒幕の密勅を得た同じ日に政権返上が実現したため、薩長はこれに反発し、武力による倒幕に突き進みました。そのため、龍馬の構想とは違う方向に進みました。戊辰戦争の流血を経て政権を確立した明治政府は、徳川家を絶滅させるのではなく、徳川慶喜の復権をし、徳川家は華族に列せられ、皇室との親族関係も維持しました。私はこれもまた日本精神の現れと見ていますが、倒幕維新の過程における武闘が弊害を残したことも否定できません。33歳で暗殺された龍馬が生きて、改革に活躍していれば、もっと大きな団結の道が開かれたかもしれません。
 ところで、龍馬については、トマス・グラバーとの関係が注目されます。グラバーは、イギリスのロスチャイルド家の系統のジャーディン・マセソン商会長崎代理人でした。グラバーは、幕末の日本に来て、各藩とのつながりを作り、討幕運動を支援し、日本の近代化を促進しました。イギリスはインドを植民地化し、シナの清朝を反植民地にしていました。次は、日本が対象でした。グラバーは、日本をイギリスの支配下に置く工作を担っていたものと見られます。フリーメイソンとの関係も指摘されます。龍馬はそのグラバーと親しく交わり、通商をしました。こうしたことから、龍馬は外国人に操られ、列強の日本支配の手先となっていたという見方があります。
 私は、その見方は一面的だと思います。龍馬は、私利私欲で動くシナの買弁とは異なります。売国奴ではありません。彼は、優れた相手の知恵に学び、相手に操られているように動きながら、逆に相手の力を借りて、それを利用するしたたかさを持っていたのだと思います。そうして日本の独立と発展を実現しようとしたのが、龍馬だと私は見ています。彼が自分個人の富を追い求める人間でしたら、イギリス資本、国際銀行家の手先になったでしょう。だが、彼は私を超えて公に尽す武士道の精神を持ち、天皇を崇敬し、祖国を愛する日本人だったのです。
 龍馬だけでなく、幕末・維新期の日本人の指導者たちは、イギリス・フランス・アメリカ等から進んだ技術や豊富な資金の提供を受けながらも、日本を列強の植民地にさせることなく、独立と発展を実現するために努力しまた。薩摩出身の大久保利通や五代友厚も、土佐出身の岩崎弥太郎も、長州出身の伊藤博文も、幕臣だった渋沢栄一も、そのように努力しました。
 「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」という諺がありますが、このきわどい捨て身の活動を初めに行ったのが、坂本龍馬だったということが出来ます。これもまた龍馬が藩という枠を出て、日本という国に立ってものを考え、天皇を中心とした国柄と歴史を持つ日本を守り抜き、列強に支配されることなく、逆に列強に伍する国を作るという誇りと気概を持っていたからでしょう。19世紀のインドやシナには、こういう愛国者がいませんでした。それがインドやシナと日本の運命を分けたと私は思います。そこに現れているものこそ、武士道でもあり、また日本精神でもあるのです。

参考資料
・飛鳥井雅道著『坂本龍馬』(講談社学術文庫)
・童門冬二著『坂本龍馬の人間学』(講談社文庫)
・マリアス・ジャンセン著『坂本龍馬と明治維新』(時事通信出版局)
・加持将一著『あやつられた龍馬 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメイソン』(祥伝社)

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

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