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2022年02月28日11:13

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民主対専制37〜日本文明の伝統の再評価を

●日本文明の伝統の再評価を

 日本が家族国家として保つ伝統は、近代西洋文明が押し寄せて来た19世紀後半において、鮮やかな形で表れた。明治維新の際に、1868年(明治元年)に明治天皇が発した五箇条の御誓文は、その伝統に基づくものだった。第1条にて「広く会議を興し、万機公論に決すべし」、第2条にて「上下心を一にして、盛に経綸を行うべし」等と、天皇は神々や祖先に誓った。その根底には、近代西欧で発達した民主主義とは異なる日本古来の考え方があり、これを近代西欧の概念で言えば、日本的な民主主義(デモクラシー)と呼ぶことができる。
 大東亜戦争の敗戦後、昭和天皇は、1946年(昭和21年)1月、一般に「人間宣言」と称される「新日本建設に関する詔書」を発した。1977年(昭和52年)8月23日、天皇は、その詔書の真意について記者団に語った。
 「民主主義を採用したのは、明治大帝が思召しである。しかも神に誓われた。そうして『五箇条御誓文』を発して、それがもとになって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないことを示す必要が大いにあったと思います」
 ここにいう「民主主義」は、統治者が国民を大切にする、国民の幸福を政治の根本に置くという意味だろう。民衆の政治参加の権利より、政治の目的を明らかにするものである。それが日本的な民主主義であり、かつては「民本主義」という訳語で表現されたデモクラシーである。日本的なデモクラシーは、天皇が国民を「おおみかたら」と呼び、その後の天皇の多くが国民に「仁」の徳を及ぼそうと努めてきた伝統に根ざすものである。
 明治天皇は、近代日本の創始にあたり、こうした伝統に基づく日本的な民主主義をあらためて国の基礎にすえた。1889年(明治22年)にアジアで初めての憲法が公布され、1890年(明治23年)に帝国議会が開設されたのは、単なる欧米の制度の摂取ではなく、五箇条の御誓文が示した方針の具体化である。そして、昭和天皇は、敗戦からの復興を図るにあたり、五箇条の御誓文における明治天皇の考えを継承・実行しようとしたのである。
 昭和天皇は、「新日本建設に関する詔書」を発した26年後の1972年(昭和47年)に次のように語っている。
 「昔から国民の信頼によって万世一系を保ってきたのであり、皇室もまた国民を我が子と考えられてきました。それが皇室の伝統であります」(ニューヨーク・タイムス、ザルツバーガー記者との単独会見)
 国民を「我が子」と考えるとは、天皇が家族国家の中心としての自覚をもって「民の父母」であろうと努めることである。そして、天皇と国民の間の親子のような結びつきこそ、わが国の国柄のもとにあるものであり、戦後日本の民主主義はそうした国柄の上に花開いたものだった。決して何もないところに外から植え付けられたものではない。
 戦後日本では、現行憲法にて主権在民が打ち出され、天皇は日本国の象徴及び日本国民統合の象徴と規定されている。この体制は、君主制の民主主義であり、より正確に言えば、君民共治の民主主義である。天皇は、政治に係る権能を持たないが、象徴としての徳を求められる。そこには、わが国の長い伝統が現れている。
 私は、現代の世界において、力ではなく徳によって統治することをよしとするシナ文明の政治の理想及び日本文明におけるその実現を、再評価すべきと考える。徳による統治では、指導者に高い道徳性が求められる。近代西洋文明とその影響下にある諸文明では、政治と道徳の関係を抜きにして政治の制度を論じることが一般的である。だが、政治と道徳は決して切り離すことが出来ない。民主主義にせよ、専制主義にせよ、指導者は道徳心を持たねばならない。道徳心を欠いた指導者は民主主義を腐敗させ、専制主義を苛烈なものとする。21世紀の現在、民主主義と専制主義を比較検討し、またそれらの歴史を振り返ったうえで、あらためて日本文明の伝統を再評価すべきである。

 次回に続く。

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