民主対専制３６〜皇室を中心とした公共の精神

●皇室を中心とした公共の精神

　わが国は、１５世紀半ばの応仁の乱より後、約百年の間、戦国時代となり、国としての統一を失った。その分裂状態から、再び統一を取り戻したのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の活躍による。信長は、統一には統一の核となる中心が必要と考え、その中心は天皇でなければならないと看破した。信長の遺志を受け継いだ秀吉は、天皇の権威を奉じて日本の再統一を完成した。家康もまた朝廷を滅ぼしたり自ら皇位を狙ったりすることなく、幕藩体制を安定させるために、朝廷の権威を裏づけとした。
　家康は、儒教を大成した朱子学を公認教学とした。教学の中心となった林家の祖・林羅山は、家康に対し「天下は一人の天下にあらず、天下は天下の天下なり」という思想を伝えた。為政者は国家を私物とし、ほしいままにしてはならない、天意に従って天下万民の安寧のために努めねばならないというのである。この「天下は……」の語句は、常に家康の胸中にあったものであり、江戸時代の政治思想の要となった。
　江戸前期の儒学者・山鹿素行は、次のように述べている。「人君というものは、天下万民のためにその頂点を立てたものであって、人君はその地位を自分自身のためのものと考えてはならない。（略）それ故に、民が集まって君主が立てられ、君主が立って国が成立するのだから、民は国の本と言うべきである」（『山鹿語録』）と。
　「人君」つまり君主は、天の意思によって天下万民のために立てられたものだ。民が集まって君主が立てられ、君主が立って国が成立するのだから、民は「国の本」と言うべきであるという思想は、日本的デモクラシー、民本主義とも言うべきものである。
　江戸時代中期に１７歳の若さで米沢藩主となった上杉鷹山は、深刻な財政難に陥っていた藩の復興に取り組むにあたり、次の和歌を詠んだ。

　受次（うけつぎ）て　国の司（つかさ）の　身となれば
　　忘るまじくは　民の父母

　君主というものは「民の父母」のようでなくてはならないと考え、親が子を思う心をもって、領民のことを思い、国を立て直そうとしたのである。奇蹟的な大改革を成し遂げた鷹山は、３５歳の若さで治広に家督を譲った。その時、治広に贈ったのが「伝国の辞」である。

一、国家は先祖より子孫へ伝候国家にして、我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にて、我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立ちたる君にて、君の為に立てる国家人民にはこれ無く候

　この言葉は、現代のデモクラシーの精神にも通じるものである。統治の形態としては専制主義だが、人民のための政治を行う民本主義的な専制主義である。
　上記のような江戸時代の政治道徳は公共の精神に貫かれたものであり、古来、日本皇室に受け継がれて来た精神の影響を受けたものだった。こういうことが可能になったのは、日本が家族国家であり続けたからといえよう。
　幕末に欧米列強が開国を迫って来た時、わが国では、日本の歴史・伝統・国柄を踏まえた尊皇思想が高揚した。徳川幕府の第１５代将軍・徳川慶喜は、政権を朝廷に返上する大政奉還を行った。それによって、天皇を中心として国民が団結して国難を乗り越える道が開かれた。
　ここで１６世紀半ば頃から１９世紀半ば頃までの日本文明と西洋文明を比較すると、日本文明では、天皇の権威のもとに戦国の乱世が統一され、徳川幕府のもとに約２６０年の間、世界史にもまれな戦争のない長い平和の時代が実現した。その中で、古来の政治の理想を追求する思想が発達した。一方、西洋文明では、ローマ法王も神聖ローマ皇帝も統一の権威足り得ず、戦争と革命が繰り広げられた。ドイツ３０年戦争、イギリス市民革命、英蘭戦争、英仏植民地戦争、アメリカ独立戦争、フランス市民革命、ナポレオン戦争、アメリカ南北戦争、二月革命等である。西洋文明では、こうした戦争と革命の中で自由主義的民主主義が発達したわけだが、流血と破壊の中で発達した制度や思想を最高のものと考えるのは、安易である。われわれは、古代から一貫して政治の理想を追求し続けてきた日本文明の伝統にしっかり目を向け、その伝統に現れている精神を現代に生かすべきだろう。

　次回に続く。

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