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2022年02月20日09:55

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民主対専制33〜政治と道徳、権力、指導者、欲望

6.政治と道徳

●政治とは何か
 
 本稿は、これまで「民主主義対専制主義」という対立構図の検討を行ってきた。最後の章では、これまで書いてきたことを踏まえて、政治と道徳の問題について述べたい。
 民主主義と専制主義の違いは、政治参加の権利の所有者と集団の意思決定の仕方にある。集団のうちの一人または少数者が政治参加の権利を占有し、一人または少数者が集団の意思を決定する制度・体制が、専制主義(autocracy、オートクラシー)であり、集団のうちの多数者が政治参加の権利を保有し、多数の合議によって集団の意思を決定する制度・体制が、民主主義(democracy、デモクラシー)である。
 民主主義と専制主義のどちらの仕組みにも共通する問題がある。それは、政治と道徳の問題である。そこで次にこの問題について述べたい。
 政治とは何か。政治とは、人間の集団が共同生活をするために必要な意思決定を行う営みである。政治は、基本的には国家における意思決定の過程についていうが、国家以外の集団や国際社会についても使われる。歴史的には、古代の国家が形成される前から、氏族や部族の共同体でも政治は行われた。今日一般的になっている国民国家(nation-state)が近代西欧で誕生する以前の古代的・中世的な社会でも、政治は行われた。国家の枠組みを超えた宗教や広域組織でも、政治は行われている。
 政治において決定される事項は、政策と呼ばれる。政治とは政策決定の過程であり、より広く言えば集団の意思決定の過程である。この意思決定の過程に、一人または少数者のみが参加する制度・体制が専制主義であり、多数者が参加する制度・体制が民主主義である。
 専制主義的な集団であれ、民主主義的な集団であれ、意思決定の過程を導き、また決定した意思を実現するには、指導者が必要である。指導者には、部族の長、王、君主のような多くは世襲的な身分に基づく者や、その地位を奪ったり譲られたりした者、指名や選挙で選ばれて役職に就いた者などがある。また、集団には、指導者以外の構成員が存在する。指導者以外の構成員には、身分的な集団、階級的な集団がある。本稿では、これを指導者を中心とする指導層と民衆とに分ける。政治とは、指導者・指導層及び民衆の間の意思の合成の過程である。大まかに言えば、専制主義は、指導者・指導層と民衆の意思交通が一方向的であり、民主主義は双方向的である。一方向的であれ双方向的であれ、政治は意思決定によって意思の合成としての権力を生み出す。その権力の働きが集団の行動として現れる。

●権力と指導者

 権力は、力(power)の概念に基づく。ここでいう力は人間の能力である。また、勢力・影響力・説得力などと同様、社会的な力の一種である。社会的な力としての権力は、集団の意思が合成された意思であり、また個々人に意思を強制する意思である。マックス・ウェーバーの定義によると、社会的な力(Macht)とは「ある社会関係の内部で、抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性」である。こうした社会的な力としての権力は、狭義においては制度化された強制力を意味し、特に国家(政府)の持つ強制力すなわち政治権力、国家権力と同義に用いられる。政治的・国家的な権力は、多くの場合、軍事力・警察力等の物理的な強制力を伴う。
 権力は、意思の合成によって生み出される力である。そこに生まれるのが、権力関係である。権力関係は、個人または集団の間の力関係であり、力の優る方が劣る方を従わせる。優る側の道徳性が高ければ、劣る側への配慮がされる。逆に、道徳性が低ければ、劣る側は奴隷状態に置かれる。劣る側の力が強ければ、優る側に譲歩をさせられる。逆に、力が弱ければ、圧倒される。こうした権力関係が、法律や慣習を無視した力と力の直接的なぶつかり合いになる時は、圧政、内乱、革命等になる。
 一人または少数の集団が権力を掌握する専制主義的な社会では、最高指導者の下に特権集団が構成される。王の一族や親族、王と連合を結ぶ貴族、王に仕える高級官僚や大商人・銀行家、共産党の書記長に忠誠を誓う幹部などが、特権集団となる。多数者が政治に参加し、権力に与る民主主義的な社会でも、特権的な集団は生じ得る。指導者及び指導層は民衆から託された権力を利用して、自らの富を増大したり、そのために役立つ者を重用したりする。指導者・指導層の親族・友人や高級官僚、大商人・銀行家等が特権集団と化し、さらに世襲化する傾向がある。

●権力者と欲望

 どのような政治体制においても、権力を持ち、これを振う者、すなわち権力者は、強大な権力を握ることにより、自らの欲望を追求するようになりやすい。人間の欲望には、様々なものがある。飲食に関する欲望欲、性愛や快楽に関する欲望、睡眠や怠惰に関する欲望、金銭や財宝に関する欲望、権力や名誉に関する欲望等である。とりわけ権力欲は、権力の拡大を求めてとめどなく膨らむ。権力者は人民や領土等への支配の範囲を広げ、支配の度合いを強めようとする。
 こうした権力者の欲望をどのようにして規制するか。それは、古代からの人類の課題である。
 古代においては、宗教家や哲学者が政治の理想を掲げ、権力者に対して為政者に必要なあり方を説いた。だが、権力者がそれに従って努力しようとしなかったり、精神的な基盤となる宗教や道徳思想が権威を失ったりすると、権力者への歯止めがなくなる。権力者は、自身を神格化し、絶対化しようとさえする。
 宗教や道徳は、自制を求めるものゆえ、自制心を欠く権力者の行動を規制することは出来ない。そこで、約束や法律によって規制する方法が出現した。近代西欧ではそれが憲法となり、独裁を防ぐための様々な法的規制となった。道徳では抑制できない欲望は、法によって規制し、それに違反すれば、制裁を科すという仕組みである。
 現代において政治家に求められるものは、法的な決まりを守ることであり、指導者としての道徳性は期待されなくなっている。しかし、これは本来の政治のあり方から外れている。政治とは、人間の集団が共同生活をするために必要な意思決定を行う営みであり、その目的は集団を構成する人々の幸福や繁栄である。それゆえ、政治と道徳は切り離すことができない。

 次回に続く。

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