mixiユーザー(id:525191)

2022年02月18日09:07

68 view

民主対専制32〜心霊論的人間観の確立を

●心霊論的人間観の確立を

 自由主義的民主主義(リベラル・デモクラシー)についての考え方にも変化が起こっている。今日の欧米において、リベラル・デモクラシーは、価値の相対化と自由の選好化を推進する制度・思想に変化しつつある。
 リベラル・デモクラシーは、自由主義(リベラリズム)の思想に基づく。自由主義の思想は、17世紀イギリスのロック、18世紀フランスのルソー、ドイツのカント、19世紀イギリスのJ・S・ミル等が発達させた。だが、自由主義は、決して哲学的に確立された思想ではない。自由主義に関する現代の代表的な論者であるジョン・ロールズは、1970年代に最初、人生の価値や人格の理想を説くカント的な「包括的な自由主義」の理論を打ち立てようとした。だが、途中から政治の分野に取り組みを限る「政治的自由主義」を標榜した。政治的自由主義は、思想・信条、宗教・宗派等の違いに関わらず、「重なり合う合意」を目指す理論的な枠組みである。そのロールズに向けて、自由に対する平等、個人に対する社会、権利に対する目的等の重要性を主張する立場から批判が上がり、活発な議論がされてきた。その議論は一向に収束していない。むしろこの間、欧米における自由主義は、価値を相対的なものとし、自由を個人の選好ととらえる傾向が強まっている。
リベラル・デモクラシーは自由主義の思想に基づくものゆえ、この社会的傾向の中で、価値の相対化と自由の選好化を推進する制度・思想に変化しつつある。この変化は、統一性の追求より多様性の肯定に向かう。多文化主義、LGBTQの権利拡大等は、この表れである。こうした変化を示す今日の欧米のリベラル・デモクラシーは、人類の諸文明・諸宗教が収斂すべき一個の終着点とはなり得ない。むしろ価値観の拡散に向かう可能性が高い。(註6)
 私はこうした数々の動向を見て、人類は家族型的な価値観を超えるものを見出し、そこに達しないと、現在の対立・抗争を解決することができないと考える。これまでの自由主義に関する議論は、トッドの家族人類学が明らかにしたものの重要性をよく認識していない。
 人間は、家庭において、成長とともにその家族型の価値観を身につけていく。ここで重要なのが、宗教である。人が人生で出会う宗教は、その宗教の生まれた社会の家族型的価値観の影響を受けている。キリスト教のカトリック、プロテスタント、東方正教にしても、またイスラーム教、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道等にしても、家族型的価値観を抜け出たものではない。どれも相対的なものであって、真に普遍的なものにはなり得ていない。
 トッドは、識字化と出生調節は、人々の脱宗教化・世俗化をもたらすと予想している。リベラル・デモクラシーは、脱宗教化・世俗化の先に想定される収斂点とされている。これに対し、私は、宗教はトッドが予想するようには、社会的に衰退しないと見ている。仏教、キリスト教、イスラーム教等の伝統的宗教は、紀元前から古代にかけて現れた宗教であり、科学が発達し、人々の意識が向上するにつれて、その役割を終え、発展的に解消していくだろう、と私は考える。だが、伝統的宗教の衰退は、宗教そのものの消滅を意味しない。むしろ既成観念の束縛から解放された人々は、より高い精神性・心霊性を目指すようになり、従来の宗教を超えた宗教を求めるようになる。近代化の指標としての識字率の向上と出生調節の普及は、人々が古代的な宗教から抜け出て、精神的に成長し、さらに高い水準へと向上する動きだと私は思う。(註7)
 リベラル・デモクラシーは、自由、民主主義、人権、法の支配を普遍的な価値と考える思想である。「自由と人権を守る民主主義」ということができる。リベラル・デモクラシーにおいて、自由に次いで重要なのは人権である。そして、世界的には人権の方が自由より広く受け入れられている価値である。国連に加盟する190カ国以上が世界人権宣言に参加している。その点は、1の「世界の現状」の項目に書いた。
 自由より価値として広く認められている人権について、次に述べる。人権の起源は、近代西欧発の普遍的・生得的な権利という観念にあるが、人権の実態は歴史的・社会的・文化的に発達してきた権利である。生まれながらに誰もが持つ「人間の権利」ではなく、主に国民の権利として発達してきた「人間的な権利」である。「発達する人間的な権利」としての人権の目標とすべきものは、個人の自由と選好の無制約な追求ではない。個人においては人格的な成長・発展であり、国家においてはネイション(国民・共同体)の調和的発展、人類においては物心調和の文明、共存共栄の世界の実現である。ここにおいて、人間が人格的に成長・発展するための条件が、人権と称される自由と権利である。自由と権利は、それ自体が目的ではなく、人格の成長・発展のための条件である。目標とすべき物心調和とは、物質的繁栄と精神的向上の両面の調和であり、共存共栄とは、諸個人・諸国家・諸民族等の調和ある発展である。
 人権の目標である個人的・国家的・人類的な三つの目標を目指すには、人間観の転換が必要である。人間には個人性と社会性、生物性と文化性、身体性と心霊性という三つの対で示される性質がある。また、人間は、共通の根に共感の能力を持つ諸能力を発揮する人格的存在である。そうした諸能力は、人間の欲求を実現するために集団において協同的に発揮される。だが、現代で支配的な人間観では、こうした人間の全体像をとらえることができない。そこで、私が必要と考えるのが、心霊論的人間観の確立である。
 心霊論的人間観とは、人間の持つ諸性質を総合的に把握したうえで、その中の心霊性を重視し、人間を単に物質的な存在と見るのではなく、人間には物質的な側面と心霊的な側面の両面があるとする人間観である。心霊論的人間観は、近代西欧が生み出した人間を単に物質的にとらえる唯物論的人間観の欠陥を是正する。心霊論的人間観においては、個人の人格は死後も霊的存在として存続する可能性を持ち、また共感の能力は、身体的な局所性に限定されず、時空を超越し、波長の異なる領域にも及び得ると理解する。こうした人間観を確立することによって、人権の目標である個人的・国家的・人類的な目標を達成するために必要な人間観の転換を果たし得る、と私は考える。
 心霊論的人間観を確立することによって、人類は初めて家族的な価値観の違いを超えて、より高い次元に参入することができる。心霊論的人間観については、次の拙稿をご参照願いたい。

拙稿「カントの哲学と心霊論的人間観」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11c.htm
拙稿「人権――その起源と目標」第4部第12章(5)「人権の目標と心霊論的人間観の確立」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-4.htm


(6)ロールズの自由主義とそれへの批判については、拙稿「人権――その起源と目標」第4部第10章「人権と正義」に書いたので、ご参照ください。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-4.htm
(7)世界的な宗教の動向については、拙稿「宗教は消滅せず、新たな発展へ向かう〜島田裕巳氏の宗教消滅論批判」をご参照ください。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11h.htm

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神〜新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

************************************
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する