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2022年02月14日08:52

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民主対専制30〜核家族系の「自由」と非核家族系の「権威」

●核家族系の「自由」と非核家族系の「権威」

 民主主義対専制主義の対立の一側面は、家族型的価値観の対立と見ることができる。核家族系の価値観と非核家族系の価値観の対立であり、自由と権威の価値の対立である。
私見によれば、核家族系の価値観は、直系家族の社会に対しては、ある程度、浸透し得る。直系家族が核家族化するにつれて、権威より自由へと価値観が移行する。第2次世界大戦で、米英を中心とする勢力に破れた日本やドイツでは、この変化が起こった。
 日本を例に取ると、GHQは、日本の弱体化のために、日本の国家社会を変造しようとした。秘密裏に作った憲法を押し付け、自由主義、英米型の民主主義、個人主義等を植えつけた。そして、憲法の理念に反するからとして、民法の改正が強要され、わが国の伝統に基づく家(イエ)制度が廃止された。これは、核家族系の社会である米国の価値観によって、わが国の直系家族を解体し、核家族の社会に改変しようとするものだった。また、戦後のわが国では、こうした外力による変造のもとで近代化が進むとともに、都市化・工業化が進行し、農山漁村の村落共同体が解体されていった。村落共同体の解体によって、家族の形態も直系家族的な大家族が縮小し、核家族化が進んでいる。これに伴って、直系家族的な価値観が後退し、核家族系の価値観が広がっている。
 一方、核家族系の価値観は、共同体家族の社会には、容易に浸透しない。旧ソ連崩壊後、ロシアは一時、民主化したが、プ−チンの登場によって専制に戻り、自由、民主主義、人権、法の支配は強く制限されている。イスラーム教が支配的な国の多くでは、権威より自由への価値観の移行は起こっていない。
 イラン、イラク、アフガニスタン等では、米国による民主化の推進が失敗に終わっている。米国は戦争で打ち負かした国を支配し、議会、選挙、憲法等の制度を導入して、国家の体制を改造しようとした。だが、米国への強い反発を生じ、さらには近代西洋文明の排斥と伝統的な宗教の再興が起こっている。
 直系家族と共同体家族を比較すると、直系家族の価値は権威と不平等であるのに対し、共同体家族の価値は権威と平等である。ともに自由ではなく権威を価値とするのだが、権威と平等が結びついた共同体家族における権威の方が、権威と不平等が結びついた直系家族における権威よりも、強固だということができよう。そのため、核家族系の価値観は、直系家族の社会にはある程度、浸透しやすいが、共同体家族の社会には非常に浸透しにくいと考えられる。

●個人主義/集団主義と民主主義/専制主義の対応
 
 自由をよしとする価値観は、核家族系の社会で発生・発達した。核家族の親子関係・兄弟関係が、個人の自由を尊重する思想を生んだ。二世代以上によって構成される大家族の集団への帰属より、個人の自立を優先する思想である。それが、個人主義である。個人主義は集団より個人を重視する価値観であり、個人を原理とする思想である。個人の自由と権利を正当化し、その獲得と拡大をめざす。
 私は、個人主義に対比して、集団主義という概念を使う。集団主義は、個人より集団を重視する価値観であり、集団を原理とする思想である。個人の自立より、複数の世代で構成される大家族の集団への帰属を優先する思想である。そこから集団主義は、家族・民族・国家の統合や利益を追求する。
 個人主義/集団主義は、民主主義/専制主義に対応する。民主主義は、個人主義を要素とする。民衆が個人として政治に参加する権利に関わる制度・思想だからである。一方、専制主義は、集団主義を要素とする。集団の統合や利益の追求において個人の政治参加を必要不可欠としない。これらには単純に優劣をつけられない。人間には、個人性と集団性があり、個人の尊重が行き過ぎると、集団は統一性を失う。家族も社会も国家もばらばらになってしまう。逆に集団の優位が行き過ぎると、個人は全体の中に消滅する。そのような集団は硬直して創造性を失う。個人性と集団性は、どちらの極端にも行き過ぎないバランスが必要なのである。
 家族における親子の居住関係が、個人主義/集団主義に対応する。結婚後、親子が別居するか、結婚後も親子が同居するかによって、自由か権威かという価値観の違いとなる。その違いが個人主義/集団主義を生む。
 個人主義が核家族系の絶対核家族と平等主義核家族の社会で発生・発達したのに対し、集団主義は非核家族系である直系家族と共同体家族の社会の伝統である。近代西洋文明及びその強い影響下にある諸文明の社会では、個人の自由を尊重する価値観が重視される。その個人の自由という価値に基づいて、民主主義、人権、法の支配といった価値が重視されている。だが、近代西洋文明以外の諸文明で、近代西洋的文明の影響をあまり受けていない社会では、個人の自由より集団の規範が重視される。集団から自立した個人という観念そのものが発達していない。そのような社会では、自由、民主主義、人権、法の支配といった価値は重視されない。
 核家族系と非核家族系のグループに分けられる絶対核家族・平等主義核家族及び直系家族・外婚制共同体家族・内婚制共同体家族は、人類の家族の主要な類型である。家族型の違いは、文化の違いである。どれが優れているか、より進んでいるかを判断するには、判断の基準が必要であり、その基準は何らかの価値観に基づくことなくして成り立たない。
 自由、民主主義、人権、法の支配という価値は、核家族系の社会で発生・発達した。これらの価値をよしとする社会では、これらを人類の普遍的な価値と考える。だが、非核家族系の社会では、家族型の違いによって異なる価値の体系を持っており、核家族的な価値の体系を受け入れなかったり、排斥する。今日の人類社会における価値観の対立には、家族型による価値観の違いがある。それゆえに、この価値観の対立を乗り越えることは容易な課題ではないことを認識する必要がある。

 次回に続く。

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