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2022年02月10日08:49

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民主対専制28〜掲げるなら「自由民主主義対強権主義」を

●掲げるなら「自由民主主義対強権主義」を

 そもそもバイデン大統領は、不正の疑惑のある選挙で誕生した。就任後、バイデン政権は失政が続き、政権発足から10カ月ほどの2021年11月現在で支持率が早くも35%前後に低下した。とりわけ同年9月、米軍が20年戦争の続いたアフガニスタンから撤退する際に大きな混乱を生じ、大統領の指導力に強い疑いを呼んだことが支持率低下の大きな原因となっている。また、バイデン政権は地球環境問題で中国との協力を探っているが、11月に行われた国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)で、中国は何一つ譲らず、完全に独り勝ちの結果となった。その一方、米国をはじめとする先進各国は脱炭素で自滅する恐れがある。選挙で有権者の多くがバイデンに寄せた期待は、急速にしぼんでいる。3年後の2024年(令和6年)の大統領選挙では、共和党の政権に戻る可能性が大きくなりつつある。
 それゆえ、バイデン政権が「民主主義対専制主義」ととらえている構図は、3年後には政権交代によって、異なる概念の対比に変わる可能性が大きい。その場合、「自由」を強調する方向に変化するだろう。私は、「民主主義対専制主義」の対立構図に替わるものとして、一部のメディアが使用している「自由と強権」を挙げたい。
 自由の反対語は、不自由、隷属、統制等である。自由の反対語として強権を使うことは、まれである。それゆえ、「自由と強権」という対比は新しい組み合わせである。(註5)
 「強権」という漢語において、「権」は、権力や権威等に使われる文字である。強権は、政治学の概念ではない。自由と対比して「強権」を使うメディアは、この語によって、権力の専制的な行使や、強い権力をバックにした権威主義を含意しているのだろう。
権威主義の定義について書いたことを繰り返すが、権威主義はauthoritarianismの訳語である。authorityを「権威」と訳すのが通例ゆえ、権威主義と訳すのだがauthorityは「権威」だけでなく、「権力(power)」「影響力」の意味を持つ。複数形のthe authoritiesは「当局」「官憲」を意味する。それゆえ、authorityを「強権」と訳し、その訳語に権威と権力を含ませることができる。そして、authoritarianismの訳語を「強権主義」として、権力を独裁的に行使する専制主義や、強い権力に裏付けられた権威主義の両方を含むものとするとよいと思う。
 本稿でここまで「権威主義」という一般的な訳語で書いてきたものを「強権主義」という訳語に置き換えて読み直していただくと、authoritarianism の意味がより強く感じられるだろう。
 本来は、元になる英語の表現を、単に authoritarianism ではなく、autocratic authoritarianism とするとよい。autocratic authoritarianism は、専制的または独裁的な権威主義である。
 次に、「強権主義」と対比すべき概念は、単なる民主主義ではない。民主主義には、自由主義的な民主主義、社会主義的な民主主義等、様々な民主主義があるからである。「強権主義」と対比すべきは、自由主義的な民主主義、自由民主主義(liberal democracy、リベラル・デモクラシー)である。「自由民主主義と強権主義」(liberal democracy vs autocratic authoritarianism)という対比にすれば、「民主主義対専制主義」という対立構図より優れたものとなるだろう。


(5) 自由と権威という対比には、歴史的な前例がある。18世紀イギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームは、論文「王位継承について」で、名誉革命以来の政体を混合政体ととらえ、君主制と共和制の要素、権威と自由の混合として分析している。二つの要素の相互抑制がそれぞれの長所を引き出し、それによってイギリスの平和と繁栄がもたらされたと見る。論文「政治支配の起源について」では、次のように述べる。
 「あらゆる政治支配の中に、権威と自由の間に、公然または隠然たる普段の内部闘争が存在する。しかもこの抗争において、権威と自由のいずれも絶対的な勝利を得ることは不可能である」「自由はまさに政治社会の完成であると言われなければならない。しかし、それにも拘わらず、権威が政治社会の存続そのものにとって不可欠であることが承認されなければならない」と。
 権威なき自由は無秩序となり、自由なき権威は専制となる。ヒュームは、権威と自由のバランスが必要であると説いたのである。
 権威は、宗教や伝統、制度、人格等に基づいて、人々に広く受け入れられて集団の求心力として働くものであり、必ずしも否定すべきものではない。すべての権威を否定することは、あらゆる価値の破壊になる。だが、今日では、専制主義的・独裁的に権力を行使する強権政治を批判する時に、しばしば使われている。私は、権威の価値を肯定することと、強権主義を批判することとを区別する必要があると考える。

 次回に続く。

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