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2022年02月05日09:06

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日本の心62〜武士に人倫の道を示す『明君家訓』

 戦国時代には、大名家において、家訓が作られました。北条家の『早雲寺殿廿一箇条』、武田家の『甲州法度之次第』などが知られます。江戸時代になると、多くの藩で家訓が作られました。その中で特に有名なものに、『明君家訓』があります。
 著者は八代将軍徳川吉宗の侍講にもなった朱子学者・室鳩巣(むろ・きゅうそう)。成立は元禄5年(1692)頃とされます。本書は徳川光圀の著として流布され、また、多くの藩の家訓にも採り入れられたといわれます。
 戦国期の武士は、常時、戦闘の中にありました。武士道は初め、そうした武士の戦場における勇気や美学として形成されました。しかし、徳川家康が天下を治めると、各大名家は幕藩体制の中に組み込まれ、また島原の乱を最後に戦争はなくなりました。こうした平和な時代において、武士はどうあるべきかを明らかにすることが求められるようになりました。また、大名は一領国の宰相として、家中に規範を立て、よりよい治世を確立する必 要に迫られもしました。その具体的な姿が、家訓の形をとって現れたのです。
 戦国期までは、『論語』や『大学』などの書を読む武士は、ごく少数でした。そのような教養は、武人には無用のものだったのです。しかし、幕府が朱子学を官学に採り入れると、儒教の道徳観が武士階層に行きわたるにいたりました。
 そうした中で書かれたのが、『明君家訓』です。本書は、儒教に基づき、武士とは人倫の道の実践者であるべきだと説きます。「百姓町人が武士を畏敬するのは、武士の職分の高さゆえ」と述べ、畏敬の理由は武士という身分にあるではなく、武士の職分にあるとします。武士は義理を職分とするものだからこそ、人倫の道を踏み外してはならないと強く訴えるのです。そのために、『明君家訓』は儒教的な意味での学問の必要性を強調します。
 「およそ家中の武士は、貴賎を問わず学問に励むべきである」「学問とは人としての正しい道(=人倫の道)をいうのであって、人として生まれ、これを知らず、行わないのでは、ひとえに牛馬のごとき獣同然といえよう。したがって、学問は朝夕の衣、食よりも大切であることを心得るべきである。さて、その修行の道は、心の正と邪、己のおこなうところの善悪すべてをよく吟味し、心を正しく身を治めて、修行することによって古の賢人君子のようにもなる。または、その人の心がけ次第で、聖人にもいたる道なのである」
 そして、武士のあるべき姿を、次のように説いています。
 「家中の武士は、つねに怠らず、人としての道を固くまもらねばならない。一言一行も武士として不明瞭なものであってはいけない。人としての正しい道とは、口先で嘘や偽りをいわず、私利私欲をもたず、心を素直にして飾らず、起居動作を乱さず、礼儀正しく、上位者に媚びて意をむかえようとなどしてはならない。
 また、下の者を侮るなどはもってもほかで、己のなした約束は違えず、他人の苦難を援け、律気に頼もしく、間違っても賤しい話や、他人の悪口などは口にしてはならない。  
さらにまた、恥を知って、かりに首を刎(は)ねられようとも、己の信じる道を行い、死すべき場所では一歩も退かずに、いつも理を重んじる鉄のごとく固い心と、温和で慈愛に富む心、つまりものの哀れを知り、人情を心得る者を、人の正しい道を知る武士というのである」 
 『明君家訓』に見られるように、日本の武士道は、シナの儒教を摂取することによって、人倫の道として発展しました。以来、武士道はわが国の活動の精神的推進力となり、維新以降も、近代日本を築くうえで、大きな精神的支柱となったのです。

参考資料
・『明君家訓』(『武道初心集』〔ニュートンプレス〕所収、加来耕三訳)

 次回に続く。

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