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2021年06月21日10:19

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仏教170〜宗教団体とスピリチュアリティ系の団体

●宗教団体とスピリチュアリティ系の団体

 宗教とスピリチュアリティを区別して考える場合、宗教団体とスピリチュアリティ系の団体は、どう違うのだろうか。
 私は、先に書いたように、宗教を「人間や自然を超えた力や存在を信じ、それに関わる体験を共有する集団によって形成された信念と象徴の体系」と定義している。この「人間や自然を超えた力や存在を信じる」という要素が、スピリチュアリティ系の団体にあるかどうかが、まず重要な判断基準となる。スピリチュアリティ系の団体は自らを宗教ではないと称したり、またその団体に所属する人々がその団体は宗教とは違うと意識していたりする。だが、禅の系統にしても、チベット仏教の系統にしても、テーラワーダ仏教の系統にしても、もとは仏教の宗派であり、教義には法身仏、如来、菩薩等が説かれている。それゆえ、それらを完全に否定したものでない限り、スピリチュアリティ系の団体もまた、「人間や自然を超えた力や存在を信じる」という要素を持つことになる。
 次に、宗教には教義、組織、実践、体験という四つの構造的要素があるという私の見方によると、宗教団体に比べてスピリチュアリティ系の団体には、次のような傾向がある。
 教義に関しては、あまり深く立ち入らず、実践中心である。
 組織に関しては、アジアの仏教国では社会がそのまま仏教組織でもあるのに対し、スピリチュアリティ系団体は、個人が自由意思で参加する。また、社会的にも団体的にも義務や拘束の少ないゆるい組織と見られる。
 実践に関しては、実践の要素としての儀礼・信仰・修行のうち、集団的な儀礼の一つである慣習的儀式を重視しない。信仰より瞑想による修行を中心とする。
 体験に関しては、瞑想による個人の体験を重視する。
 それゆえ、教義より実践が中心、儀礼・信仰より修行が中心、個人の体験を重視という傾向がある。
 スピリチュアリティ系の団体は、上記のような傾向を持つが、私の見方では、宗教団体と全く違うものではない。宗教団体を基準とすれば、疑似宗教ということもできる。また、宗教ではあることを隠したり、宗教ではないと装うことによって、人々を引きつけ、詐欺的な行為をする団体もあることに注意しなければならない。
 アメリカでは、宗教とスピリチュアリティは対比されるものとなっているが、実は、キリスト教の主流派以外の多くの宗教・宗派においては、宗教とスピリチュアリティは相違・対立するものではない。1960年代以降、アメリカの若者がスピリチュアリティを求めた仏教やヒンドゥー教では、儀礼・信仰・修行はみなスピリチュアリティに関する実践である。
 宗教団体においても、スピリチュアリティすなわちスピリットの探求、発見、開発、実現は可能である。それのできない団体から今、人々が離れつつあるのである。また、スピリットの探求、発見、開発、実現をする団体が、新たな宗教団体に発展することもあり得る。
 宗教が制度化され、形式化した時、神秘主義が盛んになって、これらが対立することが、宗教の歴史では繰り返されてきた。宗教が神秘主義を失ったとき、信仰は形骸化する。宗教的な権威を持つ官僚による精神的な支配が行われる。その時、神秘主義は、宗教の硬直状態を打ち破る。体験こそ宗教で最も重要な要素であり、神秘主義は非日常的な体験に基づいて、宗教の価値を再確認させる。それによって、り、宗教に活力を回復させるのである。
 アメリカにおいて宗教からスピリチュアリティへの移行とされる現象が生じた大きな原因は、組織化され、制度化されたキリスト教における腐敗・堕落や硬直化に対して、若者や知識人が幻滅し、疑問を持ち、反発したにあるだろう。これは、日本の既成の仏教でも見られる現象である。葬式仏教と化した日本の仏教に幻滅した若者たちの一部は、チベットの仏教やヒンドゥー教、アメリカのスピリチュアル・ムーヴメントに共感し、そこにスピリチュアリティを求めるようになっている。

 次回に続く。

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