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2021年05月18日09:14

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仏教154〜神智学協会

◆神智学協会

 ロシアの神秘主義思想家ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーは、欧米とインドを結び、かなり歪んだ形ではあるが、仏教を欧米人に知らしめる活動をした。
 ドイツ系のロシア貴族の娘で、ブラヴァツキー将軍と結婚したことから、ブラヴァツキー夫人の通称で呼ばれる。20歳頃から当時最高の霊媒として活躍する一方、事業家・探険家としても知られた。その生涯には不明な点が多いが、ヨーロッパ、エジプト、チベット等を旅して宗教や神秘主義思想を研究し、カバラ、チベット仏教、古代エジプトの秘術等を習得したようである。米国滞在時に降霊会で知り合ったヘンリー・スティール・オルコット大佐とともに、1875年にニューヨークに神智学協会を設立した。
 神智学はtheosophyの訳で、theosophyはギリシャ語で神を意味するtheoと知恵を意味する sophiaとの合成語である。西方キリスト教で神や天使の啓示を直観的に認識する方法及び認識の内容を表す言葉だった。ブラヴァツキーらは、この用語を使い、キリスト教文明において失われた太古からの秘教的知識の復興と霊性の開発による人類の進化を提唱した。神智学協会は、古今東西の様々な宗教や神秘主義思想を折衷した思想によるものだが、神智学は「神聖な知識」「神聖な科学」であり「真理に優る宗教はない」と唱えて、世界的に宣教活動を世界的に展開した。1885年までに10カ国に121支部が設立され、発明家のトーマス・エジソン、生物学者のアルフレッド・ウォーレスらが会員となった。今日までオカルティズムやスピリチュアル・ムーヴメント、オカルト的な新宗教に大きな影響を与えている。
 神智学協会は、1886年に本部をインドのアディヤールに移した。1877年にヴィクトリア女王がインド皇帝となって、インドは完全にイギリスの植民地とされた。抑圧・支配されていたインド人は、キリスト教を批判する神智学協会を歓迎した。神智学協会は、インドでヒンドゥー教や仏教から輪廻転生やカルマの説等を取り込んだ。また、それらと結びつけた霊的進化論や根源人種論を打ち出すようになった。また、インドの独立運動に協力した。
 ブラヴァツキー夫人とオルコットは、神智学の研究に基づき、諸宗教の中で宗教として重要な要素を最も多く持っているのは仏教であると評価した。ブラヴァツキー夫人がオカルト的・空想的な傾向を強めていったのに対し、オルコットは、仏教への傾倒を強めていった。米国人のオルコットは大佐の称号を持っていたが、弁護士・著述家としても活躍した。欧米人として初めて仏教徒と公式の対話を行ったことで知られる。
 オルコットは、イギリスの植民地となっていたスリランカで、仏教の復興に貢献した。スリランカで正式に仏教徒として認められ、欧米人向けに仏教の教義を編集し、今日もスリランカで使われている『仏教問答』を書いた。また、神智学協会としてスリランカに仏教学校を設立し、仏教復興の指導者を育成した。その中からアナガーリカ・ダルマパーラがスリランカ仏教復興運動の最大の旗手として出現し、大菩提会の創設者となった。オルコットは、1887年(明治20年)にダルマパーラとともに来日し、日本の仏教界と交流を持った。彼らは、仏教を擁護しキリスト教を批判する演説を各地で行なった。約100日の滞在中、全国33都市を回り、76回の講演には合計20万人に近い聴衆が参加したという。だが、オルコットらによる神智学協会の日本進出は失敗に終わった。
 神智学協会は、1893年に米国のシカゴで開催された世界宗教会議に参加した。その点については、後に世界宗教会議の項目に書く。

 次回に続く。

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