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2020年09月08日10:26

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仏教51〜孟子、荀子

◆孟子
 孔子から200年ほど後、戦国時代中期に孟子が現れた。姓は孟、名は軻(か)、字は子車、子輿という。生年は紀元前372年頃、没年は前289年頃と推定される。
 孟子は、孔子の孫・子思の門人に学んだという。孔子の継承者をもって任じ、孔子の教説を発展させた。「仁は人の心なり。義は人の路なり」(『孟子』)と述べ、「仁」と同じように「義」を重んじた。ここで仁は博愛、義は物事の理非を判断する能力を意味する。孟子は、仁と義を並称し、為政者が身につけ、行うべき徳として、「仁義」を強調した。
 孟子は、力によって富国強兵を図る政治を覇道と呼び、覇道では人心を掌握できないとし、仁愛によって徳を及ばす政治すなわち王道によってこそ、民心を獲得し、国家を統治できると説いた。「力を以て仁を仮(か)る者は覇なり。徳を以て仁を行う者は王たり」(『孟子』)という。王道政治は、経済政策によって民生を安定させたうえで、教育を普及して人民の道徳を高めて、道義国家を実現することを目指す。
 孟子の思想は、性善説に基づく。孟子は、人間はみな生まれつき、善の性質を持っていると説いた。この生得的な善性を、本心、良知良能という。人間には、仁・義・礼・智の四徳を身に着けることのできる可能性がある。惻隠(そくいん)すなわち他人を哀れみ痛む心、羞悪すなわち悪を恥じ憎む心、辞譲すなわち譲り合う心、是非すなわち物事の良し悪しを見分ける心は、それぞれ仁・義・礼・智の芽生えである。これを四端(したん)の情という。この四端を育てて、心の善性を発揮しなければならない、と孟子は説いた。性善説は宋代の朱熹に、良知説は明代の王陽明に継承された。
 人間の善性を信じる孟子は、政治において民心の掌握を重視した。天意は仁愛に基づく民生の安定にある。天子は、そのために仁政を行う責任を負っている。それができず人民の信頼を失った天子は、天によって別の有徳者に替えられるとした。これは、易姓革命を肯定する思想である。易姓革命とは、天命によって統治者の姓・家系が替わることをいう。例えば、「李」の一族から「朱」の一族に易(か)わることである。孟子は、帝王がその位を世襲せずに有徳者に譲る「禅譲」と、徳を失った君主を討伐して放逐する「放伐」による革命を認めた。
 孟子の教説は、『孟子』という書物に遺された。本書は、朱熹によって高く評価され、『論語』等とともに四書に加えられた。孔子と孟子を合わせて、孔孟の道といわれるようになり、それが儒教の別名となった。

◆荀子
 孟子から半世紀ほど後、戦国時代末期に荀子が現れた。姓は荀、名は況(きょう)という。生年は紀元前298年頃、没年は前235年頃と推定される。
 荀子は、孔子の思想を継承しつつ、歴代の儒家の思想を批判的に摂取して、儒家・儒教の教学を整備した。儒家・儒教の聖典を経書という。荀子の時代の前後に、五経と呼ばれる『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』が出そろう。荀子は、これらの経書の学習を必須として、教学の柱とした。
 荀子は、孟子の性善説に反対し、性悪説を説いた。荀子は言う。「孟子曰く、人の性は善なりと。曰く、これ然(しか)らず」「人の性は悪なり。その善なるは偽なり(『荀子』)と。この文言は、人間の性質は根本的に悪である、善と見えるものは偽りの善であるという人間不信の思想ととられやすい。だが、荀子は、礼の教育や政治によって道徳を教えて、人間を徳化することができるとする。それゆえ、真の意味の性悪説ではない。単純な性悪説なら、人間に徳化の余地はなく、力で支配するのみと説くだろう。荀子の性悪説は、そうではない。荀子は、たゆみなく努力を続けるべきことを強調する。人間の生まれつきの性質は悪であるが、後天的な努力次第では聖人にもなれると主張する。この点で、聖人を理想目標とする孔子の教えを踏み外してはいない。また、徳化の可能性を説く点では、孟子の所説を全面的に否定するものでもない。孟子の逆を説いたというより、修正論というべきである。私は、荀子の性悪説を努力徳化型の性悪説と呼びたい。
 古代シナでは、天と人間との間には相関関係があるとする天人相関説が信じられ、そこから災害は天の意思表示とみなされた。だが、人間の努力を重視する荀子は、天人相関説を斥けた。天の意思が人間の運命に影響することを否定し、天の道と人の道を明確に区別して、人間には自らの行為に責任があることを説いた。
 これに関連することとして、儒家・儒教では孔子以来、古代の伝説的な「先王」を君主の理想とし、「先王の道」を説いてきたが、荀子はこの伝統的な考え方に対して、最も近い時代に政治に努力した王、すなわち「後王(こうおう)」の定めた政策や制度に従うべきだと主張した。これを後王思想という。
 荀子に至って、儒家に、孔子の理想主義的な姿勢とは異なる現実主義的な姿勢が、明確に現れた。荀子の思想は、孔孟の道と呼ばれる儒教の主流とは異なる傍流を成す。荀子は、人為的な努力による徳化を進めるために、礼すなわち社会的な規範による規制を重視した。その思想は、儒家でありながら法家の説くところに近い。また、彼の性悪説は、法家に影響を与え、儒家と法家の融合の道を開いた。法家については、後の項目に書く。

 次回に続く。

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