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2020年08月25日08:26

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仏教45〜中央アジア、チベット等での展開

●中央アジア

 紀元前3世紀頃のマウリヤ朝のアショーカ王の時代に仏教の伝道師は中央アジアにも派遣された。また、2世紀前半、クシャーナ朝の頃からガンダーラ王国で造られた仏教美術とともに、仏教や敦煌やトルファンなどの中央アジアに広がった。中央アジアは、シルクロードと呼ばれる交易の道だったが、その道を通って、仏教は、東アジアにも伝わっていった。
 その時代には、中央アジアでも仏教が栄えたが、7世紀にイスラーム帝国が西アジアから中央アジアに侵入したことによって、中央アジアの仏教は衰退し始めた。現在この地域は、イスラーム教が支配的である。
 たとえば、ウズベキスタンでは2〜3世紀に仏教が最盛期を迎えたが、11世紀にイスラーム政権が成立すると、偶像崇拝の禁止によって仏像が破壊され、13世紀には仏教はほぼ消え去ったと見られる。ピュー・リサーチ・センターによる2009年の調査結果によると、人口の96.3%がイスラーム教徒となっている。
 なお、中央アジアの東端ともいえるモンゴルは、チベット仏教が伝播したので、次の項目に書く。

●チベット及びその仏教の影響圏

◆チベット
 チベットは、はじめ7世紀半ばにシナから唐代の仏教を輸入した。その後、8世紀後半、チソンデツェン王がインドから後期大乗仏教と密教に通じた高僧たちを迎えて、国家事業としてサンガの設立や仏典の翻訳を大々的に行った。当時のインドにあった仏教の諸宗派・諸思想を数十年という短期間で一挙に導入した。そして、インドからの大乗仏教・密教とチベットの民間信仰(ボン教)が融合してチベット独自の仏教、すなわちチベット仏教が出来上がった。
 チベットがインドから取り入れた仏教聖典を、西蔵大蔵経という。それはインドの大乗仏教・密教を伝える貴重な文献となっている。翻訳に当たってサンスクリット語の原典からチベット語へ、原文をできるだけ意訳せずにチベット語に置き換える逐語訳がされたという。シナにおける漢訳は、しばしば意訳が行われ、また儒教・道教という土着の高度宗教の教義が混入した。それに比べ、チベット語訳の聖典は、インド仏教の研究において非常に重要な位置を占めるものと評価されている。
 チベット仏教は、チベット人僧侶によって、周辺国はもとより、中央アジアから東アジアへ布教され、モンゴル、南シベリア、シナ北部等に広がった。
 チベットでは、インドからの本格的な仏教の導入後、数百年のうちに、カダム派、カギュ派、サキャ派、チョナン派、ニンマ派等に分かれた。大乗仏教のどの思想に重点を置くか、タントラ仏教にどういう立場を取るか等が分裂の理由である。そうしたなか、14世紀末にツォンカパが改革を行い、密教以外に大乗仏教の教義を研究し、中観派の思想を基礎に置いて、仏教を統合しようとした。彼の思想による集団を黄帽派、従来の宗派を紅帽派という。黄帽派はゲルク派ともいい、以後、チベットでの仏教の主流となった。ゲルク派の指導者はダライ・ラマと称して、チベットの君主となり、宗教・政治・文化をすべて統率する体制が出来た。ここからチベット仏教をラマ教と呼ぶ通称が生まれた。
 チベットは、近代以降、イギリス、ロシアの侵入を受けた。さらに第2次世界大戦後は、共産中国に侵攻されて自治区とされ、支配体制に組み込まれ、激しい弾圧を受けている。1956年のチベット動乱において、ダライ・ラマ14世(テンジン・ギャツォ)は59年にインドに亡命し、インド北部に宗教自治区を形成している。ダライ・ラマ以外の高僧やチベット人も多数インドやネパールに亡命した。チベットから海外に亡命した僧侶たちは、アメリカヨーロッパ等に広がり、そこで宗教活動を行って欧米人にチベット仏教の信奉者・理解者を増やしている。
 ダライ・ラマを宗教的指導者でありかつ国家指導者とする制度は、仏教の他の宗派には見られないものであり、ユダヤ教にも、キリスト教にも、イスラーム教にも類例のないものである。ダライ・ラマは単に政治をも担う宗教指導者ではない。活仏と信じられているからである。活仏とはチベット仏教独自の思想であり、優れた僧侶を生き仏と仰ぐものである。活仏には2種類あり、ダライ・ラマは観世音菩薩、パンチェン・ラマは阿弥陀如来が転生した化身とされる。また、彼らは死後、民衆を救うためにこの世に転生すると信じられている。死後49日間に受胎し生まれた子どもの中から転生者を探し出して、これを将来の指導者として育成・尊崇するという慣習が続けられている。だが、中国共産党政府は2007年、チベット自治区の化身ラマが転生する際、政府の許可なしの転生は認めないことを決定した。
 活仏の思想は、輪廻転生と菩薩信仰に基づく思想である。もし輪廻転生が生命の事実であるならば、釈迦が転生を繰り返して、民衆を救済し続けているべきだろう。だが、仏教ではそのように考えない。釈迦が涅槃寂静に入ったのであれば、入滅後、衆生を救うことはない。そこで、救いへの希求が如来・菩薩という理想的な救済者のイメージを生み出したのだろう。
 この仏教における救済者願望を一つの制度としたチベット仏教では、衆生済度のために現世に転生し続けているのは、観世音菩薩と阿弥陀如来だという。これらは、もともと架空の存在である。それゆえ、その架空の存在が化身として現れるということも、化身とされた僧侶が転生を繰り返しているということも、死後49日間のうちに受胎して生まれた子どもがその生まれ変わりだということも、すべて虚構とみなさざるを得ない。
 現代のダライ・ラマは、中国共産党の弾圧を受けている。チベットでは多数の僧侶・民衆が暴行を受けたり、殺害されたりしている。共産主義の暴虐非道に対し、観世音菩薩が転生化身したと信じられているダライ・ラマは、現実的にはほとんど無力に近い。自らの信徒を守ることも救うこともできていないと言わざるを得ない。これはチベット仏教の限界であるとともに、仏教の法と力の限界でもあるだろう。チベットの惨状に対し、チベット以外の諸国の仏教徒の一部は、宗派を超えて、心を痛め、祈りをし、支援も行っている。だが、それもまたチベットの僧侶や民衆を救うことには至っていない。このこともまた仏教の法と力の限界を示すものだろう。

◆ネパール
 ネパールは、インドと中国のチベット自治区に隣接する小国であり、シナ文明・チベット文化・インド文明の影響を受けてきた。釈迦の生地ルンピニーはネパールにあるが、今日のネパールでは、仏教よりヒンドゥー教の影響が大きい。ヒンドゥー教は近年まで長く国教だった。現在は国教扱いではなくなっているが、2011年の国勢調査で、ヒンドゥー教が81.3%を占めた。仏教は9.0%、イスラーム教は4.4%となっている。仏教は、主にチベット仏教とネワール教というヒンドゥー教の影響を受けたネパール独自の仏教とされる。

◆ブータン
 ブータンは、中国のチベット自治区とインドに国境を接する小国である。シナ文明・チベット文化・インド文明の影響を受けてきた。チベット仏教を国教とする仏教国である。百科事典『ブリタニカ』の年鑑2009年版によると、仏教徒が74.70%とされ、そのほとんどはチベット仏教である。残りはヒンドゥー教徒が多い。

◆モンゴル
 モンゴルには、チベット人僧侶の活動により、チベット仏教が伝わり、以後、チベット仏教が信奉されている。13世紀にチンギス・ハンが出て、ユーラシア大陸に広大な帝国を築き、シナでは元朝を建国した。だが、帝国は各地で衰退して崩壊し、シナでは17世紀末から満州系の清朝の支配下に置かれた。
 モンゴルは、ロシア革命の影響を受けて民族意識が高まり、1921年に革命を起こして独立を宣言した。この時、チベット仏教の化身ラマすなわち活仏とされるジェプツンダンバ・ホトクト8世を君主とする人民政府を樹立した。だが、24年に活仏君主が死去すると、人民共和国に政体を改め、社会主義国となった。東欧・ソ連の共産主義体制が崩壊した時期に、モンゴルは一党独裁体制を廃止し、1992年にモンゴル人民共和国からモンゴル国に国名を改め、新憲法を制定して社会主義を完全に放棄した。新憲法は信教の自由を保障している。
 チベット仏教は、社会主義時代には衰退したが、民主化以降は復活し、再生しつつあるという。リリジョン・ファクツのサイトによると、仏教55.1%、民俗宗教3.5%、イスラーム教3.2%ほかとされる。

 次回に続く。

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