mixiユーザー(id:525191)

2020年06月18日10:12

157 view

仏教16〜菩薩、明王、天

●菩薩

 菩薩(ボーディサットヴァ)は、悟りを求めて修行する者である。もとは悟りに達する前の釈迦及び前世の彼を菩薩と呼んだ。大乗仏教では、釈迦の弟子ないし釈迦の説法を聞いて悟った者を声聞(しょうもん)、師なくして法を悟った者ないし釈迦以外の縁によって真理を悟った者を縁覚という。そして、声聞・縁覚は自利のみとし、自利とともに利他すなわち一切衆生の救済を誓願して実践する修行者を、菩薩という。
 ただし、菩薩という言葉は、修行者だけでなく、救済を祈願する信仰対象をいったり、大乗仏教を信奉するすべての者をいうなど、多義的に使われる。
 大乗仏教は、観世音(観音)・勢至・普賢・文殊・弥勒・地蔵等の菩薩を生み出した。これらは想像上の超人的存在であり、キリスト教の天使にも比せられる。多神教化した大乗仏教において、菩薩は一種の神格であり、熱心な信仰を集めている。
 観世音菩薩は、観自在菩薩ともいう。大慈大悲で衆生を済渡することを本願とし、勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍。『法華経』に現れる。
 勢至菩薩は、智慧の光を以って一切を照らし、衆生に菩薩心の種子を与えるとされる。
普賢菩薩は、仏の理・定・行の徳を象徴する。文殊菩薩とともに、釈迦如来の脇侍。智慧の文殊に対し、慈悲の普賢ともいう。『華厳経』『法華経』に現れる。
 文殊菩薩は、仏の智慧を象徴し、特に般若経の経典群で説かれる。
 弥勒菩薩は、現在、兜率天で修行中の菩薩であり、釈迦入滅の56億7000万年後に、この世に下生して、釈迦の救いに洩れた衆生を救済すると信じられている。弥勒三部経がある。
 地蔵菩薩は、釈迦の入滅後、弥勒仏が出生するまでの間、六道に出没し、そこで苦しんでいる衆生を教化・救済するという。六道を守護することから、六地蔵とされる。
 菩薩は、すべて男性である。観世音菩薩は女性的に見えるが、これも男性である。

●明王

 明王は、密教の大日如来の使者・捕吏である。忿怒の相を現し、強い力を振るって、悪魔を打ち砕く。不動・愛染・降三世・金剛夜叉等がある。
 多くの菩薩は優しく人間を導く母性的な性格を示すが、明王は厳しく人間の悪魔性に怒りを表す父性的な性格を発揮する。
 仏教は智慧の宗教であり、また慈悲の宗教である。だが、明王を取り入れたことは、多くの人を導き、救うには、智慧と慈悲だけではなく、悪と戦い、悪を滅ぼす意思が必要であることを示すものだろう。この意思を勇気と呼ぶならば、智慧と慈悲と勇気という三つの徳がそろってこそ、多くの人を導き、救うことができる。わが国に伝わる三種の神器は、伝統的に知・仁・勇の徳を象徴すると解釈されてきた。知は智慧、仁は慈悲、勇は勇気に対応する。仏教における明王は、仏教に付け加わったものというより、仏教に欠けていたものを補う結果となっている。

●天

 仏教の○○天は、多神教の神々に当たる。実際、帝釈天は、ヴェーダの宗教の有力神インドラ、大黒天はヒンドゥー教の最高神ヴィシュヌを取り込んだものである。
 漢語で「神」の文字は「霊魂」を意味する。そのため、シナではインドの神々を「天」と訳した。ここで「天」とは、遊牧民族の天空父神ではなく、仏教の天上道に住む天人である。天人は仏陀はもとより菩薩にも及ばないが、信仰の対象ともなってる。
 天人としての神々は衆生の一種であり、仏教によって救済されるべき者である。神々と人間には大差はなく、神々は人間以上の能力を持つにすぎない。人間と神々をまとめて人天(にんてん)とも言う。
 諸天のうちには、四天王がある。仏教の世界観では、世界の中心に須弥山という想像上の高山があるとし、その頂上に帝釈天、中腹の四方に四天王の宮殿があるとする。四天王とは、東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天をいう。多聞天は、毘沙門天とも訳す。彼らは帝釈天配下の武将で、甲冑をつけた忿怒の姿で邪気を踏み、東西南北の四方を守護するとする。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神〜新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

************************************
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する