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2020年05月23日10:13

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仏教6〜中道、四諦、八正道

●教説から教義への発展

 仏教の教義は、釈迦が語ったことをまとめた教説を、弟子たちが数百年、さらに一千年以上という歴史の中で発展させたものである。釈迦自身が説いた教えがどういうものであったかを求めるには、最初期に編纂された経典をもとにする必要がある。
 その一つである『スッタニパータ』は、南伝仏教のパーリ語経典に収録されたものである。スッタは「経」、ニパータは「集」を意味する。本書で、釈迦は、次のように語ったと記されている。
 「この世に還り来る条件となる煩悩から生ずるものが存在しない修行僧は、今世も来世もともに捨て去る。──蛇が古い皮を脱ぎ捨てるように」「無明によって、世間は覆われている。強い欲と、怠惰の心ゆえに、世間は輝かない。渇望によって生ける者はけがれる。苦しみが世間の大きな恐怖である」「命ある者における煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである。それが煩悩の流れの防護である」「修行僧は、欲望に耽けってはならない。心が濁ってはならない。あらゆる事柄に熟達して、よく気をつけて旅を続けなさい」(中村元訳、『ブッダのことば』)
 輪廻転生を前提とし、煩悩、無明、欲望といった仏教の教義のキーワードが並んでいる。煩悩とは、心身を煩わせ悩ませる一切の妄念をいう。煩悩の根源は、無明である。無明とは、真理に暗いことをいう。
 『ダンマパダ』もパーリ語経典の一つである。ダンマは「法」を意味し、「法句経」と訳す。本書で、釈迦は、次のように語ったと記されている。
 「心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす」「心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることがない」「正しい知識によって解脱して、やすらいに帰した人――そのような人の心は静かである。ことばも静かである。行ないも静かである」「何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を断ち、(善行をなすに)よしなく、欲求を捨て去った人、――かれこそ実に最上の人である」(中村元訳、カッコ内も中村による。『ブッダの真理のことば 感興のことば』)
 心のありよう、解脱というやはりキーワードが現れている。
 上記の二書のうち、『ダンマパダ』は釈迦の教えを初めて学ぶ入門書である。一方、『スッタニパータ』はかなり高度な内容を含んでおり、より修得が進んだ者向けと見られる。
 これら最古の経典における釈迦の言葉は平易で、たとえも日常的なものが多い。釈迦が折々に語った言葉を記憶と伝承に基づいて集成したものと見られる。修行と悟りの経験に基づき、また実際的である。そこに記されている教えが、教説である。
 後代になると、何十世代にも及ぶ弟子たちの営為によって、教義が体系化された。その過程で、釈迦自身が説いた教えだけでなく、弟子たちが生み出した思想が加わったものまでが、釈迦の教えとされた。
 どこまでが釈迦自身の教えで、どこからが弟子たちの思想かを明確に区別することは難しい。何が釈迦の真説であるかを厳密に規定することができないからである。それゆえ、仏教の教義を概説するには、仏教の教義がある程度、体系化された段階のものを、教義として扱わざるを得ない。

●中道

 釈迦は、自らの教えを中道と呼んだという。中道とは、当時の社会に蔓延していた快楽主義と修行者が競っていた苦行主義の両極端を避ける中間の道である。
 釈迦は、中道の内容として、四諦(したい)、八正道を説き、ただこの教えのみが人を解脱に導くと説いたと伝えられる。

●四諦と八正道

 四諦とは、四つの真理のことである。それらは、次の通りである。

 苦諦(くたい): 人生は苦しみであるという真理。ここで苦しみとは、思うようにならないことをいう。
 集諦(じったい): 苦しみの原因は愛着・渇愛にあるという真理。ここで愛は、欲望にとらわれて執着することをいう。
 滅諦(めったい): 苦しみの原因は滅せられるべきであるという真理。その原因を滅することができれば、解脱して涅槃に至ることができるとする。
 道諦(どうたい): 苦しみの原因を滅する道についての真理。涅槃寂静の境地に至るための方法として八正道を説くもの。

 道諦の内容が八正道である。八つの正しい方法とは、正見(正しい見識)、正思(正しい思惟)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行為)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい思念)、正定(正しい瞑想)である。言い換えれば、見識、思惟、言葉、行為、生活、努力、思念、瞑想を正しく行うことが、苦しみの原因を滅する道である。

 ヴェーダの宗教において、ウパニシャッドは、解脱を目指す者にヴェーダの学習、禁欲、祭祀、布施、苦行、断念、五感の抑制等を奨励した。そして、欲望を捨てることこそ、解脱への最善の道とした。また、無知、貪欲、放逸、虚偽、竊盗、飲酒、姦淫等は、なすべからずと戒めた。
 釈迦の教えである四諦・八正道は、こうしたウパニシャッドの思想と全く異なるものではない。欲望を捨てることや、虚偽・竊盗・飲酒・姦淫を戒めることなど、一部は重なり合っている。最も異なるのは、ウパニシャッドは、ヴェーダを聖典とし、祭祀と苦行を重んじるのに対し、釈迦はこれらを重んじないこと、また智恵による認識と道徳的な実践を勧めることである。

 次回に続く。

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