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2020年05月17日10:11

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仏教4〜聖典の成立と種類、如是我聞

●聖典

・成立と種類
 仏教の聖典の中心をなすのは、経典である。多くの経典があり、基本的には釈迦の教えを伝えるもの、またはそれに基づいたものである。今日に伝わる仏教の経典には、サンスクリット語、パーリ語、漢訳、チベット語訳等のものがある。もとの文献が消失し、漢訳しかないものもある。
 初期に編纂された経典は、釈迦が実際に説いた言葉をある程度、伝えていると考えられる。そうした経典のうち現代に伝わっているものの中に、『スッタニパータ』(経集)と『ダンマパダ』(法句経)がある。これらは、釈迦が折々に語った言葉を弟子たちが記憶し、口頭によって伝承してきた知識を集成したものと見られる。
 部派仏教の時代に作られたいわゆる小乗経典も、また記憶と伝承を文字化したものである。それらの経典を総称して、アーガマという。アーガマは「伝承」を意味し、阿含経と音訳する。アーガマは、基本的に出家者のための経典である。
 釈迦の死後、数百年以上経った紀元前後の時期から新しい性格を持った経典が現れ出した。その内容は、釈迦の実際に説いた教えを集成したものとは違い、経典の作者の理解や新たな思想を書いたものだろう。それらが大乗経典である。それらのうち、特に古いと考えられているのは、『般舟三昧経』『阿閦仏国経』『大阿弥陀経』である。続いて、般若経の経典群、浄土系経典、『法華経』『維摩経』『華厳経』『涅槃経』『如来蔵経』『勝鬘経』『金光明経』『仁王経』等が作られた。
 大乗経典には、出家者だけでなく、在家者を対象としたものや在家者が主体となったものが多い。後代のものになるほど、内容に神話的要素や文学的色彩が目立つ。また、7世紀後半以降、密教の経典として、『大日経』『金剛頂経』『理趣経』が成立した。大乗経典には、ヒンドゥー教の影響の見られるものが多いが、特に密教の経典はその影響が濃厚である。タントラと呼ばれる神秘主義的な傾向の強い文献の影響も見られる。

・如是我聞
 仏教の経典は、初期経典も大乗経典もすべて、「このように私は聞いた」という意味の言葉で始まる。漢訳では、「如是我聞」の句である。この場合の「私」は釈尊の弟子で侍者だった阿難(アーナンダ)をさすと考えられている。
 この冒頭の言葉は、仏陀がある場所で説いたことを筆者は確かにこのように聞いたという事実性・確実性を表すものと見られる。だがまたそれが釈迦の言葉そのものではなく、筆者が聞いてこのように理解したという間接性・主観性を表すものでもある。
 キリスト教では、聖書の著者は神であり、聖書は神の言葉そのものとされる。新約聖書の中心となる福音書は、イエスについて書き記している。イエスは「神の子」また「主」とされるが、福音書を書いたのは、人間である。また、四つの福音書は4人の筆者によって別々に書かれており、記述は部分的に異なっている。神イエスの言葉や行いとされるものが、四書によって異なり、一本化されずに公認を受け、聖書に併録された。そのことが、キリスト教徒の間に見解の相違をもたらすことになっている。
 一方、仏教では、冒頭に如是我聞の句が置かれることにより、筆者の主観的な理解や新たな創作をも、仏陀からこのように聞いたとして、正当化される。そのため、大乗経典の内容は、釈迦が折々に語った言葉を記憶と伝承に基づいて集成したものと見られる初期経典の内容とは大きく異なっている。そのことが、仏教徒の間に大きな見解の相違を生み出している。後世の人間が釈迦の言葉を装って、自分たちの思想を表現したものも、仏陀の教えとすることができたためである。そのため、仏教における見解の相違の大きさは、キリスト教におけるそれより、はるかに大きい。

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