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2020年03月14日23:32

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Fukusima50という映画を見てレビューを書いたが字数制限がかかったのでここに残すことにする。

映画館で見てきたのでネタバレありの感想を書く。

この映画はご存知東日本大震災での福島の原子力発電所の騒動を描いたものだ。時の経つのは早いもので東日本大震災から9年も経っている。もしこの震災を経験していない若者がいたら当時のことをよく調べてみてほしい。ウィキペディアとかyoutubeとかでもいいので。原作は門田隆将。この人は自分のカテゴライズ的にはネトウヨですが作家であることは明白。安倍首相とは近しいでしょう。なお映画のウィキペディアはこれ。自分としてネトウヨ臭くて正直好きになれませんね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Fukushima_50_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

映画の事前知識はそれとして、見た感想を書く。
率直に言ってこの映画は作られて良かったと思う。はっきり言ってストーリーはひどい。本店及び官邸が現場の現実を感じることもできず現場を振り回されて大変な状況で現場の努力だけでなんとかしましたって話。世の中そんな単純な話じゃないだろうと俺は思った。たとえばキャサリンビグローのゼロダークサーティとかイーストウッドのアメリカンスナイパーとか、それ以外でもいいんだけどそういう姿勢で作られた映画と比べたら、この映画は、ディズニーのようなチョロいフィクション。ファンタジーだ。薄っぺらい感動超大作って感じ。安っぽい映画だったと俺は思う。そりゃ批評家は酷評でしょう。そして観客は大満足なんでしょうね。単純な官邸と本店が悪みたいな作りが自分は残念でしかなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=AwwdYbpLOio

自分もよく見ている映画評論家の町山智浩がツイッターでこの映画に対するツイートと評価しないツイートのリツイートをちょっと前に良くしてた。内容は佐野史郎演じる菅総理が現場の邪魔しかしなかったということに対して異議を唱えているものだった。この映画を単純に楽しむ人ではない人にとっては言いたいことのたくさんある映画なのであろう。

自分は福一のメルトダウンの熱心なフォロワーではないので当時の菅首相の立ち振る舞いはよく知らないし吉田所長の立ち振る舞いも知らない。おそらくこの映画の脚本を書いた人もしくは監督は自分の監督者の身勝手な指示に振り回されてうんざりしているのかなと思った。そしてそれに立ち向かう俺たちっていう風に話をしたかったのかなとも思う。もしかしたら原作者の門田がそういう気持ちを投影させてこの話を書いたのかもしれない。何れにせよ事実がどうなのかは俺は知らない。
自分がツイッターとかで見た範囲では菅総理が現場に乗り込んでベントの邪魔をしたという映画の描写は事実ではなく東電の報告が上がってこない現実に業を煮やした首相が直接現場に乗り込んで話を聞こうとしたのが事実らしい。そこのところに門田の悪意を自分は感じてしまったが、どうだろうか。意見とか反論とかあればメッセージとか日記やつぶやきのコメントでもなんでもいいので教えてほしい。
なお、これが東電から出てきた報告書。
ttp://www.tepco.co.jp/cc/press/betu12_j/images/120620j0303.pdf

それで、自分の感想を書くのだが、この映画は作られてよかったのだと思う。原作者がネトウヨであったとしても複数来る原発の爆発と降りかかるコンクリートの壁とか真っ暗闇の中を走る懐中電灯を持ったペアの職員とかそういうリアル(に出来るだけ沿う描写)をフィルム(では最近ないのだろうが)に焼き付けて作品として後世に残しておこうという姿勢はとても素晴らしいと俺は思う。もの語りとしてこの世の中に(それが映画であれ小説であれ舞台であれ)残すことは日本人としてはしなければいけない仕事なのだと俺は思う(自分は全くそんな仕事はしてないし物語に関わることは出来ないのだけど)。そしてこの物語を日本民族のストーリーとして引き受けたくない人が沢山いるのであればこのようでありながらそうでない物語を作って映画でも小説でもテレビシリーズのドラマでも作るべきなのだ。フクシマをテーマとした、例えばシンドラーのリスト、男たちの星条旗のような確固とした物語を作って国民に提示しなければならない。

もちろんこの映画監督、もしくは門田は現状を良しとしてないのかもしれない。現初事故収束した後の「原子力明るい未来のエネルギー」のあの有名な双葉町の看板を差し込み問題は全然収束してないんだよととても細やかな暗喩として挿入されるる。美しい桜並木の中をプリウスで走り佐藤浩市が吉田所長のことを偲ぶシーンを入れることで何かを回避してるようにすら見える。間違えていたらお知らせ願いたいのだが吉田所長は福一の津波対策の防波堤の建設を東電の方針なのだろうが阻止してきた立場の人だとのことだ。そんな簡単な美談にしていいことなのだろうか?吉田所長や佐藤浩市が日本を救った英雄で佐野史郎や段田安則が悪者という安っぽい話で済むのだろうか?首相や東電の社長にも苦悩や迷いがあり本当の物語の作り手ならば彼らにも寄り添って人物像を掘り下げるべきではなかったのだろうか?そうであるならば佐野史郎が東電に乗り込んで社長に腹をくくれ、60歳以上は現場に行け俺も一緒に行くってシーンを違うように撮るべきではなかったのだろうか?そうできなかったのはなぜだろうか?と思った。

最後東京オリンピックが復興オリンピックとして聖火が福島から走るという趣旨のテロップが流れていたのだが、そのオリンピックが新コロナウイルスの関係でもしかしたら出来なくなるのかもしれない。佐野史郎のような発狂して東電や官僚を苦しめながらでも決断して物事を進めていく人が首相ならばもしかしたら中国や韓国同様に今、゜新コロナが収束に向かいつつあるのかもしれないが、今の首相は有本香に恫喝されてようやく対策を責任とって推進するようになった人だ。もしかしたらオリンピック継続か中止かの五月になっても新コロナは収束しないかもしれない。少なくても北海道では毎日罹患者の報告が複数ある。日本はこの後どうなっていくんでしょうかね?明らかにこの新コロナとロシアとOPECの原油産出量の調整で世界経済はよくない方向に動きそうだ。それに日本はうまく対応できるだろうか?

最後にこの映画を観る前にネットで見た面白い記事を二つ提示したい。少なくてもこの映画はファンタジーでありフィクションであることを痛感させられるものだ。そして原作者は門田でバイアスのかかっているものだと思ってこの映画を観るのがいいと思う。

https://hbol.jp/214557
https://this.kiji.is/610338727997850721

この映画があることを映画の好きな人は感謝しないといけない。「新聞記者」という映画がマイナーで売り上げもないながら日本アカデミー賞をとった映画があるがそれが許されてるのであればこの映画も日本アカデミー賞をとるべきだと思う。「新聞記者」は自分のレビューにもある通り欠陥はままあった。それでもこの映画が評価されたのはこの物語を作ろうとした監督や制作、役者などみんなの志にあったからだ。この映画も欠落はたくさんあるけでも、町山智浩や門田隆将の思想信条がどうであろうとも、この映画が存在することは日本にとって大きな意義を感じるのだしそうでなければいけないと俺は思う。映画という形で日本人はこの原発事故をいい事も悪いことも合わせて記憶すべきなのだ。

追記
この映画を見た菅直人のインタビュー
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020030900012.html

キネ旬の星取表では三人全員が星ひとつ
2020/2/27〜2020/3/14
http://www.kinenote.com/main/feature/review/newest/
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