吉本隆明・赤坂憲雄「天皇制の基層」作品社1990
本書は、吉本「全天皇制・宗教論集成」1989春秋社 に基づく対談である。
吉本の天皇制論は、赤坂との対談の方がまとまっているので、「基層」からの引用を中心にして、「軌跡」の引用を追加した。ここでは区別はしていない。そういう処理なので、文脈は乱れているが、思い切って、自分自身の理解しやすいようにまとめたのである。
１．吉本は本書のあとがきで天皇制研究の目的と動機を書いている。
１）目的は�‥傾弔氾傾沈�の起源を解明して、この宗教と法と国家の制度にまつわる神秘的雰囲気と浪漫的気分を払拭したい。
��王の権力や権威や民衆にたいする親和力や畏怖感、尊崇の伝習をつきとめる。
��できれば、天皇と天皇制が民衆の上に存在せずに、傍らの存在にすること。
２）そして動機であるが、ここでは太平洋戦争の敗戦をきっかけにとしか言っていないが、随所に、自分は皇国少年だったが、敗戦とその惨禍を見て天皇制批判に転じたとある。
天皇制という共同幻想の解体過程を明らかにしたい。
内戦によって、急に国家がなくなり、「国家より社会の方が大きい」という考えを得た。
（★海風注：吉本がいつの時点でマルクス・レーニン主義を勉強したのか知らないが、アジア的生産様式による専制主義の一種として、その中でも、国民を「狂気」に至るまで従わせる「魔力」を持つものだと判断したようである。）
２．なぜ知識人たちでさえ天皇の権威に抗えなかったのか
志賀直哉も島崎藤村、小林秀雄など文学的大家たちは、作為に満ちた天皇制に帰依してしまった。この膨大な恐ろしさを覆したいって言うのが、天皇制追究の戦後におけるモチーフとなった。
�‥傾沈�は神秘化された
伊藤博文は明治憲法に「万世一系の天皇これを統治す」と明記した。この「万世一系」とは、単なる世襲ではなく、淵源の不明な神秘的な神話に発することを含意している。
浅田彰は昭和天皇の臨終に際して、雨の中で砂利に伏して拝んでいる人をみて、土人だと言った。しかしこれでは外在的な批判に過ぎず、天皇制を無化する（海風注：日本人の心から天皇神話を消す）ことはできない。
�∋呂泙蠅�ら天皇制は宗教を内在している
オウム真理教は起源以前の宗教であり、日本転覆も考えていたらしい。宗教が権力を持てば、それも可能であろう。
ダライ・ラマのような生き神権力は正面から倒すことはできない。中共のやりかたでは、完全な形でチベットを支配できないはず。
今の天皇制で機能していたのは昭和天皇までだと思うが、それでも、象徴天皇であっても滅ぼすことはできない。
単なる統合の象徴から、さらに無化されて消えていくかもしれないが、それでも生き神的要素は残る。
��これまで、天皇制が存続しえた理由の一つは、どんな宗教も受け入れる融通無碍さにあった。
�づ傾沈�を支持する考え方
和辻哲郎や津田左右吉などの大正デモクラットは、コミンテルンによる三二テーゼ（天皇制を打倒せよ）への危機感から天皇制擁護に回った。
三島由紀夫「文化防衛論」は天皇を再び現人神にしようとする考え方。自分の戦時中に考えていた「神聖天皇」と同じである。
３．天皇制を無化するには、その神秘性を白日の下にさらすことにより、はく奪せねばならない。
�‥傾沈�と中国の王権との違い
農業生産のための大規模な灌漑工事の必要性が中国の王権の成立条件（ウィットフォーゲル）であったが、日本的の場合は池や溜池程度の工事だった。
むしろ、農業以前の母系的な習俗を継承して存続したと考えられる。
天皇制は実際には万世一系ではなかったにしても、前王朝を滅ぼしてという中国のような交代ではなく、灌漑工事は継続されるし、首都も移転することもない。基本は母系制なので、皇后の出身地に都を移したりする。
皇后の託宣によって政治を行ったりもしていた。
また、中国は漢民族とトルコやヨーロッパ人などと大規模に混血しているが、日本は、大陸にはいなくなった縄文人（日本に渡って混血しなかったので、プレ・アジアの要素を残す）と後に渡来してきた新日本人と混血しただけ（海風注：つまり、原初の習俗を残す条件があった）。
日本列島には少なくとも数万年前から人が住んでいて、一万年間の見事な縄文文化があり、これが日本人の基本になっている。
��天皇制の習俗の元
大嘗祭の悠紀殿と主基殿は、掘立小屋二つ建ててやる南洋の祭式と同じであり、その中での儀式は南洋のお産と同じである。
また、昭和天皇の葬儀は、田舎で幟を立てて墓地へ行くのと同じだった。
４．天皇制の無化とその後の日本
�／誓仕傾沈�は占領軍から解放されたからと言って打倒できるものではない。広義に解釈できる象徴天皇制の思想こそが問題である。
天皇制は稲作を産業基盤としていた時代の共同幻想であって、第一次産業が消滅してゆけば自然に無化され得る。
ただし、先に保田與重郎が解明していたが、網野善彦の中世王権と非農業民のかかわりを実証している。
国家もそうだが、始まったものは必ずなくなる。象徴天皇制もなくなるし、なくなった方が良い。
��天皇制の責任
天皇は統帥権を持っていた。天皇は大臣たちの進言を拒否もできたので、戦争責任はある。
また、「現人神だと思えなければ命を的にできない」と言って行動した大衆がたくさんいた。天皇の神秘的な権威が原因なので、意図はなくても天皇の責任になる。
（海風注：天皇の統帥権についても、陸軍参謀総長と海軍軍令部長の輔弼に従うはず。明治憲法での軍政を含む全行政と軍事との書き方が違うのかもしれないが、英国王を模範とした立憲君主を目指した昭和天皇が、輔弼に反した命令をするとは、あるいはできると思っていたはずはない。
また、貴族の戦争から国民戦争となったナポレオン以来、兵士は国を守るために戦ったはずなので、「現人神」がいなければ戦争できない、などとあるはずもない。ここは、反戦論者の赤紙一枚で、というプロパガンダと同じレベルの主張で、思想家吉本らしくない。）
★海風：
むろん吉本のような皇国少年でも転向しなかった人もいる。学習院大教授の仏文学者で、テレビ「クイズ・ダービー」でも人気のあった篠沢秀夫など。
逆に、当時はそれらしくなかった三島由紀夫が、戦後に過激な天皇制支持者になっている。
二・二六事件の処分で、昭和天皇を敵視するようになった歌人の斎藤史が平成の歌会始をきっかけに、（巫女そのものだが）処刑された将校たちと共に天皇家と和解したという例もある。
★海風：まとめ
１）吉本におけるフロイト的方法
正しく認識すれば神経症は治癒する。幻影に惑わされることもなくなる。というフロイトの方法が、吉本の天皇制無化の方法論らしい。
吉本は暴力革命派ではなく、天皇にまつわる幻想を取り去って行けば「無化」する、それしか方法はないと考えていたのだろう。
確かに、イエス、ペテロ、パウロの肉体を滅ぼしてもキリスト教の拡大を止めることはできなかった。
一方、フランス革命いらい、ヨーロッパの王制の多くは廃止され共和制に移行した。だいたいが二度の世界大戦の敗戦国に多かったが。
しかし、日本の場合は徹底的な敗戦だったし、王制も大きく変えられたが、それでも維持されているし、戦後70年たってなお支持者が多い。
その要因を、吉本は天皇制の中に宗教などの神秘的要素を含むからだと考えている。キリスト教に見るように、宗教を暴力で滅ぼすことはできない。ヨーロッパ王家の場合、宗教的要素はローマ法王が独占したわけで、王家の存在は成功した統治者でいられるかどうかにかかっていた。で、統治者として敗戦責任を問われたわけである。
これは偶然かもしれないが、英国王は英国教会の首長でもある。宗教と一体的なのである。
ということで、吉本は天皇制に内在する宗教的・神秘的要素を明らかにすることで、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」のように、なんだ、そんな下らないものだったのかと分からせることで、無化できると考えている。
２）吉本は文化人類学や柳田の民俗学を誤解しているのではないか。
宗教的要素を下らないと価値付けるのはフランス革命を起こした啓蒙主義思想であった。そして同時に、ヨーロッパの思想が人類最高の達成だと思っていたのだが、それを覆した大きな要素・要因が文化人類学であり、民俗学だったはず。
そもそも資本主義は貨幣と商品・労働の交換によって成り立っているが、その交換自体太平洋諸島の原始社会で行われて来たことであった。
それに社会が成り立つには、吉本の言う「共同幻想」が必要条件ではないのか。大災害があっても、日本では略奪や暴動が起きないとされているが、これは地縁社会で成り立っている日本の共同幻想の結果と言ってよいのでないか。きだみのる「にっぽん部落」が根底にあるからだと思える。
吉本はできたものは変わると言うが、「作為」ではなく、「なった」ものは容易には変わるものではない。作為の社会主義は倒れても、交換の資本主義は修正されることはあっても古代と連続し、長く続くはずである。
そもそも、吉本は、天皇制の無化された日本社会がどうなるのか、何も見せてくれない。幻想を払って合理的に生きていく、だけでは無責任であろう。
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