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2019年10月04日09:37

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インド4〜ヒンドゥー教の聖地、他宗教との関係

●聖地

 ヒンドゥー教には、多数の聖地がある。なかでも七大聖都とされるのが、次の場所である。

・ヴァーラーナシー(ベナレス)
 インド北部中央にある。ガンディース川左岸に位置する。七大聖都のうち最も重んじられるインド最大の宗教都市。郊外にゴータマ・ブッダ(釈迦)が初めて説法を行ったサールナート(鹿野苑)があり、仏教の聖地としても重要。

・ハリドワール
 インド北部にある。ガンディース川上流に位置する。地名は「神の門」の意。神とアスラが不死の妙薬アムリタの入った壷を奪い合ったとき、アムリタが4滴こぼれて地上に落ちた。その4滴のうちの1滴がこぼれた場所とされる。

・マトゥラー
 インド北部にある。ヴィシュヌの化身クリシュナの誕生した丘がある。ヤムナー川沿いに沐浴場が連なる。

・アヨーディヤ
 インド北部にある。『ラーマーヤナ』の主人公ラーマ王子の故郷。

・ドワールカー
 インド北西部にある。クリシュナが住んでいたとの伝説があり、クリシュナ寺院が有名。

・ウッジャイン
 インド中央部にある。アムリタの雫が落ちたとされる場所の一つ。シヴァ寺院が有名。

・カーンチープラム
 インド南部にある。7世紀頃から栄え、古い寺院が多く残っている。とくにシヴァ寺院が名高い。

●他宗教との関係

 ヒンドゥー教は、ジャイナ教、仏教、スィク教など、インドに起源をもつ宗教をすべてヒンドゥー教の分派とみなす傾向がある。インド憲法25条では、ジャイナ教、仏教、スィク教の信徒も、広義のヒンドゥー教徒として扱われている。
 これは、ヒンドゥー教が他の宗教に対して否定的であることを意味しない。ヒンドゥー教徒は異なった宗教を奉じる人々に寛容であり、ヒンドゥー教徒が武力を以て他の宗教を迫害したり弾圧したりした事例は、ほとんど存在しない。
 歴史的にインドにおける宗教戦争は、インド起源の宗教同士の争いではなく、主に外来のイスラーム教がジャイナ教、仏教、ヒンドゥー教等を攻撃したものだった。ただし、第2次世界大戦後、イギリスからインドとパキスタンが分離・独立した後には、三次に及ぶ印パ戦争が起っている。この戦争は、ヒンドゥー教とイスラーム教の間の争いだが、それ以上に近代国民国家間の戦争という性格が強い。

●宗派間の関係

 ヒンドゥー教では、宗派間においても寛容の精神が見られる。ヒンドゥー教には多くの宗派があり、また多数の神々が祀られている。人々は宗派または個人によって特定の神々を信仰する。だが、そうした宗派間、個人間で他の神々を排斥することが少なく、人々は他の神々をも合わせて尊崇する傾向がある。高度に発達した思想を持つ六派哲学の学派においても、原始的な信仰を排斥せず、それらを思想体系の中に包摂している。このようにヒンドゥー教徒は、互いの宗派や信仰に対して寛容である。この寛容の精神が他宗教に対しても発揮されているものと理解できる。

●改宗の場合の条件

 他宗教からヒンドゥー教への改宗は可能である。問題は、そこに、カースト制があることである。カースト制すなわちヴァルナ=ジャーティ制については、後に詳しく書くが、インド独特の身分制である。人々は四つのヴァルナ(種姓)という身分に分けられ、他宗教から改宗した者は、最下位の身分であるシュードラに入ることしかできない。そのことが、他宗教からヒンドゥー教への改宗を難しくしている。
 一方、ヒンドゥー教からイスラーム教や仏教等に改宗する場合は、下位の身分の者が差別から抜け出すためであることが多い。
 ヒンドゥー教が深遠な宇宙哲学・生命哲学を説き、また一時はインド亜大陸の外にも広がったにもかかわらず、世界宗教になれないでいる最大の理由は、その教義がカースト制と深く結びついていることにある。ヒンドゥー教はカースト制から脱却しないと、世界宗教にはなり得ない。この点、しばしば多神教としてヒンドゥー教と比較される神道はカースト制がないので、世界宗教になり得る可能性を秘めている。

 次回に続く。

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