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2019年03月06日08:55

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キリスト教169〜東南ヨーロッパの宗教事情

●東南ヨーロッパ(バルカン半島・黒海西岸)

 東ヨーロッパという概念は、一般にバルカン半島・東地中海沿岸を中心とした地域に使われたり、旧ソ連圏の東欧諸国が所在する地域に使われたりする。本稿では、これらを合わせて東ヨーロッパとし、前者を東南ヨーロッパ、後者を東北ヨーロッパとする。
 東南ヨーロッパのバルカン諸島や黒海西岸地域では、古代から東方正教会の教化を受けた。ローマ帝国分裂後、東ローマ帝国が1000年近く存続し、キリスト教化が進んだ。この間、ギリシャ正教会の他、それから分かれたルーマニア正教会、ブルガリア正教会、セルビア正教会等、各地に独立教会が作られた。また、北方からスラヴ人の移住が続いた。スラヴ人は、この地域でセルビア人・クロアティア人・スロヴェニア人などに分かれた。
 オスマン帝国によって東ローマ帝国が滅亡すると、地域によってはイスラーム教が浸透した。そのため、バルカン半島では、古代からの東方正教会と、中世からのイスラーム教がモザイク状に混在している。この半島のイスラーム教徒は、第1次世界大戦後、オスマン帝国の支配が終わっても、ほとんどキリスト教に改宗していない。
 古代から現在のロシアの西方や南方に多数移住したスラヴ人は、独自の王国を建設した。彼らは、北欧・西欧の諸国からの干渉を受けたり、東ローマ帝国と争いを繰り返すなどするうちに、東方正教会とビザンツ文化を受容するようになった。
 ロシアの西方は、本稿にいう東北ヨーロッパに当たる。ロシアの西方でスラヴ人は、ポーランド人・チェコ人・スロヴァキア人などに分かれた。彼ら西スラヴ人の諸国は、西方に位置するヨーロッパ諸国との交流が盛んで、ローマ・カトリック教会を受容し、ラテン文字を使用した。東スラヴ人が、ギリシャ正教会から独立したロシア正教会を信仰し、ロシア文字を使用するようになったことと対比される。
 中世から近代にかけて、東北ヨーロッパは、諸民族の国家が連合王朝や連合国を作ったり、ドイツ系の神聖ローマ帝国やオーストリア帝国などの一部とされることが多かった。ハンガリーは、1867年からオーストリアとの二重帝国を形成した。
 ロシアは19世紀後半から、バルカン半島に目をつけ、この地域の国際関係に介入した。スラヴ系民族の文化的一体性を強調し、その統合をめざすパン・スラヴ主義を推進した。一方、オーストリア=ハンガリー二重帝国は、ドイツの後ろ盾でパン・ゲルマン主義を唱え、パン・スラヴ主義の拡大を抑えようとした。
 スラヴ系とゲルマン系の両主義の対立に、東南ヨーロッパのバルカン諸国間の対立が加わって、バルカン半島は大国、小国の利害が複雑に絡み合う地域となった。その利害衝突が高じて、バルカン半島から勃発したのが、第1次世界大戦である。
 この世界史上初めての大戦が終了したわずか21年後、再び世界は戦争に突入した。第2次世界大戦において、東ヨーロッパは、ナチス・ドイツとソ連が衝突する場所となった。第2次大戦後は、共産圏に組み込まれ、多くの国がソ連の衛星国となった。米ソ冷戦の終結及びソ連の解体後は、多くの国が欧米諸国と政治的に連携し、北太平洋条約機構(NATO)に加盟したり、欧州連合(EC)に加盟したりしている。

 次に、キリスト教の歴史を東南ヨーロッパの主な国々について見ていこう。
 バルカン半島南端に位置するギリシャは、国民の大多数がギリシャ人である。国家としては、1830年にオスマン帝国から独立した。主たる宗教は、ギリシャ正教会である。かつては国教の地位にあったが、憲法が改正され、国教ではなく、支配的宗教へと後退した。同教会は、アテネ大主教の管掌下にある。ただし、クレタ島とアトス山はコンスタンティノポリス総主教庁の管轄下にある。イスラーム教やカトリックは、少数派である。
 バルカン半島南西部に位置するアルバニアは、国民の多数がアルバニア人である。アルバニア人は、インド=ヨーロッパ語族に属する。オスマン帝国に支配された歴史や、第2次大戦後はソ連圏の社会主義国であった期間を持つ。後者の期間の影響で、無宗教の者が多い。日本外務省の資料によると、イスラーム教57%、カトリック10%、正教会7%等の割合である。アルバニアは、ヨーロッパで唯一のイスラーム協力機構の正規加盟国である。同国のムスリムは穏健で世俗的といわれる。国外のアルバニア人には、ムスリムが多い。
 バルカン半島北東部で黒海西岸にあるブルガリアは、もともとトルコ系のブルガール人の国だった。東ローマ帝国に併合されてギリシャ正教に改宗したが、その後、スラヴ人が増加し、現在は、スラヴ人が国民の8割以上を占める。オスマン帝国に支配された歴史と、第2次大戦後、ソ連圏の社会主義国であった期間を持つ。宗教は、2001年の国勢調査によると、ブルガリア正教会が82.6%、イスラーム教が12.2%等である。ムスリムはトルコ系に多い。
 ルーマニアも、バルカン半島北東部にあり、黒海西岸に面する。国民の大多数はルーマニア人である。ルーマニア人は、トラキア系のダキア人とローマ人の混血と言われる。
宗教は、2011年の調査によれば、ルーマニア正教会が81%、プロテスタントが6.2%、カトリックが5.1%等である。
 クロアチアは、バルカン半島北西部に位置する。第2次大戦後、多民族国家のユーゴスラビアの一部だったが、1991年に独立した。国民の大多数は、南スラヴ人のクロアチア人である。宗教は、カトリックが86.3%、セルビア正教会が4.4%等である
 セルビアも、ユーゴスラビアから独立した。南スラヴ人のセルビア人は、東ローマ帝国に服従してギリシア正教に改宗したが、その後、オスマン帝国に支配された。国民の大多数を占めるセルビア人のほとんどは、セルビア正教会に所属する。セルビア正教会が84.9%、カトリック5.5%、イスラーム教3.2%等である。
 セルビアから分離・独立したモンテネグロには、モンテネグロ人が多いが、セルビア人と言語的・文化的に大きな違いはない。宗教も正教会が主だが、セルビア正教会の他にモンテネグロ正教会が存在する。人口に対する割合は正教会74%、イスラーム教が18%等である。
 ボスニア・ヘルツェゴビナもユーゴスラビアから独立した。国民は南スラヴ人が主で、人口の48%を占めるボシュニャク人は、オスマン帝国支配下でイスラーム教に改宗したため、多数がムスリムである。また、14%を占めるクロアチア人にはカトリック、37%を占めるセルビア人には正教会が多い。

 次回に続く。

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