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2018年10月17日09:42

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キリスト教107〜産業革命による文明間の変化

●産業革命による文明間の変化

 次に、産業革命による文明間の変化について述べる、
 先に書いたように産業革命によって、初めてイギリスはインド文明に対して生産力で優位に立った。かつてインドからイギリスに流れた木綿が、今度はイギリスからインドへと逆流した。それまでヨーロッパへの輸出に依存していたインド綿業は壊滅的な打撃を受けた。「この窮乏は商業史上に例を見ない。木綿職工の骨は、インドの野を真っ白にそめあげている」と描かれるような事態となった。これがムガル帝国の経済的基盤を掘り崩した。
 インド木綿がイギリス木綿にとってかわられたことは、イギリスにおける近代西洋文明の確立と、インドにおけるイスラーム的インド文明の凋落とを象徴する事件だった。インドは、やがてイギリスの植民地とされることになる。
 産業革命の結果、イギリスはアジアに木綿を輸出し、東方から銀を手に入れられるようになった。それによって、近代西洋文明は19世紀を通じて、ユーラシア大陸の他の諸文明を、次々に中核―半周辺―周辺構造に組み込みながら、発展していく。近代前期のユーラシアの五つの世界帝国と、西欧の世界経済の並立という状況は、産業革命によって大きく変貌する。近代世界システムの中に大英帝国という世界帝国が出現し、この近代化された世界帝国が、他の世界帝国を従えていった。
 産業革命は、大きく世界を変えた。産業革命は、機械による安価な大量生産を可能にした。紡織機の動力は水力から蒸気力に替わり、化石燃料である石炭が利用されるようになった。これにより、動力革命・エネルギー革命が起こった。
 動力革命・エネルギー革命は、交通革命をも引き起こした。陸では蒸気機関車の発明により、原料や製品が大量に運搬できるようになった。海では19世紀半ばに改良が進んだ蒸気船が高速で安定した輸出を実現した。陸海の交通革命の結果、都市が生活用品の大部分を生産する重要な生産の場に変わった。
 とりわけ鉄道建設は、1840年代から50年代にかけてラッシュとなった。50年代初頭には早くも鉄道網がイギリスを覆い、首都ロンドンを中心とする全国的な鉄道網が出来上がる。鉄道は都市の生活を農村に普及させ、都市と地方の生活の平準化を進めた。鉄道が作り上げた均一性を有する空間が、国民国家・国民経済という新システムの土台になっていく。鉄道建設の波はヨーロッパ大陸へと急速に広がり、国内市場の統一、国民国家の形成に大きな役割を果した。
 近代世界システムの中核部で、都市に人口が集中すると、高速輸送ネットワークを通じて、大量の食料や工業原料が、都市に供給されるようになった。それによって、さらに人口が集中し、都市と都市が結びついた広域的な人口稠密地帯が広がった。これが、都市爆発の時代の始まりとなった。
 産業革命とそれに伴う都市爆発によって、大規模な自然開発が進められた。エネルギー資源、工業原料、食糧等の生産は、森林の伐採、大気・河川・土壌の汚染、CO2の排出等、環境問題も生み出していく。
 ここにおいて、自然を征服・支配するというユダヤ=キリスト教の思想が、科学技術の力と結びつくことによって、地球の自然の破壊をもたらすことになった。

 次回に続く。

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