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2018年08月10日08:07

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キリスト教86〜キリスト教と資本主義・近代化・西洋化

●キリスト教と資本主義・近代化・西洋化

 ヨーロッパ文明における近代化は、文化的領域で始まり、社会的・政治的・経済的の領域でも進展していった。次に重要な出来事として、資本主義の発生・発達がある。
 先に書いたように、西欧における近代資本主義の発生・発達は、宗教改革抜きには考えられない。プロテスタントは、プロテスタンティズムの倫理によって、神の栄光を増すための「道具」として勤勉に働き、倹約に努めた。その結果として利潤が生まれ、資本が蓄積された。だが、一旦、資本が形成されると、資本は利潤を要求し、利潤を上げるための経営をしなければならなくなる。
 近代的な産業資本の形成によって、資本は、利潤の獲得を目的とした価値増殖の運動体に転じた。資本の価値増殖運動は、人間の欲望を拡張する活動である。資本主義の機構を生み出した宗教的な倫理は忘れられ、利潤の追求が肯定されて、価値観が大きく転換した。人々は来世の救済より、現世の利益を求める。もはや宗教的な禁欲ではなく、富と快楽を追求する欲望こそが、経済活動の推進力となった。
 ここで私が強調したいのは、産業資本の確立期以降の資本主義の精神は、キリスト教よりもユダヤ教に近いものに変貌したことである。ユダヤ教は、現世における利益の追求を肯定し、金銭の獲得を肯定する。プロテスタンティズム的な「世俗内禁欲」とは正反対の価値観である。そして、ユダヤ教に基づく価値観が非ユダヤ教徒にも共有されるようになったものこそ、今日に至る資本主義の精神だと私は考えている。
 西欧のキリスト教社会では、もともと金銭を扱うことは汚い職業とされていた。そのため、ユダヤ人が金融業を担当していた。『申命記』に「外国人には利子を付けて貸してもよいが、同胞には利子を付けて貸してはならない。」(23章21節)と定めている。また「外国人からは取り立ててもよいが、同胞である場合は負債を免除しなければならない。」(15章3節)と書かれている。ユダヤ人は、この教えに従って、キリスト教徒に利子をつけて貨幣を貸し、利子の支払いを受け、取り立てをした。その商慣習がキリスト教徒の間に定着したとき、西方キリスト教圏に近代資本主義が胚胎したと私は考える。
 キリスト教徒には金貸し業が禁止されていたのだが、15世紀末から16世紀になると、禁止の規定は無視されるようになっていた。南ドイツ、アウグスブルクの商業資本家ヤコブ・フッガーは、ローマ教皇や諸侯に対する高利貸し付けで有名である。フッガーは、早期にユダヤ的価値観を実践したキリスト教徒であり、その後のキリスト教徒資本家の先駆的存在の一人となった。
 彼が活躍した15世紀末から16世紀にかけての時代、ヨーロッパ文明は新大陸に進出し、利潤追求・金銭獲得にむき出しの欲望を働かせた。それによって得た富が、資本の本源的蓄積となった。西欧人は非キリスト教徒の有色人種を非人間視した。インディオに強制労働をさせて銀を収奪し、黒人に奴隷労働をさせて砂糖や綿花で富を得た。共産主義の理論家カール・マルクスは、西欧社会の労働者をプロレタリアと呼んだが、白人種に奴隷にされた有色人種こそ、生産手段たる土地から引き剥がされ、鉄鎖以外には失うことのないプロレタリアだった。そして、私はこうした異教徒を奴隷化し、彼らを使役して富を得る欲望こそが、西方キリスト教圏に現れた近代資本主義の精神の最も根底にあるものだと思う。また、そこには、周囲の異教徒を敵視し、自らの神観念を絶対化するユダヤ教に通じるものがあると考える。
 資本主義の発達は、社会学者イマヌエル・ウォーラーステインのいう「近代世界システム」を生み出した。ウォーラーステインによると、近代世界システムは、「長期の16世紀」(1450〜1640年頃)に、大西洋を囲む地域に成立した。この期間に西欧をラテン・アメリカやアフリカに結びつける分業体制が成立した。近代世界システムは、過去の世界帝国と違って、中央に強力な政治権力が存在しない。経済的にのみ一元的で、政治的、文化的には多元的なシステムである。それゆえ、ウォーラーステインは、これを世界経済と呼ぶ。近代世界システムを統一する論理は、資本主義である。そしてヨーロッパ文明は、資本主義世界経済として発達しつつ、北米にも広がり、近代西洋文明になった。この過程で他の非キリスト教諸文明つまりアステカ文明、インカ文明、イスラーム文明、インド文明、シナ文明等を包摂していった。
 この間に「近代世界システム」は、中核―半周辺―周辺の三層に構造化された資本主義世界経済として形成された。この三層構造は、中核部が周辺部及び半周辺部から富を収奪し、中核部はより豊かに、周辺部はより貧しくなっていく構造として発展した。アジア・アフリカ・ラテンアメリカは最下層の周辺部となり、東ヨーロッパは半周辺部となった。 それによって、西欧のキリスト教徒は、富と権力を増大した。これと併行して、西欧の社会では、内部的な変化が進んだ。西欧では、中世末期に封建制の農村において家内制手工業が発生した。商品経済の発達は、徐々に封建制を突き崩し、封建制から資本主義への移行が進んだ。
 拙稿「ユダヤ的価値観の超克」に書いたように、私は資本主義化、近代化、西洋化は、同時にユダヤ的な価値観の浸透・普及の過程でもあると考えている。ユダヤ人は、西欧において、ユダヤ教のプロテスタンティズムへの浸透を通じて宗教の合理化に影響を与え、また商人・貿易商・銀行家・財務官等の職業を通じて経済の合理化を進めた。また、白人キリスト教徒ともに有色人種を支配・搾取し、北米・中南米・アジア等の各地域に活動を広げて、資本主義を世界に拡大し、それによって近代西洋文明を非西洋文明に広げた。その過程は、ユダヤ的価値観のキリスト教諸文明及び非キリスト教諸文明への浸透・普及の過程だった。
 ユダヤ的価値観とは、繰り返しになるが、物質中心・金銭中心、現世志向、自己中心の考え方であり、対立・闘争の論理、自然を物質化・手段化し、自然の征服・支配を行う思想である。多くの場合、こうした思想は近代西洋の思想と考えられている。確かにこの思想の特徴は近代西洋思想の特徴とほぼ一致する。それは、近代西洋思想がユダヤ=キリスト教の文化を土壌として発達したからである。近代西洋思想の核心には、ユダヤ的価値観が存在する。近代西洋思想には、他にギリシャ=ローマ文明、ゲルマン民族の文化から受け継いだ要素もある。また、キリスト教にはユダヤ教とは異なる思想がある。だが、それらすべての中でユダヤ文化、特にユダヤ的価値観が近代西洋思想に最も決定的な特徴を与えている、と私は考える。
 資本主義世界経済の発達によって、ユダヤ教の価値観がヨーロッパ文明のみならず、非ヨーロッパの諸文明にも浸透していった。ユダヤ人だけでなく、ユダヤ的な価値観を体得した非ユダヤ人が、ともに世界的に資本主義経済を推進している。この間、キリスト教徒は、ユダヤ的価値観の影響を受け、キリスト教本来の精神を失ってきている。
 私の見るところ、異端尋問・魔女狩り・宗教戦争とユダヤ教徒への迫害には、共通の文化要素がある。その要素とは、ユダヤ教に発するセム系一神教の排他的な性格である。それが、中世の末期から近代の初期にかけて、ユダヤ教から派生したキリスト教の土台・根底から強く現れてきたのである。
 イエスは、隣人愛を説き、パウロは、神は愛であると説いた。しかし、世界に進出するキリスト教徒において、その愛は異教徒には及ばされなかった。いやキリスト教社会の内部ですら、他宗派には及ばされなかった。異なるものを徹底的に排除し、破壊しようとするのは、イエス=キリストの教えというより、ユダヤ的なものである。ユダヤ教から出てユダヤ教を超えたイエスの教えは、千数百年の間にキリスト教が腐敗・堕落・対立・分裂する中で、ユダヤ的価値観に敗れた。隣人愛の思想は、物欲・禁欲に敗れたのである。21世紀において、キリスト教は、いかにしてユダヤ的価値観から脱却するか。キリスト教徒は、この課題を認識し、単に一宗教における課題ではなく、人類的な課題として取り組むべきである。拙稿「ユダヤ的価値観の超克」は、キリスト教徒には、そのような問題意識を持って参考にしてもらいたいものである。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm

 次回に続く。

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