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2018年06月17日14:38

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ファンタジーの中へ(100) 芳川泰久「横断する文学 三島由紀夫」

 第4章 禁忌のトポロギーー空間の不可能あるいは三島的(時間)の生成

 先に同じ著書から大江健三郎に関する部分の書評をしたが、もう一つ三島由紀夫に関するものを読むことにした。この著者のものは難解で、刺激にはなるが自分流に読むしかない。

 ここで対象になるのは、「豊饒の海」、「金閣寺」、「午後の曳航」それに「音楽」などである。
 ただし、著者が問題にするのはストーリーでなくて、共通に現れるモチーフであって、フロイトの精神分析に近い。
 そのモチーフとは、登は内部に居ながら自分で外からカギをかけて自分を閉じ込めたい「曳航」。その後、登はコーヒーに毒を入れて母の再婚相手の義父を殺す。
 自分の母のごとき金閣寺の内部に入れない「金閣寺」。その後、金閣寺に放火する。
 兄の子供を産みたい。いや、兄そのものを自分の子宮に入れておきたい「音楽」。
 養子の関係であるが、清顕は姉の聡子を妊娠させる「春の雪」。その後、聡子は堕胎して尼になり、清顕は死んで転生が始まる。

 以上、いずれも近親相姦のタブーが暗示されているか、そのものであって、その不可能性に挑んだ挙句、その全体構造を破壊してしまうものであった。

 ところで、出世作の「仮面の告白」は少年の時からの男色に惹かれて通常の男女の性愛に至れない青年を主人公として、世間をあっと言わせたのだが、他にも問題のあるモチーフがあった。まあ、後から思い当たることになったのだが、結核を疑われて徴兵を免れたこと。小説では、必然の戦死から日常の生へ向かって逃げ出したように描かれてはいるが、実際は生涯のトラウマになったようである。
 もう一つは、妹の早世・急死である。これは小説内では、あっけなく、などと一行で済まされていたように記憶しているが、後の対談では大変なショックだった、もっと書き込みたかったがと述懐している。最後の方だったから草臥れてなどと弁解していたが、実際には喪失感がひどくて書けなかったのだろう。 

 こうしてみると、三島はドイツロマン派(ゲーテ「ファウスト」、ノヴァーリス「青い花」など)の系譜をひいて不可能に挑戦するロマン派そのものだと思える。わざわざ日本浪漫派などと色分けする必要もない。違うとしたら、最後は自滅するところだろうか。
 本書で対象となっている近親愛の不可能性の追求については、急死した妹への愛が出発点になっているように考えられる。この点では、宮沢賢治に似ているのであるが。

 もう一つの、あの時に戦死から逃げるべきでなかったという思いが、「豊饒の海」や「英霊の声」に結実し、最後の自衛隊突入と自決へとつながった。本書の著者の指摘のように、不可能の追及が破滅へと向かう。それを現実のものにしたわけである。

 ところで不可能性の追求がファンタジーノベルに至る場合がある。ドイツロマン派でいえば、「黄金の壺」や「クルミ割り人形」のホフマンである。
 また、三島の「豊饒の海」の転生もファンタジーであるのだが、ただし、結果は無駄な転生だったという苦い結果である。やはり小説ではダメだ、現実を見せなければという思いがあったのだろうか。


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