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2018年06月15日12:34

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キリスト教61〜東西教会の違い

●東西教会の違い
 
 キリスト教史の古代はキリスト教の発生から、395年のローマ帝国の東西分裂までである。中世は前期と後期に分けられ、前期が1054年の古カトリック教会の相互破門による東西分裂まで、後期が1453年の東ローマ帝国の滅亡と英仏百年戦争の終結までとに分けられる。
 ローマ帝国の東西分裂で古カトリック教会が東方の教会と西方の教会に分かれた際、最初は大きな違いはなかったが、段々教義や制度等の考え方の違いが大きくなっていった。
 古カトリック教会は、451年のカルケドン公会議まで4つの管区に分けられていたが、この会議によって、エルサレムが第5総主教区とされた。これにより、総主教区は、ローマ、コンスタンティノポリス、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムの5つになった。このうちローマ総主教区は、後のローマ・カトリック教会の勢力範囲となる。一方、ローマ以外の4つの総主教区を、東方正教会という。地域的には、中近東、北アフリカ、バルカン半島の諸教会である。
 ローマ教会が、ローマ帝国滅亡後の西地中海地域において、政治的・社会的な必要に応じて、教義や組織を変化させていったのと異なり、東方正教会は、東地中海地域において、ギリシャ文化圏で発達したキリスト教の伝統を保守し続けた。そのため、時代が進むにしたがって、教義や組織等に関して、東西教会の違いが明瞭になっていった。
 こうした東西両教会の違いは、基本的な人間観・世界観・実在観の違いに根差すものである。その違いについては、教義の項目にいくつか書いたが、人間観、世界観、実在観の全般に渡り、そこから教会の組織や政治と宗教の関係等にも生じている。
 西方キリスト教は、アダム以来、人間の本性に受け継がれているものとして原罪を強調し、人間を堕落したものと見る。そうした人間を救いに導くのは、規律だとする。規律の重視は、合理的にものを考える人間を生み出す。組織の形態は、規律を指示・保持できる中央集権のピラミッド型となる。教皇を頂点とした教階制度が発達する。また、人間は堕落していることを徹底的に認識させ、その状態から抜けだせるように努力させる。現状を悪とみなし、改革を善とする。そこから、発展を良しとする考えが発達した。
 これに比し、東方キリスト教には、人間が神に善なるものとして創造されたことを強調する。堕落という言葉は使うが、西方における意味とは違い、人が自分の意志と力で神の似像を脱いでしまうことを堕落と言う。堕落の罪は人の行為により生じるとする。人が堕落するのは、つねに自分の意志により、神に背を向ける行為や生き方に自分を委ねるからである。人の罪は、一人一人の人間が、人性の中で堕落の行為を取る時に生じる。それによって、死が人に訪れ始めると考える。人間は堕落によって、神から与えられた神のイメージを失ってしまっている。キリストの救いは、人間にこのイメージを回復させるためにあるとされる。神の力と働きに人が預かり、神と交わりを持つとき、はじめて人間と呼ばれ得るものとなると考える。神に向かって生き続けるという上昇志向がなければ、真の人間とは呼ばれない。
 これに関連することとして、東方では人間の自由意志を肯定するが、西方では自由意志を否定する傾向がある。西方では、イエスは人類の原罪を購ってくれた救世主とされるが、東方では、イエスは死を克服して復活したことで人類に死を克服することを示してくれた指導者ということが強調される。東方では神と人間の一体化を目指すが、西方では神と人間の隔たりを重視する。
 また、西方キリスト教では、精神または霊魂を肉体よりも重視し、霊的な救済を追求する。これに対し、東方キリスト教では、霊肉一致を主張する。
 次に、西方キリスト教では、聖と俗をはっきり区別する。来世は聖なるもの、現世は俗なるものとする。教会は、現世という俗界にあるが、来世という聖界の一部である。ここから聖なる教会に対し、俗なる社会という考えが生じる。こうした聖と俗の区別に基づいて、政治と宗教を分離する体制を取る。東方キリスト教では、聖と俗は対立関係ではなく、死と俗は調和の関係にあり、俗は聖を回復し、最終的には一元に復帰するものと考える。俗なる現世と聖なる来世の関係は、キリストによって隔たりが取れたとする。つまり、すでに現世に、来世の力が及んでいると考える。現世は否定されるべきものでなく、来世への橋渡しをするものとする。こうした聖と俗を区別しない考え方から、政教一致の体制を取る。次に、神学においては、西方キリスト教は、合理的知性を以って、論理的に教義の体系化を目指す。その神学は、神について知性的に学ぶという傾向がある。東方キリスト教は、古代の信仰を忠実に受け継ぎ、現実の信仰体験を前提としている。神学者たちは、信仰を、哲学的な言葉で体系化する代わりに、聖書をもとに体験的な言葉で詩的に表現し、信仰の論理を打ち立てる。その神学は、神について体験的に身を以って学ぶという傾向がある。
 西方キリスト教では、天国と地獄の中間領域として煉獄を創り出した。だが、東方ではそれを正式の教義とはしていない。聖母マリアに対しても、西方では古代・中世からマリア崇敬が目立つが、東方ではそのような傾向はない。
 言語的・文化的な違いもある。東西教会の相違は、分布する地域がギリシア語圏とラテン語圏に分かれ、元来異なる文化圏に属したことにも由来する。東方キリスト教は、古代のギリシャ文化圏で発達し、儀式・神学等では、伝統的にギリシャ語を使用する。西方キリスト教では、ラテン教父の時代からラテン語で神学が展開され、後代になるほどギリシア語を解さない神学者が増えた。儀式は、ラテン語を使用する。また、東方キリスト教の信徒は、南東ヨーロッパ、中近東、西アジアの諸民族が多く、西方キリスト教の信徒は、ラテン系諸民族から北方のゲルマン系諸民族に広がった。後者においては、ゲルマン文化の影響が段々色濃くなっていった。
 東西両教会の違いは、こうした様々な点に及んでおり、その違いは時代が進むに従って拡大していった。

 次回に続く。
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