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2018年06月13日09:35

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キリスト教60〜改宗でゲルマン民族が失ったもの

●改宗でゲルマン民族が失ったもの

 ヨーロッパ文明の担い手となったゲルマン民族は、マックス・ウェーバーのいうところの「呪術の園」に暮らしていた。彼らが持っていたのは、世界各地に広く見られる原初的な信仰だった。それは、わが国の神道に通じるような多神教的な信仰だった。キリスト教は、3世紀からゲルマン諸族に伝道を行った。ゲルマン人を改宗させる過程で、ゲルマン人の古来の信仰を捨てさせていった。ゲルマン民族は、キリスト教に改宗する過程で、それまで持っていた世界観を失った。
 その世界観は、アニミズムと呼ぶことができる。アニミズムとは、一言で言えば精霊信仰である。自然界のあらゆる事物には、霊魂や精霊が宿り、諸現象はその意思や働きによるものとみなす信仰である。その信仰の要素に、自然崇拝がある。自然崇拝の形態の一つが、巨木崇拝である。日本の神社には今でもしめ縄を張った神木があるが、古代のゲルマン民族にも似たような信仰があった。森の中の大きな木を、神木として崇めていたのである。これは、世界に広く見られる「世界木」または「生命樹」に通じるものだったのだろう。「世界木」は世界や宇宙の全体を表わすものあり、また天と地をつなぐものという象徴的な意味を持っている。
 ゲルマン民族はキリスト教に改宗させられる過程で、巨木崇拝を否定された。8世紀の伝道師ボニファティウス(ウィンフリード)は、ゲルマン人の信仰の対象を破壊した。ゲルマンの雷神トールの神木である樫の木を、彼らの目の前で切り倒してみせたのである。ボニファティウスは、キリスト教の神の力がゲルマンの神よりも強力であることを示して、改宗させたと伝えられる。改宗によって、ゲルマン民族は自然崇拝を失った。自然は崇拝すべきものではなく、人間とともに神の被造物であり、神の似姿として造られた人間が利用すべきものという考えが生まれたのである。
キリスト教への改宗でもう一つ重要なことは、祖先崇拝を否定したことである。祖先崇拝とは、祖先の霊を祀り、霊的に交通することである。祖先崇拝は、シャーマニズムの要素となるものである。シャーマニズムは、祖霊や精霊と接触・交流する能力を持つシャーマンを中心とする信仰である。
 英語学者で優れた比較文化論者・歴史家でもある渡部昇一は、次のように書いている。「ゲルマン人の元素神にガウタズがいる。ガウタズは『精液を注ぐもの』という意味で、創造の神である。この神話は、古事記の国生みの神話とイメージが通じる。イザナギ、イザナミノ命という男女ニ神は、その矛の先から滴り落ちる塩水によって日本を造った。その後、男女の原理で多くの神々が作られ、それがゲルマン諸族の王家となるというのも古事記そのままである」と。(『歴史の読み方』)
 渡部のいうように、わが国の神話では、イザナギとイザナミの二神によって国土や神々が生み出された。神々の中で太陽神・天照大神が、皇室の祖先と信じられている。それゆえ、皇室と神々とは、連続している。古代ゲルマン神話でも、日本と同じく、神の系図と王の系図の間には切れ目がない。ゲルマン人の系図では、先祖は途中から神になってしまう。どの部族にも祖先神があり、王はその子孫だった。
 ところが、キリスト教では、神がアダムを「土」から作ったと教える。神と人とは断絶している。そのためキリスト教に改宗したゲルマン民族において、神と人間は断絶してしまった。こうした人間観は、自然との連続意識、一体感を失わせる。自然は人間の帰るべき母体ではなく、対象化し、利用すべきものとなった。科学革命の旗手フランシス・ベーコンやデカルトの思想はこの延長上に現われる。
 家族や氏族は、共通の祖先を祀ることによって、互いの結合を維持する。ところが、ゲルマン民族では、キリスト教によって、祖先崇拝は偶像崇拝として排斥された。渡部によると、「古代ゲルマン人も、古代日本人と同じく、霊魂の不滅を信じた。死んだ先祖がまだ生き続けて、自分を見ているかのように感じる先祖意識があった。死後、自分の父母や祖父母や先祖の霊と再会する。ところが、キリスト教では、親や先祖の霊ではなく、神やキリストに対面することが強調される。しかも、死後自分一人で絶対の力を持つ全能の神と対決する。このキリスト教の原則は、家族中心であったゲルマン人の心を『家』を絶対視しない個人主義へと真底から変えていった。西洋人の個人主義の根源は、まさにこの点にある」。
 ボニファティウスがドイツ地方で宣教した際、ラードボードという酋長に改宗を勧めた。ラードボードは、その勧めに従って洗礼を受けようとした時、先祖はどうなるのかを尋ねた。ボニファティウスは「あなたの先祖は洗礼を受けていないので、地獄に堕ちたままです」と答えた。ラードボードは烈火のごとく怒り、改宗をやめたばかりかキリスト教を迫害したという。その後、ローマ・カトリック教会は、煉獄という概念を導入した。煉獄では、異教徒として亡くなった者でも、一定期間の浄化の後に天国に行くことができるとする。この聖書にはない領域を教義の中に設けたことにより、ゲルマン人はあまり抵抗なく、キリスト教に改宗した。
 アニミズム的・シャーマニズム的な自然崇拝・祖先崇拝が否定されたことによって、西欧では、プロテスタンティズムの出現以前から、「呪術の追放」への道がつけられていた。キリスト教への改宗の過程で、ゲルマン民族は、それまでの自然崇拝・祖先崇拝を否定された。それは、我が国の神道と通じる根源的なものを失ったということである。西欧は、こうした世界に広く見られる精神文化を否定・排除することによって、世界の諸文明の中で特異化していった。その特異化の先に、近代文明が誕生し、近代化・合理化が進行することになる。叙述の都合上、本項では、キリスト教への改宗と書いてきたが、これは、ユダヤ=キリスト教への転換である。キリスト教を通じて、その根底にあるユダヤ文化が同時に流入・伝播したのである。
 ヨーロッパ中世の段階では、ユダヤ=キリスト教化によって、自然崇拝・祖先崇拝が完全に消滅したわけではない。アニミズム的・シャーマニズム的な要素は、文化の中枢から周縁に押しやられ、表層からは消えたが、民衆信仰の中に残っていった。これに対し、中世のカトリック教会は、こうした信仰が社会の底辺に存続することを黙認し、それを取り込んでいく寛大さをそなえていた。それが失われるのは、16世紀の宗教改革を通じてとなる。

 次回に続く。

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