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2018年05月20日09:36

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キリスト教48〜ダビデ=ソロモン、預言者の時代

●ダビデ=ソロモンの時代

 モーセの指導下にカナンに定着したイスラエル人の12部族は、約200年の間繁栄を続けた。彼らは神ヤーウェを王と仰ぎ、人間の王を持たずに、平等な社会を形成していたとされる。
紀元前1000年ころ、ユダ族のダビデがユダ王国を建て、エルサレムを首都に定め、イスラエル・ユダ連合による統一イスラエル王国を築いた。シリア・パレスティナ全域を統治する国家となった。ヘブライ王国ともいう。
 ダビデの子ソロモンは、紀元前10世紀にエルサレムのシオンの丘に神殿を建立した。神ヤーウェはダビデ家をイスラエルの支配者として選び、シオンを神を祀る唯一の場所に定める約束をしたと理解された。これをダビデ契約という。この思想から、世の終りにダビデ家の子孫からメシア(救世主)が現れるという信仰が生まれた。

●ユダヤ教における預言者の時代
 
 ダビデが建設したヘブライ王国では、約400年間、王制が続いた。それによって平等な関係は崩壊して、支配・被支配の構造が生じた。預言者は王制を批判した。その後、ヘブライ王国はイスラエル王国とユダ王国に分裂した。王国が分裂・崩壊する中で、預言者たちは神ヤーウェの掟に背く指導者や民衆に対して、さまざまな形で警鐘を鳴らした。時には奇跡を示して神への帰依を説いたことが、聖書にしるされている。この時代を、預言者の時代という。
 ユダヤ民族は、もともと遊牧民だったが、カナン移住後、定住農民ないし都市住民となった。その結果、紀元前8世紀から沃地の神であるバールの信仰が浸透していった。これに対し、預言者たちは、砂漠の神ヤーウェの信仰の伝統を守ろうとした。ここには、遊牧文化と農耕文化の相違、遊牧民の宗教と農耕民の宗教の対立が見られる。
 ここで現れた有力な預言者が、エリヤである。紀元前9世紀ころエリヤは、国王のバール信仰に反対し、ヤーウェ信仰を守護した。エリヤは、農耕儀礼的な呪術に抗して、良心の「静かな細い声」を聞くように説き、個人の良心に訴えた。そのような訴えをしたのは、ユダヤ教の歴史においてエリヤが始めてと見られる。
 次に続いたのは、イザヤと呼ばれる預言者である。イザヤには、第1イザヤから第3イザヤまでいる。第1イザヤは、紀元前8世紀後半に現れ、神ヤーウェの正義と救世主の出現を説いて、王と民衆に神への帰依を説いた。エリヤと同じく個人の良心に訴え、倫理的な心の宗教を説いた。紀元前6世紀の第2イザヤは、部族・民族・人種とは切り離された個人こそ、信仰を抱き続ける主体であることを強調した。そこには、集団から自立した個人という新しい観念が見られる。
 このほか、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルらの預言者が著名である。旧約聖書の16巻の預言書のうち、『イザヤ書』『エレミヤ書』『エゼキエル書』『ダニエル書』は大預言書とされる。
 これらの預言者たちは、バール信仰に伴う儀礼を偶像崇拝的な呪術として斥けた。それによって、ユダヤ教の中にあった儀礼的な要素が後退した。そして、紀元前7世紀の『申命記』の時代に、律法に基づく倫理的応報思想が登場した。やがてその思想が確立された。律法を絶対的規範とし、その遵守を義務とする因果律の思想である。
 キリスト教のプロテスタンティズムとの関係でこの思想に注目したのが、偉大な社会学者マックス・ウェーバーである。ウェーバーは、ユダヤ教では呪術的な性格を持つ儀礼的要素が後退したことによって、道徳法則にそれがそのまま神の命令であるという絶対的性格が与えられていったとし、そこに厳しい禁欲的倫理が形成される根本的誘因がある、と主張した。

 次回に続く。

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