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2018年05月14日09:31

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改憲論9〜戦力ではない実力という欺瞞

(14)戦力ではない実力という欺瞞

 自衛隊は、政府によって「最小限度の実力組織」とされている。実力は、警察力、防衛力、侵攻力に分類できる。これらの実力のうち、戦力と見なされ得るのは、どのような実力であるか。
 (11)に書いたように、戦力とは「戦争を遂行するための力」「戦争を遂行しうる力」「対外的な戦闘を行う手段となるいっさいの実力」である。その点から言って、まず国内の治安維持等のための警察力が、戦力ではないことは明らかである。次に、他国への侵攻を目的とする侵攻力は、侵攻戦争を遂行し得る実力であるから、明らかに戦力である。それゆえ、問題は、外敵からの独立と主権の守備等を目的とする防衛力は、戦力と言えるかどうかに絞られる。
 外敵の侵攻と戦う戦争は、自衛戦争である。自衛戦争を遂行し得る実力は、戦力である。それゆえ、防衛力は戦力であると言わねばならない。
 戦闘には攻撃と守備の両面があり、攻撃を行う力が守備に役立ち、また守備を行う力が攻撃にも役立つ。ただし、自国を守備するための攻撃と、他国を侵攻するための攻撃は異なる。それによって、戦闘を行う組織の編制や装備、技術等も異なる。それゆえ、防衛力を担う組織の実力は、自衛戦争を遂行することに限定された戦力である。
 侵攻力には攻撃と守備の両面があり、防衛力も同様である。侵攻力においては攻撃力が主であり、守備力が従である。防衛力においては守備力が主であり、攻撃力が従である。侵攻的攻撃力は他国に侵攻するための攻撃力であり、防衛的攻撃力は侵攻してきた外国軍を攻撃するための攻撃力である。それによって、装備は大きく異なる。大陸間弾道弾、長距離爆撃機等は侵攻的攻撃力を構成するための武器であり、地対空ミサイル、短距離戦闘機等は防衛的攻撃力を構成するための武器である。
 ただし、侵攻力と防衛力は、戦力として全く異なる性格を持つわけではない。核時代において、相手国が核兵器を持っている場合、戦争を抑止する最大の防衛力は核兵器を持つことである。相手国が戦略核兵器を使って侵攻できる大陸間弾道弾、長距離爆撃機等を持っている場合、最大の防衛力は同様の戦略核兵器を持つことである。それゆえ、その兵器は侵攻力として使用することもできる。だから、核攻撃を受ければ、核兵器で報復するという能力を持っていることが、戦争抑止力となる。このように攻撃力と侵攻力はコインの両面のような性格を持っている。
 それでは、自衛隊の実力は、戦力であるのか、ないのか。戦力とは何かついて既に概略は書いたが、これを掘り下げて検討するならば、戦力には解釈上、諸説ある。日本大百科全書(ニッポニカ)は、次のように解説している。

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(1)広義に解する説では、戦力とはなんらかの形で戦争に役だつすべての力をさす。この説によれば、警察力、飛行場、航空機およびその製造工業・重工業、原子力研究など、平時には戦争以外の目的のものでも、いざというときに戦争目的に役だつものはすべて戦力となる。日本国憲法制定当初において有力な説であった。
(2)戦争を遂行する目的と機能をもつ組織的な武力をさし、(1)に掲げた平時用のものは除かれる。この説においては、警察力と戦力とをはっきり区別する。警察力とは、目的・装備・編成などの点で国内の治安維持に必要な程度をいい、この程度を超えたものが戦力であって、現在の自衛隊はこの意味の戦力に該当するとされる。この学説をとるものが現在は多い。
(3)近代戦争遂行能力を備えた実力をさす。この説によれば、相当高度の組織と装備をもつものでないと戦力にはならないことになる。従来の政府の考え方がこれと一致し、警察力と戦力の間にもう一つの実力(防衛力)があるとされ、したがって、この考え方によれば、自衛隊は防衛力であって、戦力ではないとされる。
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 上記の(2)は「戦争」を遂行する目的と機能をもつ組織的な武力を戦力とする。これに対し、 (3)は戦争のうち「近代戦争」の遂行能力を備えた実力のみを戦力とする。
 では、近代の戦争と前近代の戦争を分けるものは、何か。基本的には、兵器の技術水準である。兵器の歴史では、前近代と近代との間で、弓矢から銃へ、投石器から大砲へと飛び道具の飛躍的向上があった。13世紀にシナで火薬が武器に使用されるようになり、15世紀にヨーロッパで火縄銃が発明された。以後、火打ち式(フリントロック式)、ライフル(施条式銃)、金属薬莢式自動拳銃等が開発された。1950年代に自動小銃が世界的に普及した。また、この間、15世紀にヨーロッパで石の砲丸を発射する大砲が使用され、同世紀中に鉄製の砲丸に変わった。1940年代にミサイルが開発され、それが大陸間を飛行する0ものや核兵器を搭載するものへと発達した。
 こうした兵器の歴史において、火縄銃や鉄製砲丸以降の火器は、近代西洋文明の世界侵出を可能にした武器である。また、「近代戦争」とは、火縄銃以降の銃や鉄製砲丸以降の大砲を使用する戦争ということができる。それゆえ、戦争遂行能力について近代戦争のレベルか前近代戦争のレベルかという分け方は、戦力か、それとも戦力未満の実力かという判断の基準として、ほとんど意味をなさないほどに不十分である。
 わが国は憲法9条2項により戦力不保持を定めているが、わが国政府は「必要最小限度の実力」を保持することはでき、自衛隊は「必要最小限度の実力組織」であるから戦力ではないという立場を取ってきている。私は、この考え方は欺瞞的だと思う。自衛隊は外国の侵攻から日本の独立と主権、国民の生命と財産を守る自衛のための戦争を戦うことのできる実力組織である。自衛戦争を遂行し得る実力は、戦力である。戦力のうち、侵攻力ではなく防衛力のみを保持する実力組織が、自衛隊であるということになるだろう。その点では、侵攻力と防衛力をともに持つ一般的な軍隊に比べ、防衛力だけを持つ国防軍という性格を持っている。
 以上、憲法第9条の改正を検討するに当たって、基本的な概念の整理を行った。ここであらためて浮かび上がるのが、自衛隊とは何かという問題である。

 次回に続く。

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