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2018年05月13日08:44

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キリスト教45〜性愛と結婚

●性愛と結婚

 ユダヤ教では、重要な戒律として、家族を形成するために結婚することが定められている。性衝動や性行為は自然なものとする。祭司にも預言者にも、一般的な戒律としては性愛を禁止していない。
 イエスは、「わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」(マタイ書5章28節)と述べとされる。心の中の姦淫をも禁じたものである。だが、これは他人の妻のことであり、キリスト教は、もともと使徒の結婚を禁止していなかった。ペトロは妻と一緒に伝道をして回ったと伝えられている。だが、後に禁欲を重視するようになった。そして、性衝動は子供をつくるための必要悪と考えるようになり、結婚をしても男女が性愛を歓びとして楽しむことを禁じてきた。
 キリスト教では、一夫一妻制の結婚を前提とした性愛のみが、人間に許されるとする。婚前交渉や結婚後の浮気を、悪としている。結婚を前提としない性愛は動物的であって、悪だと考えるものである。
 ローマ・カトリック教会では、聖職者に生涯独身であることの誓いが求められる。妻帯する聖職者はいない。東方正教会では、在俗司祭は妻帯を認めるが、それ以外の聖職者は独身を守る。修道士・修道尼は、すべての教派で独身とする。このように伝統的なキリスト教では、聖職者の禁欲が重視されていたが、ローマ・カトリック教会では、ルターが現れる頃の時代には、教皇が子供をつくることが、珍しくなくなっていた。マキャベリが『君主論』で、理想的な君主のモデルにしたチェザーレ・ボルジアとその妹のルクレチア・ボルジアは、教皇アレクサンデル6世の私生児だった。愛妾を囲っていた教皇も少なくない。こうした面でも腐敗・堕落していたわけである。
 ルター、カルヴァンは、聖職者独身制を廃止して、自らも結婚した。プロテスタントでは、教職者と一般信徒の間には区別がないと考えるので、教職者も信徒と同様、結婚できる。ただし、プロテスタントでも修道院では、独身を守る。
 キリスト教は、一夫一妻婚を原則とする。セム系の民族では、一夫多妻はごく一般的な慣習だった。ユダヤ教は妻の数を制限していなかった。だが、イエスが出現したころのユダヤ社会は、一夫一妻制に近づいていた。そうした中で、イエスは、一夫一妻制を結婚の理想とした。キリスト教がヨーロッパに広がり、また近代西洋文明が世界に広がったことによって、今日の世界では一夫一妻制を取る国が多い。
 ただし、一夫一妻制は、夫婦間に子供ができない時には、家の存続が出来ないという問題を生じる。子孫を残すことができず、また財産を相続することができない。一夫多妻制は、この点で、家の継承という目的を達成するためには、合理性と有効性を持った制度だった。 
 イスラーム教は、一夫多妻を肯定する。イスラーム法では、同時に4人までの女性と結婚することが許されている。これは、「やむをえない場合には、4人まで妻を娶ってもよい」という教えによる。イスラーム教ではジハード(聖戦)を信者の義務とするので、聖戦で戦い、死んだ者が残した未亡人や孤児の養育のために救済策をとらなければならなかったことが挙げられる。一人の妻以外の女性との性愛を奨励するのではなく、社会政策的な意味が大きい。

●離婚

 キリスト教では、結婚は神が二人を結びつけたものと考える。イエスは神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(マルコ書10章9節)と述べたとして、ユダヤ教では認められている離婚を禁止するようになった。ローマ・カトリック教会では、原則として離婚を認めていない。プロテスタントでは、この点は比較的緩やかである。

●人工妊娠中絶と避妊

 人工妊娠中絶は禁じられている。中絶を禁じる理由は、聖書に神の言葉として「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」とあり、また十戒の一つに「殺してはならない」とあることによる。ローマ・カトリック教会では、避妊も原則として禁じている。
 現代アメリカ社会では、人工妊娠中絶を認めるか否かが、大きな社会的な問題となっており、大統領選挙・連邦議会選挙でも争点の一つとなっている。キリスト教の教義に基づいて中絶を罪だとする人々と、女性の産む産まないを決める権利を主張する人々の価値観が鋭く対立している。

●同性愛

 同性愛は禁じられている。『レビ記』18章22節に「女と寝るように男と寝てはならない。それはいとうべきことである。」、同じく20章13節に「女と寝るように男と寝る者は、両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。」 と記されている。新約聖書の中にも同性愛を禁じるように読める記述がある。『コリントの信徒への手紙一』6章9〜10節に、「正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。」と記されている。これらの記述が禁止の根拠とされている。
 同性愛については、アメリカをはじめキリスト教諸国で、これを容認するか否かが大きな社会的な問題となっている。同性婚を社会的・法律的に認めるかどうかということも関係している。人工妊娠中絶と同様、本件でもキリスト教の教義の順守と個人の自由と権利の尊重の間で、意見の対立がある。

●獣姦

 獣姦は禁じられている。『出エジプト記』22章18節に「すべて獣と寝る者は必ず死刑に処せられる。」と記されている。こうした記述が禁止の根拠とされている。

●夫婦の姓

 結婚による夫婦の姓については、西方キリスト教の文化圏では、もともと夫婦別姓である。イギリスは、夫の姓を名乗る慣習があり、今も続いている。フランスでは、現在まで民法に姓の規定はないが、事実上妻が夫の姓を名乗ることになっている。近年変化の見られるアメリカでは、事実上夫の姓しか選べなかったし、ドイツでは夫婦は夫の姓を名乗るべしと法律で定められていた。欧米でフェミニスト(女権拡張論者)たちが夫婦別姓を主張したのは、フェミニズムはキリスト教的拘束から逃れようとする反キリスト教の要素があるからである。その影響で、欧米諸国では1970年代以降、一部の国に夫婦別姓を認めるところが出てきている。

 次回に続く。

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