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2018年05月11日09:32

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キリスト教44〜清貧の理想と富の蓄積

●清貧の理想と富の蓄積

 イエスは「神の国は近づいた。悔い改めよ」と述べ、現世的な欲望を否定し、天国に入ることを目指すように説いた。また、イエスは、富める者が天国に入るのは、ラクダまたは太綱が針の穴をくぐるより難しいと説いた。これは、富は天国に行く妨げになると教えである。この教えに忠実であろうとすると、清貧の生活を送らねばならない。
 だが、世の終わりは到来せず、キリスト教の教会では、土地の寄進や寄付等によって教会が富を蓄積し、聖職者が高価な衣服や装身具を身に着け、贅沢な暮らしをするようになった。アッシジのフランチェスコは、これを厳しく批判して、イエスの教えに帰るように説き、清貧の修行生活に努めた、だが、彼のような修道者は、ごく一部に限られる。
 西方キリスト教では、金貸しは賤業とされ、中世までユダヤ人がこれに従事した。『申命記』に、「外国人には利子を付けて貸してもよいが、同胞には利子を付けて貸してはならない。」(23章21節)と定めている。また「外国人からは取り立ててもよいが、同胞である場合は負債を免除しなければならない。」(15章3節)としている。外国人からは利子を取ったり、取り立てをしたりしてよいという教えである。タルムードには、「義人の目に麗しく、世間の目に麗しいものが七つある。その一つは富である」と記され、富は美徳とされている。
 営利欲求を肯定するユダヤ教の教えは、ユダヤ的価値観の根本にあるものの一つである。ヨーロッパでは、貨幣経済と資本主義の発達にともに、ユダヤ的価値観がキリスト教社会に浸透するようになった。それによって、近代資本主義社会のキリスト教は、イエスの教えから離れていった。キリスト教の再ユダヤ教化である。キリスト教徒には、外観はキリスト教を信仰しつつ、内面ではユダヤ的価値観を追求する者が多くなっている。キリスト教徒がイエスの教えに帰り、ユダヤ的価値観を超克できるかどうかは、現代世界の諸問題の解決に大きく影響するところである。

●契約と処罰

 近代西欧の契約観念は、キリスト教に根差すものである。その源には、ユダヤ教がある。ユダヤ教は、ユダヤ民族の祖先アブラハムが神ヤーウェと結んだ契約が信仰の核になっている。ユダヤ教では、人と人との間の契約も、神の前に誓い、これを証人とすることで有効とされる。キリスト教は、こうしたユダヤ教の契約観念を継承している。キリスト教では、神の前で相互に約束を交わし、証拠を以てこれを固め、これによる責任を遂行し、実行できなければ制裁や処罰を加えられる。契約に違反したり、破ったりすることは、罪である。このキリスト教的な契約観念において、神ヤーウェが人間個人の良心に取って代わったものが、近代西欧の契約観念である。またこの契約観念が、近代西欧法における権利義務の観念のもとにある。

●家族との関係

 キリスト教では、現世的な家族、親子・兄弟等の関係よりも、永遠の霊的な父なる神とこの関係を重く見る。イエスは、次のように説いたとされる。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。」(マルコ書10章29〜30節)。「わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。」(マタイ書10章35〜36節)と。イエスは家と家族・家財を捨てることを呼びかけており、多くの弟子は、家と家族・家財を捨ててイエスに従った。これは、家族愛を道徳の根本に置く思想から見れば、非道徳的・反社会的な思想である。だが、これがキリスト教の思想である。
 好意的な見方をすれば、利己的・限定的な家族愛ではなく、家族を超えた普遍的な兄弟愛を呼びかけているものとなろう。だが、自分の親や子や兄弟等を捨てるような者に、人類愛を語る資格があるのか。抽象的な愛を理念として説くのは簡単だが、身近な者、血のつながった者、育ててもらった恩のある者への愛の実践に裏付けられていなければ、独善的になる。

●家族型の影響
 
 ユダヤ人の家族人類学者・歴史人口学者であるエマヌエル・トッドは、家族型における父性の権威の強弱と、キリスト教における神のイメージには相関性があることを指摘する。権威の強い父からは厳格な神がイメージされ、全能の神のもとで人間の自由意志は否定される。逆に権威の弱い父からは寛容な神がイメージされ、非全能の神のもとで人間の自由意志が肯定されるとした。
 父の権威が強い家族型の一つが、直系家族である。直系家族は、子供のうち一人のみを跡取りとし、結婚後も親の家に同居させ、遺産を相続させる型である。その一人は年長の男子が多い。他の子供は遺産相続から排除され、成年に達すると家を出なければならない。こうした婚姻と相続の慣習によって、父子関係は権威主義的であり、兄弟関係は不平等主義的である。この型が生み出す基本的価値は、権威と不平等である。ユダヤ人の家族形態は直系家族である。また、キリスト教化したヨーロッパでは、直系家族が広く見られる。ドイツ、オーストリア、ドイツ語圏スイス、ベルギー、チェコ、スウェーデン・ノルウェーの大部分、イギリスのスコットランド、アイルランド、イベリア半島北部、フランス南部のオック語地方、及びフランスが植民活動をしたカナダのケベック地方に分布する。
 直系家族の権威の強い父からは厳格な神がイメージされ、全能の神のもとで人間の自由意志は否定される。直系家族を母体としたルターやカルヴァンのプロテスタンティズムがこれである、とトッドは説く。トッドは、ユダヤ教の神も直系家族の権威の強い父から厳格な神がイメージされたとする。私は、ユダヤ教は自由意志を否定していないと考えるので、トッドがその父のイメージによってユダヤ教では自由意志が否定するという点には、異論がある。
 父の権威が弱い家族型の一つが、絶対核家族である。親子は自立的であり、子供は成人すると親から独立する。遺産相続では、親が自由に遺産の分配を決定できる遺言の慣行があり、兄弟間の平等には無関心である。この類型は、ヨーロッパに特有の家族型だった。イギリスの大ブリテン島の大部分(イングランド、ウェールズ)、オランダの主要部、デンマーク、ノルウェー南部、それにフランスのブルターニュ地方に分布するのみ。植民によって、アメリカ合衆国とカナダの大部分にも分布を広げた。これらの諸国・諸民族もキリスト教化されている。
 絶対核家族の社会における基本的価値は、自由である。平等には重きを置かない。その価値観をもとに、イギリスでは、近代化の過程で自由主義や個人主義が発達した。アングロ・サクソンが主流を占めるアメリカ合衆国でも、この価値観が継承されている。絶対核家族の権威の弱い父からは寛容な神がイメージされ、非全能の神のもとで人間の自由意志が肯定されるとした。絶対核家族を母体としたアングロ=サクソン的なプロテスタントがこれであるとトッドは説く。私見によると、アングロ=サクソン的なプロテスタントのうち、すべての人間の自由意志による救済を説くメソディスト、「神の光」はすべての人に内在すると説くクエーカー、すべての者が例外なく救われるとする万人救済説を主張するユニヴァ―サリストなどが、この典型だろう。

 次回に続く。

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