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2018年05月06日08:46

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改憲論5〜侵攻戦争と自衛戦争

(6)侵攻戦争と自衛戦争

 ここまでの間、戦争に関連する概念を整理した。それを踏まえて、あらためて戦争について考察する。
 戦争には、軍事上の概念と国際法上の概念では違いがあることに注意する必要がある。軍事的には、戦争は武力を用いた戦闘行動が実行されている状態を指す。武力を行使する主体は国家に限らない。国際法においては、開戦宣言がされれば、実際の武力行使がされていなくとも戦争の開始と認められる。戦争開始と同時に交戦国は国交を断絶し、関係国には戦時国際法が適用される。戦争の終結は、戦闘行為を停止する休戦を経て、政府間の講和によって法的な意味での終了となる。もっとも歴史上には、宣戦布告が行われずに開始された戦争が数多く存在する。
 国際法は国内法と異なり、違反した場合の刑罰や強制力が整っていない。国際法のうち条約法は、条約等によって国家間でなされた合意の体系であり、その条約等を締結していない国家への法的拘束力はない。また慣習法に関しては、その慣習を認めず、また従わない国家があり得る。こうした点が特に問題になるのが、戦争である。
 20世紀初頭まで、国家は国際紛争解決の最終的手段として戦争に訴える権利があるとされ、交戦法規に従うかぎりあらゆる害敵手段の行使が許され、戦争状態のもとでは交戦国は互いに平等な法的地位に立つとされた。
 だが、未曽有の大戦争となった第1次世界大戦後、戦争を非合法とする考え方が広がった。1928年に不戦条約、正式には「戦争放棄に関する条約」が、15カ国によって調印された。加盟国は後、93カ国に増加した。今も約60カ国が当事国である。同条約は、国際紛争はすべて平和的手段によるものとし、一切の武力使用の禁止を決めた。だが、1930年代に大恐慌やブロック経済の影響で国際社会が激動し、国益のぶつかり合いがエスカレートした。その結果として生じたのが第2次世界大戦である。
 第2次大戦後、連合国が発展する形で国際連合が設立された。国連憲章(連合国憲章)において、戦争は禁止され、戦争でない武力の行使や武力による威嚇も、自衛権の行使および国連の強制措置を除いて、一般に禁止されている。
 しかし、国連の設立後も、世界では多くの戦争が行われてきた。早くも昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が勃発した。今も休戦状態が続いている。ベトナム戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争、対「イスラーム国」戦争等、地球上で戦争が行われていない期間の方が少ない。
 国家が戦争をするのは、目的があるからである。戦争の目的は何らかの利益の獲得・拡大または維持・保守である。前者の目的で行う戦争を侵攻戦争、後者の目的で行う戦争を自衛戦争と分けることができる。ただし、侵攻戦争と自衛戦争の区別を判断する客観的な基準はない。相手国にとっては侵攻戦争であっても、当事国がこの戦争は自衛のための戦争だと主張すれば、その国にとっては自衛戦争となる。不戦条約の締結後も、ある国が行う戦争が侵攻戦争であるか、自衛戦争であるかを決める権利は、その国にあるとされた。戦争はしばしば自国民の在外居留者の安全を守るためとか、既得の権益を守るためという目的で行われる。相手国がそれを主権の侵害や領土の略奪と見なせば、相手国にとっては侵攻戦争となる。また、他国の主権を侵害したり、領土を略奪する戦争であっても、当事国は自らこれを侵攻戦争とはいわない。何らかの理由を以て、戦争を正当化する。戦争は国家間の紛争を解決する最終手段であるという現実は変わっていない。勝者は自らの正義を主張し、取得した権益を保持する。仮に敗者に正義が認められたとしても、戦勝国の勝利が取り消され、賠償が行われることはない。

(7)国連憲章の安全保障規定

 国際連合は、第2次世界大戦における連合国が発展する形で、昭和20年(1945年)10月24日に発足した集団安全保障機構である。日本国憲法は昭和21年(1946年)11月3日に公布、22年(1947年)5月3日に施行された。憲法が公布・施行された時点では、わが国はまだ国際連合に加盟していない。わが国は、昭和27年(1952年)4月28日にサンフランシスコ講和条約の発効によって、主権を回復し、国際社会に復帰した。この年、国連に加盟申請をしたが、ソ連など社会主義諸国の反対でなかなか実現しなかった。昭和31年(1956年)10月の日ソ共同宣言とソ連との国交回復によってこの障害がなくなり、同年12月18日に加盟を認められた。主権回復後、約4年8か月非加盟の時期があった。
 国連憲章は、安全保障について、第7章に「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」を定めている。国際社会の安全保障のための中心機関は、安全保障理事会である。安保理の一般的権能は、第39条に次のように定められている。
 「安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する。」
 第41条は非軍事的措置を定めたもので、安保理は「兵力の使用」を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができるとしている。
 しかし、安保理は、非軍事的措置では不十分であろうと認め、または不十分なことが判明したと認めるときは、軍事的措置を取ることができるとして、これを第42条に定めている。
 「安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。」
 安保理がこの第42条の規定に基づいて必要な軍事的な措置を取るために編制する軍隊が、国連軍である。続いて第43条から第50条にかけて、国連軍編成に関する事項が定められている。
 国連軍は、国連憲章が定める集団安全保障制度の下で侵略の防止・鎮圧などの軍事的強制措置のために使用される国際的な常設の軍隊である。ここにいう集団安全保障は、国家の安全と平和を公の紛争処理機関や対立関係にある国も含めた連合組織によって集団的に保障しようとする体制を意味する。一国の軍備強化や特定国との同盟の形をとらず,国際紛争の処理に当たっては原則として各国が個別に武力を行使することを認めない。これに比べ、北大西洋条約機構(NATO)、日米安全保障条約などは、第三国に対する軍事同盟であり、国連憲章が目指す本来の意味の集団安全保障の機構ではない。
 国連が目指す集団安全保障体制の要となるべきものは、国連軍である。国連軍は、国連憲章第43条に定める特別協定に基づいて国連加盟国が提供する兵力で編成される軍隊である。安保理のもとに五大国の参謀総長から成る軍事参謀委員会を設け、その指揮・命令に服して活動する。だが,その特別協定は、五大国不一致のために今日もなお締結されていない。そのため、国連創設以来、今日まで正規の国連軍は組織されたことがない。
 こうした状態で国際社会の平和を維持するために行われるようになったのが、国連による平和維持活動(PKO)である。その活動の一環として、紛争地域で停戦監視や兵力の引離し、警察任務などを行う組織が生れた。それが国連平和維持軍(PKF)である。これを指して国連軍と呼ぶことがあるが、これは国連憲章第43条に定める本来の国連軍ではない。

 次回に続く。
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