mixiユーザー(id:525191)

2018年05月05日11:45

453 view

キリスト教41〜サクラメント、洗礼、聖体/聖餐

●サクラメント

 キリスト教には、サクラメントと呼ばれるものがある。サクラメントは、ギリシャ語で救いの神秘や秘儀を意味するミュステリオンがラテン語に翻訳されてサクラメントゥムとなったのが語源である。サクラメントは、神の見えない恩寵を具体的に見える形で表すことであり、様々な儀式の形で表される。イエスによって定められた神の恩恵を受けるための手段・方法のほか、教会で伝統の中で形成された儀礼がある。
 ローマ・カトリック教会では秘跡(かつては秘蹟)、東方正教会では機密、英国国教会(聖公会)では聖奠、プロテスタントでは聖礼典などと言う。
 ローマ・カトリック教会では、トリエント公会議(1545〜63年)で、サクラメントを洗礼、堅振、聖体、悔悛、終油、品級、婚姻の7つと定めた。この時代のものを秘蹟と書く。約400年後の第2バチカン公会議(1962〜65)で、洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、婚姻という表現に改め、一部の儀礼を改革した。また秘蹟を秘跡と書くようになった。東方正教会では、古代のキリスト教会の伝統を維持しており、聖体を中心に、洗礼、傅膏、痛悔、神品、婚配、聖傅の7つを機密とする。
 カトリック教会・正教会に比べ、プロテスタントの教派の多くでは、サクラメントを洗礼、聖餐の2つのみとする。洗礼と聖餐は新約聖書に記述があり、イエスに由来するが、それ以外は聖書に根拠がないというのが、理由である。また秘跡ではなく礼典または聖礼典と呼ぶことが多い。神の救いは人間の行いによるのではなく、信仰のみによるという考え方から、儀式の執行を救いの要件とはしないためである。

●洗礼

 洗礼は、入会の儀式として行われるサクラメントである。洗礼は、ギリシャ語のバプテスマの訳語で、元の意味は「水に浸す」ことである。
 イエスが定めた儀礼とされるが、イエスが初めて行ったことではない。もとはユダヤ教の清めの儀式に由来する。洗礼式は、数多くのユダヤ教の宗派で行われていた。イエスは若い時にバプテスマのヨハネによって洗礼を受けた。直接的にはイエスはヨハネ派の洗礼の儀礼を継承したのである。
 キリスト教の洗礼の独自の特徴は、イエス・キリストの名において授けられ、その後で、聖霊の発出を呼び求めるという2点にある。水の中に浸されることでイエスの死に預かり、そこから引き上げられることによってイエスとともに復活するという意味が込められている。イエスの死と復活を、水を通じて追体験するものである。洗礼を受けることにとって、原罪と自罪およびその罰を赦され、恩寵によって永遠の生命を受け継ぐ者となる、としている。また洗礼を受けなければ、神の救いは得られないとする。
 洗礼は、共同体への入会儀礼ともなっている。洗礼を受けることによって、信者は、「キリストの体」とされる教会という神秘的な共同体の一員となると考えられている。
 ローマ・カトリック教会では、幼児洗礼がある。これは誕生に伴う儀式である。誕生から数日ないし数十日の間に水による清めを受けることで、原罪の穢れから清められ、天国に行くことができるとされる。カルヴァン系の改革派・長老派では、幼児洗礼を認めない。洗礼を受けるのは、キリスト教徒の自覚を以って自ら信仰に入る者でなければならないと考えるからである。

●聖体/聖餐

 サクラメントのうち最も重要なのは、聖体または聖餐である。聖体とは、祭儀で食するために特殊なパンが聖別され、キリストの体の実体として信じられ、食べられるものをいう。聖体または聖餐の儀式は、イエス・キリストが使徒たちとともに行った最後の晩餐を再現・追体験するものである。単にイエスと食事をともにするというだけでなく、その後に磔刑で犠牲になって死に復活したイエスの肉体を象徴するパンと、イエスの血液を象徴するぶどう酒を、飲食するという意味を持つ。それゆえ、神が計画する人間の罪からの救いの成就となる儀式であり、イエスの死と復活を思い、イエスの現存、神と信者また信者同士の絆を確認する儀式でもある。
 聖体または聖餐の儀式もキリスト教独自のものではなく、ユダヤ教の共同の食事の典礼に由来する。その典礼では、前もって祝別した同じパンを食べ、同じ盃のぶどう酒を分け合う。これをイエスはこれを差し迫った自分の死と関連付けた者と考えられる。
 原始的・古代的な宗教の祭儀では、古くは人身御供が行われ、遊牧民族では家畜、農耕民族では米等の作物が神に捧げられた。いけにえ(犠牲)になったものや神に供えたものを、儀式に参加した者がともに食するという行為も広く見られる。この行為は、祭壇で浄められたものを食することで、神の恵みや生命をともに受けるという意味を持つ。そうした神前共食の儀式が、キリスト教では聖体または聖餐という形で取り入れられたものといえよう。
 古代ユダヤ教では、子羊を殺し、神への生贄としていた。キリスト教では、子羊にあたるのがイエスである。聖体または聖餐は、生贄となって捧げられたイエスの肉と血を象徴するパンとぶどう酒をともに飲食することで、神の恩恵を受ける儀式となっている。それゆえ、この儀式は、古代ユダヤ教や原始宗教の儀礼の変形と理解される。
 聖体または聖餐において、聖別によってパンとぶどう酒は、キリストの体と血の実体に変化するとされる。このことを聖変化という。ローマ・カトリック教会では、司教・司祭が聖体の秘跡で祭儀の中で聖変化を行い、信者に聖体を与える聖体拝領が行われる。それがミサの中心となっている。ミサは毎日行われている。
 カトリック教会では、パンとぶどう酒は実際にキリストの体と血に変化すると解釈する。これを実体変化という。東方正教会では、聖体はパンとぶどう酒の両形色で、キリストの尊体尊血に実体変化すると解釈する。ルター派では、聖体について実体論的な共在説を取り、キリストの体はパンとぶどう酒「のなかに、とともに、の下に」あると解釈する。改革派では、共在説を否定し、主は霊的に臨在すると考える。いずれの解釈を取るにせよ、象徴的なものを言語による概念でとらえようとすると諸説に分かれ、対立を生じ、収拾がつかなくなるだろう。

 次回に続く。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する