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2018年03月14日09:34

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宗教8〜政教の関係

●政教の関係

 宗教の社会的機能は、政治との関係を除いて論じることができない。宗教と政治には、不可分の関係がある。政治は集団における秩序の形成と解体をめぐる相互的・協同的な行為であり、とりわけ権力の獲得と行使に係る現象をいう。権力とは、他者または他集団との関係において、協力または強制によって、自らの意思に沿った行為をさせる能力であり、またその影響の作用といえよう。その根底にあるのは、集団における意思の決定と発動である。
 集団における意思の決定と発動によって、権力が発生し、行使される。また、権力の行使によって集団の統合力が働く。その権力的な統合を意味づけるものとして、宗教がある。宗教に表現される実在観、世界観、人間観をもとに、権力の根拠づけがされる。これに歴史観が加わった。
 神話的信仰においては、始源への回帰による世界の再生が観念的に繰り返された。しかし、やがて非可逆的な時間の意識が生まれ、歴史の観念が発生した。歴史は集団としての共通の体験の記憶である。それが集団の自己認識において不可欠となり、共同体の歴史観の共有が集団の統合において重要な部分を占めるようになった。
 近代西欧以前及び以外の社会では、政治は共同体の宗教と不可分のものだった。氏族・部族や部族連合の国家では、祭儀と政治は一体のものとして行われた。意思決定のための評議は、神や祖霊の前で行われ、神聖な儀式を伴っていた。世界各地において、古代の国家では国王は祭祀王つまり政治のために祭儀を司る王だった。
 集団の統合力が脱宗教化したのは、近代西欧においてである。西欧独特のカトリック教会の教皇権の支配から、皇帝権との並立、国王権の伸長、王権から民権への移動などが起こった。そして、18世紀後半のフランス革命を通じて、国民主権の国家が生まれ、国家の統合力が脱宗教化した。
 18世紀以降、近代西欧では社会の世俗化が進むにつれ、宗教的な基盤を持たない政治的な集団が多く出現した。政治が他の社会現象に対し、相対的な自律性を持つようになった。これに伴い、政治を独自の社会現象と見る学問も発達した。
 ただし、フランスにおける統合力の脱宗教化の過程は複雑である。市民革命によって、カトリックを国教とすることが廃止され、いわゆる人権の一つとして信教の自由が保障された。しかし、革命の過程で一時、理性が神格化されたり、「至高の存在」が祭壇に祀られたり、疑似宗教的な動きがあった。ナポレオンは、カトリック教会と協約(コンコルダート)を結び、カトリック教会は国教ではないが、それに近い「フランス人の最大多数の宗教」という立場になった。これを公認制度という。その後、1870年に成立した第三共和政のもと、共和主義者・社会主義者が台頭し、国家の宗教からの中立を求める政教分離(セキュラリズム)を主張し続けた。その結果、1905年に政教分離法が成立し、政教分離が制度化がされた。政教分離法は、国家が信教の自由を認める一方、いかなる宗教も国家が特別に公認・優遇・支援することはなく、また国家は公共秩序のためにその宗教活動を制限することができることを明記した。また、公共団体による宗教予算の廃止、教会財産の信徒への無償譲渡、公教育での宗教教育の禁止等を定め、ナポレオン以来のコンコルダートは破棄されることになった。こうしてフランスでは、政教分離法によって、政教分離の原則が確立された。ただし、同法は、礼拝への公金支出禁止の特例として学校の寄宿舎・病院・監獄・兵営には司祭の配置が認められるなど、厳密な政府と教会との分離ではなかった。
 フランスの政教分離は、国家の非宗教性・宗教的中立性を意味するライシテ (laïcité) の原則に基づく。ライシテが憲法に規定されたのは、さらに遅く1946年の第四共和制憲法においてである。以後、その原則がフランス憲法に引き継がれている。
 わが国では、一部の憲法学者が日本国憲法は国家と宗教の厳格な政教分離を定めたものだと解釈している。だが、フランスの例が近代国家の典型ではない。むしろ彼らに影響を与えているのは、共産主義の思想である。ロシア革命後のソ連では、フランスより脱宗教化が徹底された。唯物論的共産主義の体制がつくられ、それが東欧・中国等に広がった。ソ連の崩壊後、旧ソ連圏には、ロシアを中心とした独立国家共同体(CIS)が存在するが、これは非宗教的な政治的統合による。また、今やソ連に替わって、唯物論的共産主義の旗手となっている中国は、共産党の支配のもとで、脱宗教的な体制を維持している。わが国の一部の憲法学者は、共産主義の影響のもとに、厳格な政教分離こそ国家のあるべき姿と主張しているのである。
 だが、政教分離は、もともと政府と特定の教会(教派)の分離を定めるものである。すなわち、国教を設けることを否定したり、特定の教会(教派)を政府が公認・優遇・支援することを禁じるものである。政教分離を定めている国は、わが国のほか、アメリカ合衆国、オーストラリア等である。ただし、政教分離といっても、国家と宗教の関係をまったくなくすものではない。それぞれの国家の伝統が維持されている。
 例えば、わが国では、日本国および日本国民統合の象徴である天皇は、神道の祭司として祭事を司る。国民の多くは、新年には神社に初もうでに参り、地域の神社の祭りに参加する。天皇が神道の伝統を保っていることを国民の多くは、わが国の文化として理解している。国家と神道の結びつきを徹底的に排除しようとしているのは、共産主義者や一部のキリスト教徒等に限られる。
 また、アメリカ合衆国では、大統領に就任する者は聖書に右手を置いて、神に対して宣誓することが慣習となっている。このことは、合衆国がユダヤ=キリスト教に基づく国家であることを表している。また歴代大統領はしばしば演説の最後に“God bless America.”(神よアメリカに祝福を与えたまえ)と述べるように、宗教が政治と結びついて社会的な統合力を一定程度発揮している。このことと、米国における政教分離は矛盾しない。
 ヨーロッパに目を転じると、まずEUは現代の世界で政治的統合力による広域共同体の最大のものだが、根底には西方キリスト教による統合力が働いている。また、ヨーロッパでは、歴史的にキリスト教の特定教派を国教としてきた国が多く、現在も政治と宗教が密接な関係を保っている国が少なくない。
 イギリスは、信教の自由を保障しつつ、英国国教会を国教とし、国王(女王)が国教会の首長を務めている。また。英国の国歌は“God Save the Queen”(神よ女王陛下を守り給え)であるように、宗教が政治と結びついて、社会的な統合力を発揮している。
 20世紀後半から国教の規定を止めた国が増えているが、今もデンマークは福音ルーテル派を、フィンランドはフィンランド福音ルター派教会とフィンランド正教会を国教としている。アイスランドもルーテル教会を国教に定めている。これらの国では、信教の自由を認めながら、特定の教会を国教に定め、その教会に対してのみ政府は保護・支援を行なっている。こうした国では当然、政治と宗教は切り離せない。
 イタリアは、第2次世界大戦後に制定された憲法でカトリック教会を国教に定めた後、1985年以降、政教条約(コンコルダート)方式に替わった。スイス、ベルギー等は、優勢な宗教を尊重する寛容令方式を取っている。
 それゆえ、国家と宗教の厳格分離は、国際標準ではまったくない。各国は自らの国の伝統に基づいて、国家と宗教のあり方を定めているのである。

 次回に続く。

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