mixiユーザー(id:525191)

2018年03月01日09:28

105 view

宗教4〜宗教の分類(続き)

●聖典を持つ宗教/聖典を持たない宗教

 神話・教義・祭儀等を文字に書いた聖典を持つ宗教と、持たない宗教がある。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教、ヒンドゥー教、仏教、儒教、道教は、聖典を持つ宗教である。神道は、仏教の経典やキリスト教の聖書にあたる聖典がないとされることが多い。ただし、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『宣命』等の古典を「神典」と称し、仏教・キリスト教等の文書に相当するという主張もある。私は、この説を支持する者である。
 これに比し、文字に書いた聖典を持たない宗教は、氏族的部族的な宗教に多い。

●啓典宗教/啓典なき宗教

 ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の聖典は、単なる聖典ではなく、啓典と書く。これらの一神教では、唯一の神の啓示を記録したものと信じられているからである。
 啓典なき宗教が一概に啓典宗教に劣るということにはならない。啓典ではない聖典を持つ宗教は、神や実在に関して異なった考え方に立っているからである。

●啓示宗教/非啓示宗教
 
 ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教は、預言者または開祖が唯一の神の啓示を受けたと信じている。そうした宗教を、啓示宗教という。これに対し、啓示に基づかない宗教を、非啓示宗教という。
 ただし、非啓示宗教であっても、多神教の中には、それぞれが信じる神々の言葉が記されている聖典を持つものがある。ヒンドゥー教や神道がその例である。そうした神々の言葉を一神教における神の言葉と同じように位置づけることは可能である。また祭儀や卜占において神の意思が示されるとか、特異な事象を神の知らせと理解する宗教もある。それゆえ、啓示宗教のみが神の意思を伝えるものであり、非啓示宗教はそうでないということにはならない。
 なお、啓示宗教と自然宗教という対比もある。この場合、自然宗教は、神の啓示ではなく、人間の理性・感情・宗教性に基づく宗教を意味する。

●契約宗教/非契約宗教

 ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教は、預言者または開祖が唯一の神と契約を結んだと信じ、その契約が信仰の核心となっている。そうした宗教を、契約宗教という。これに対し、唯一の神との契約に基づかない宗教を、非契約宗教という。
 例えば、神道では、人は契約によって神と結ばれるのではなく、神々の子孫としてもともと神々とつながっているとされる。この考え方は、世界の諸民族に広く見られるものであり、キリスト教化する以前の古代ギリシャ人やゲルマン民族もそのように考えていた。

●氏族的・部族的宗教/民族宗教/世界宗教

 氏族・部族の範囲で信仰されている宗教が、氏族的・部族的宗教であり、民族の範囲で信仰されているのが、民族宗教である。民族宗教における民族とは、エスニック・グループを意味する。エスニック・グループは、一般にしばしば民族と訳される近代的なネイション(国家・国民)と区別される。ネイションを持たないエスニック・グループや、救数のエスニック・グループで構成されるネイションがある。
 氏族的・部族的宗教や民族宗教に対し、民族的な集団の範囲を超えて広がった宗教を、世界宗教という。世界宗教といっても、現実に地球全体に広がった宗教という意味ではない。実態としては、古代の帝国や一つの文明の範囲を超えたものを言う。こうした広域的な宗教は、その地域内及び周辺の諸民族に浸透し得る普及力を持っている。さらに民族や文化を超えた強い普及力を持つ場合は、世界的に伝播し得る可能性を持つ。その水準に達した宗教こそ、世界宗教と呼ばれるにふさわしい。仏教、キリスト教、イスラーム教がそうである。これらの宗教では、民族の枠組みを超えた教義が説かれている。

●集団救済の宗教/個人救済の宗教
 
 主に集団を救済の対象とする宗教を、集団救済の宗教という。集団を救うことによって、その集団を構成する個人をも救うことを目的とする。ユダヤ教、儒教はその例である。これに対し、主に個人を救済の対象とする宗教を、個人救済の宗教という。仏教、キリスト教、イスラーム教はその例である。個人の救済を通じて集団を救うことを目的とする。
 前者の一つであるユダヤ教は、自らを選民と信じる民族が神に集団救済を求める宗教である。そこでは、神が個人を直接対象にして救うという考え方は、成り立たない。後者の一つであるキリスト教では、個人の救済を通じて救われる集団は、ユダヤ民族ではなく、イエスを信じる信徒の集団である。ユダヤ教を脱民族化し、またそれによって個人の救済に志向した宗教が、キリスト教である。

 次回に続く。

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する