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2018年02月01日09:46

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キリスト教4〜教祖とされるイエス

●教祖

 ナザレのイエスの誕生は、紀元前7年から紀元後4年の間、また十字架刑に処せられて死んだのは、紀元後30年から32年の間と推定されている。
 キリスト教暦(西暦)で紀元前をBCと言うのは、before Christ(キリスト以前)、紀元後をADと言うのは、anno Domini(わが主の年)を意味する。
 イエスは、ユダヤのベツレヘムにマリアの子として誕生した。マリアは許婚者に大工のヨセフがいたが、「聖霊によって身籠った」とされる。これを処女懐胎という。
 イエスはナザレで育ち、家業の大工に従事していた。30歳のころにバプテスマのヨハネから洗礼を受けた。ヨハネは神の国が近づいたことを人びとに伝え、人びとに悔い改めを迫って、罪のゆるしに至る洗礼を授けていた。ヨハネは、悪女サロメの切望を受けたヘロデ王によって斬首刑にされた。イエスはヨハネの悔い改めの説教を受けつぐ形で、ガリラヤ地方を中心に伝道活動を始めた。この点は重要である。イエスは、はじめから独創的な教えを説いたのではない。ヨハネの教えを受け継ぎ、それを発展させたのである。いわばユダヤ教ヨハネ派から出て、独自にイエス派を立てたものである。
 イエスの言行を描く福音書のうち、最も古く書かれたマルコによる福音書は、イエスの教えを次のように約言した。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ書1章15節)。

 イエスは、やがてユダヤ教の重視する煩瑣な律法を斥け、律法に現れた神の意思そのものに従うことを人々に教えるようになった。これによって、正統的なユダヤ教と決定的な相違が現れた。イエスは、ユダヤ教の律法主義・形式主義を乗り越えるものとして、人類に対する神の愛を強調した。また、神の力によって奇跡を起こしたとして、新約聖書には約40の話が書かれている。こうしたイエスの教えと活動は、ユダヤ教の正統派であるファリサイファリサイ派(ファリサイ派とも書く)やサドカイ派の反感を買った。そのため、伝道生活わずか2年で捕えられた。
 『マルコによる福音書』は、イエスが捕囚と死と復活を予言していたとして、次のように書いている。「イエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。」(マルコ書8章31節)。

 イエスはまずローマ帝国でユダヤ人に許されていた自治機関である最高法院の裁判にかけられた。ここでイエスは「神を冒涜する者」として、死刑に値するという判決を受けた。最高法院は、死刑を執行する権限をローマ帝国から与えられていなかった。続いて、イエスはローマ領ユダヤの総督ピラトのもとで裁判を受けた。ピラトは、イエスがローマの支配に反抗する謀反者という罪状でイエスの死刑を決定した。イエスは、エルサレム門外のゴルゴダの丘の上で十字架刑に処せられた。
 『マルコによる福音書』は、十字架上のイエスについて、次のように書いている。「三時にイエスは大声で叫ばれた。『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である」。(マルコ書15章34節)。
 これはイエスが絶望して神に訴えたものではない。イエスが口にしたのは、旧約聖書の詩篇22の冒頭の言葉であり、最後は神への信頼を以って終わるものだからである。 イエスの遺体は墓に納められたが、3日目に婦人たちが墓に行くと遺体がなくなっていた。誰もイエスが墓において蘇った瞬間を目撃した者はいない。ただ墓が空になっていることが確認された。
 その後、イエスは弟子や信徒らの前に姿を現したとされる。イエスの奇跡のうち、最大のものは、この復活の奇跡である。人類の歴史において、死んだと思われた者が埋葬後、よみがえったという話はまれにあるが、イエスのように自らの復活を予言し、その通り復活したと伝えられている例は、他にない。さらにイエスは、40日間にわたり弟子や信徒の前に姿を現して復活を証明し、最後にオリーブ山から弟子たちの見守るなかで昇天したと信じられている。
 イエスはユダヤ教徒であり、ユダヤ教の改革者だった。イエス自身に、ユダヤ教徒は別の新しい宗教を開くという考えがあったかどうかはわからない。マルコ、マタイ、ルカによる福音書では、イエスは、自分を「人の子」と言っている。周りが彼を「神の子」と呼んだり、「神の子」なのかと疑っても、イエス自身は「神の子」だとは自称しない。だが、ヨハネ福音書では、イエスの言葉として自分を「神の子」という文言が次の箇所など3か所ある。「はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。」(ヨハネ書5章25〜26節) しかし、これはヨハネが書いている文言であり、イエスが自分は「神の子」であると自称し、また救世主であると認識していたかどうかは、明確ではない。

 イエス本人がどうだったかは別として、イエスを「神の子」と崇める信仰は、彼の死後間もなく、弟子たちの間に芽生えた。イエスが起こした奇跡、特に死と復活を目撃した弟子たちは、イエスこそユダヤ教で待望されるメシア(救世主)だと信じるようになった。弟子たちがイエスを救世主と信じ、そのことを伝える活動を行ったことによって、キリスト教が誕生した。それゆえ、イエスは自らキリスト教を創設したのではないが、キリスト教の教祖とされる。

 次回に続く。
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