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2017年09月29日10:07

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ユダヤ108〜ベルグソンは哲学者として栄誉を受けた

●ベルグソンは哲学者として栄誉を受けた

 次に挙げたいのは、アンリ・ベルクソンである。ベルクソンは、1859年にポーランド系ユダヤ人を父、イギリス人を母としてフランスに生まれた。20世紀前半を代表する哲学者の一人であり、また当時の世界的知性の一人として尊敬を集めた。
 ベルクソンは、自分の哲学を意識に直接与えられたものの考察から始めた。ベルクソンは、一般にいう時間とは、空間的な認識を用いた分節化によって生じた観念であると批判した。そして、分割不可能な意識の流れを「持続」(durée)と呼んだ。そして、意識は、異質なものが相互に浸透しつつ、時間的に継起する純粋持続として、自由であることを主張した。
 次に、ベルクソンは心身問題を考察した。実在とは持続であるとする立場から、持続が弛緩した極限は、記憶を含まない瞬間的・同時的な純粋知覚としてのイマージュであり、持続の緊張の極限は、すべての過去のイマージュを保存する持続的な純粋記憶である。前者が物質であり、後者が精神であるとした。身体と精神は、持続の律動を通じて相互に関わり合うことを論証し、デカルトの物心二元論を乗り越えようとした。
 こうして持続の一元論から意識・時間・自由・心身関係を説くベルクソンは、その学説をもって、生命とその進化の歴史を考察した。1907年刊の著書『創造的進化』は、持続は連続的に自らを形づくる絶えなき創造であるという思想に基づく。ベルクソンは、事物を固定して空間化する知性や、限られた対象に癒着した本能では、持続としての実在の把握はできない。自己を意識しつつ実在に共感する直観によらなければならないと説いた。そして、進化を推し進める根源的な力として、「生の躍動」(élan vital、エラン・ヴィタール)を想定し、エラン・ヴィタールによる創造的進化として生命の歴史をとらえた。生命の根源には、超意識がある。超意識に発する生命は、爆発的に進行しながら、物質を貫いていく流れである。その流れは、動物・植物に分かれ、様々な種に分裂してきた。その先端に、自らを意識する人類が立っていると見た。
 さらにベルクソンは、この創造的進化説をもとにして、1932年刊の『道徳と宗教の二源泉』においては、人類の精神的な進化を論じた。道徳と宗教の第一の源泉は、自然発生的な「閉じた社会」における防衛本能である。その社会は、社会的威圧が個人を支配する停滞的・排他的な社会であり、閉じた道徳と迷信的な「静的宗教」に支えられている。道徳と宗教の第二の源泉は、愛である。「閉じた社会」は、実在を直観によって把握する道徳的英雄や宗教的聖者の働きかけによって、「開かれた社会」に飛躍し得る。開かれた道徳は特権的人格のうちに体現され、それを模倣する人々によって実現する。「静的宗教」は、愛を人類に及ぼす「動的宗教」に替わると論じた。
 ベルクソンによると、開かれた魂の出現は、唯一の個体からなる新しい種の創造であり、生命の進化の到達点を示す。彼らの愛は人類を包み込み、動植物や全自然にまで広がる。その愛は、特権的な人々に全面的に伝えられた「生の躍動」であり、彼らは「愛の躍動」(élan d'amour、エラン・ダムール)を全人類に刻印しようとする。われわれが彼らの呼びかけに応える時、人類は被造物である種から、創造する努力に変わり、人類を超えた新たな種が誕生するだろう、とベルクソンは述べた。ベルクソンは、宗教のもとにある神秘主義を評価し、完全な神秘主義は、愛としての神との合一を目指すキリスト教神秘主義であるとした。
 こうしたベルクソンの思想は、機械文明が発達し、世界戦争が繰り返される危機の時代に、人類の精神的な進化を願い求めるものだった。
 ベルクソンの哲学は、一般に「生の哲学」に分類され、反主知主義で実証主義に批判的な形而上学とされる。だが、彼は自然科学の最新の成果に目を向け、それを哲学の立場から検討した。それゆえ、実証主義的・経験主義的形而上学と呼ばれる。
 ベルクソンは、アインシュタインの相対性理論が発表されると、その論文を読み、『持続と同時性』を書いて持論を述べた。アインシュタインは、これを読んで、ベルクソンが相対性理論を理解し、反対はしていないことを確認した。また、ベルクソンは、英国心霊科学研究協会の会長に就任し、開明的な物理学者・心理学者・生理学者等と交流した。『精神のエネルギー』に収められている論文は、物質科学が対象から除外している心霊現象やテレパシー等を考察したものである。ベルグソンは特にテレパシーの事例に注目し、「心は体からはみ出ている」として、身体と霊魂の関係を「ハンガーと洋服」の関係にたとえている。
 ベルクソンは、1922年に国際連盟の知的協力に関する国際委員会の議長に選ばれた。また1927年にノーベル文学賞を受けるなど、ユダヤ人でありながら、知識人としての最高の名誉に恵まれた。1941年に、ドイツが占領するパリで、ユダヤ人への連帯のため、ナチスの提供する特権を拒み、清貧のうちに没した。カトリック教会にユダヤ教の完成形態を認め、死に際しては、カトリックの臨終の儀礼を受けたといわれる。
 ベルクソンは、彼一人で20世紀の哲学の一大学派をなした。また、同時代の哲学者である西田幾多郎、マルチン・ハイデッガー、ウィリアム・ジェームズをはじめ、ユダヤ人作家のマルセル・プルースト、文明学者のトインビーなどを強く触発するとともに、後世のフランスの知性に甚大な影響を与え続けている。
 ベルクソン以外にも、20世紀前半の哲学の学派の多くは、ユダヤ人に拠っている。現象学のエドムント・フッサール、論理実証主義のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン、科学哲学のカール・ポパー、政治哲学のレオ・シュトラウスらがそうである。これらのユダヤ人哲学者を除くと、20世紀前半以降の哲学史は、まったく違う様相のものとなったことだろう。

 次回に続く。
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