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2017年04月30日08:48

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ユダヤ43〜フリーメイソンへのユダヤ人の加入

●フランス市民革命とユダヤ人の解放
 
 アメリカ独立革命に刺激を受けたフランスの市民革命は、ユダヤ人の自由と権利の保障に大きな進展をもたらした。フランスではカトリック教会の権威が増大した14世紀末に、ユダヤ人に対する迫害が進んだ。1394年には追放に至った。それがフランス革命を機に一転し、ヨーロッパで初めてユダヤ人の解放が実現した。
 1789年の人権宣言は、正式には「人間及び市民の権利宣言」という。人権宣言は、第1条に「人は、自由かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する」と謳った。アメリカ独立宣言では、この権利は神による付与とされていたが、人権宣言は「造物主」による権利付与を明記しておらず、権利の神与性が否定された。そして宣言が謳う自由と権利は、ユダヤ人にも適用されるようになった。
 1791年9月、人権宣言のもと、国民会議はユダヤ人解放令を出し、フランスのユダヤ人に完全な市民権を認めた。これは、西欧におけるユダヤ人の歴史において、画期的なことだった。宗教の違いにかかわらず平等の権利が保障され、ユダヤ人の地位は向上した。
 実は、ユダヤ人解放令といっても、フランス革命当時、フランス中央部にはパリ在住のほんの少数の個人を除いて、ユダヤ人はいなかった。しかし、革命の指導者たちは、普遍的な理念のもとにユダヤ人も市民と平等であるべきだと考えた。その理念は、人権思想や宗教的寛容によるものだが、同時に宗教の違いを超えて会員を受け入れるフリーメイソンの原則にかなったものでもあった。フリーメイソンは、ユダヤ人の解放に貢献したのである。
 家族型に基づく価値観という点から見ると、フランス中央部は平等主義核家族を主とする。この家族型は自由と平等を価値とし、人間はみな本質的に同じという普遍主義の思想を持つ。中央部のフランス人は、よくユダヤ人を知らずに、自らの普遍主義の理想を実現するために、ユダヤ人の解放を決めたのである。
 人権宣言とユダヤ人解放令は、フランスにおけるユダヤ人の同化の歴史の始まりとなった。
 ユダヤ社会の家族型は、直系家族である。直系家族は、権威と不平等を価値観とする。トッドは、直系家族システムを「父系への屈折を伴う双系システム」と定義し、ユダヤの人類学的システムは、父方・母方の親族に平等に重要性を与える双系制だとする。遺産相続は女性を対象から除外しており、この点は父系的だが、ユダヤ人はユダヤ人の母親から生まれた者をユダヤ人とするので、この点では母系的である。そのため、女性の地位はある程度高い。
 フランス人は普遍主義の思想を公言しながら、人類学的な多様性を受け入れる。ただし、それには最低限二つの条件がある。女性の地位がある程度高いことと族外婚である。これらの条件を充たせば、家族制度の差異には寛大である。ユダヤ人は族内婚ゆえ、その点ではフランス人の求める条件に抵触する。しかし、父親の権威が強い一方、女性の地位は低くないので、二つの条件のうち一つはクリアーする。そのため、ユダヤ人はフランスの社会で受け入れられた。そして、あまり疎外されずに同化し得てきた。フランスのユダヤ人は、自分を同時に「人間」であり、「フランス人」であり、かつ「ユダヤ人」であるという「普遍主義的な誇り」を持つことができた。フランスにおけるユダヤ人の同化は、「疎外の少ない同化」だったとトッドは評価する。

●フリーメイソンへのユダヤ人の加入

 フランス革命でユダヤ人にも市民権が認められると、その影響が他の国にも広がった。1796年にはオランダ、1798年にはイタリアのローマ、1812年にはプロシアというように、次第にユダヤ人の平等権が保障されるようになった。
 とはいえ、実態としてのユダヤ人差別は、根強く残っていた。そうした18〜19世紀の西欧で、ユダヤ人を会員として分け隔てなく受け入れたほとんど唯一の友愛団体が、フリーメイソンだった。
 フリーメイソンは、宗教の違いを超えて会員を受け入れることを原則としていた。中世以来、差別されていたユダヤ人は、近代化の進むキリスト教文化圏で、ゲットーでの生活から抜け出て社会に参入しようとしていた。そのために、自由を求めて、フリーメイソンに入会しようとした。フリーメイソンは、ユダヤ人にとって、キリスト教徒と対等な立場で仲間づきあいができる外にない場だった。メイソンの会員であることは、社会的地位の高さを示すから、ユダヤ人富裕層が入会を求めて殺到した。ユダヤ人の参加に困惑し、制限するロッジもあったが、受け入れるロッジもあった。ユダヤ人にとってフリーメイソンは非常に居心地がよかったので、やがてユダヤ人ばかりになった支部も多く出現した。
 アメリカでは、ユダヤ人のみのメイソン組織が誕生した。その名をブナイ・ブリスという。1843年にニューヨークで設立された。ブナイ・ブリスとは、伝統的にはユダヤ人互助組織の名称であり、「契約の子孫」を意味する。組織をロッジと呼び、様々な秘儀を行うとともに、イディッシュを使用していた。南北戦争の時には、ロンドンの金融界から指示を受けてアメリカにおいて戦争工作を担当した。その後も、ロスチャイルド家やユダヤ系メイソンと連携しながら、米国の政治・外交・経済・金融に影響を与えてきたと推察される。その活動は、20世紀に入ってからの米国でのユダヤ人の進出へとつながっていく。
 アメリカは建国時からWASP(ホワイト=アングロ・サクソン=プロテスタント)が支配層を占める社会である。1921年にユダヤ人にも門戸を開いた外交評議会(CFR)が設立されるまで、ユダヤ人は上流階層の社交クラブの入会が認められなかった。それゆえ、ユダヤ人を受け入れるフリーメイソンや、ユダヤ人によるメイソン組織は、アメリカでユダヤ人が活動する上で、貴重な場所だった。
 アメリカでは、ワシントン以後、歴代のアメリカ合衆国の大統領のうち、F・D・ルーズベルト、トルーマン、レーガンなど16人がメイソンだったといわれる。政治的な主張、政策、所属教会等が違う政治家が加入しているということは、フリーメイソンが秘儀集団とか政治結社という性格を失い、社会的には緩やかな親睦交流団体となっていることを意味するだろう。

 次回に続く。

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