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2017年02月28日10:17

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ユダヤ18〜ユダヤ人と日本人

●ユダヤ人の多様性

 ユダヤ人は、わが国の多くの人に思われているようには決して一様ではなく、多様性に富んでいる。まずユダヤ教の宗派には、先に書いたように超正統派、正統派、保守派、改革派の四つがあり、宗派によって信仰についての考え方が違う。広義のユダヤ人には、ユダヤ教徒だけでなく、キリスト教徒や無神論者・唯物論者等もいる。政治的にも、イスラエルのユダヤ人には、自由主義者もいれば、社会主義者もいる。右翼政党連合のリクード、左翼の労働党の他、少数党がいくつもある。アラブ諸国との対決を主張する勢力もあれば、和平共存を願う勢力もある。アメリカのユダヤ人には、民主党を支持するリベラルな者が多いが、共和党を支持する保守的な者もいる。古典的自由主義の自由至上主義者(リバータリアン)や新保守主義者(ネオ・コンサーバティスト)すなわちネオコンもいる。また世界的には、自由主義、共産主義、グローバリズム、ナショナリズム、コミュニタリアニズム、コスモポリタニズム等の思想を持つユダヤ人がいる。日本に対しては、猛烈に反日的な者、日本に興味も持たない者、日本の文化を愛する親日的な者、日本人とユダヤ人は共通の祖先を持つという説を信奉する者がいる。また、日本よりも中国・華僑との友好を求める者や、アジア全体を嫌悪する者等もいる。
 このようにユダヤ人の考え方は多様であり、また個人個人の自己主張が強い。また、ユダヤ人社会には様々な団体があり、それぞれの主義主張を唱えている。それゆえ、ユダヤ人は決して一枚岩ではない。また、こうした多様性が様々な分野で驚異的な能力を発揮し得る背景ともなっているだろう。

(3)ユダヤ人と日本人

●ユダヤ教と神道

 ここで第1章と第2章にまたがることとして、ユダヤ教と神道、ユダヤ人と日本人について書く。
 ユダヤ教と神道には、世界の主要な宗教の中で、ともに民族宗教であるという共通点がある。また、主に次のような類似点がある。

(1)生命を肯定し、現世の幸福を追求する。
(2)性愛を自然なものとし、子孫の繁栄を願う。
(3)ラビまたは神職に独身生活を課していない。
(4)労働を神聖な行為とし、労働で得た成果を聖なるものに捧げる。
(5)飲酒を禁じず、儀礼において酒を飲む。
(6)穢れを忌み嫌い、穢れを祓う清めを行う。ユダヤ教では、死体に接した者、月経や出産後の女性は、ミクベ(沐浴場)で首まで水につかって、身を清める。神道では、海や川などで禊を行う。

 ただし、相違点はもっと重要である。ユダヤ教は一神教であり、神道は多神教である。ユダヤ教は神ヤーウェ以外の神々や霊的存在を偶像として禁止する。神道は自然の事物や人間等の八百万の神々を祀る。この違いは決定的である。上記のような類似点を多数挙げたとしても、この決定的な違いを埋めるものではない。
 ユダヤ教は選民思想を持ち、偶像崇拝の禁止とあいまって、ほかの民族や宗教に対して排外的・闘争的である。これに比し、神道は多様なものを受け入れ、これを融和・共存させる。儒教・道教・仏教等が伝来するとこれらを受容し、逆に日本化した。それゆえ、日本には宗教戦争がなかった。
 ユダヤ教は、キリスト教、イスラーム教、ヒンドゥー教、仏教、儒教、道教等と同じく大陸の影響を受けて発生した宗教である。これに対し、神道は、海洋の影響を受けて発生した宗教である。大陸的な宗教が陰の性格を持つのに対し、海洋的な宗教である神道は陽の性格を持つ。明るく開放的で、また調和的・受容的である。多神教であるうえに海洋的であることが、神道の共存調和性のもとになっている。

 ところで、ユダヤ教と神道は同じ根源を持つという説は、その証と一つとして、伊勢神宮参道の石灯籠にダビデの星と同じ六芒星が彫られていることを挙げる。だが、ユダヤ教は偶像崇拝や神についていかなる図像も禁止しており、ダビデの星については、聖書には何も書かれていない。また、この図形は、ユダヤ教独自のシンボルではない。すでに考古学でいう青銅器時代に西はブリテン島から東はメソポタミアに至る広い地域の諸民族が使用しており、古代・中世には地球上のさまざまな民族が用いていた。中世の西方キリスト教社会では「ソロモンの封印」と呼ばれ、教会建築の幾何学的装飾文様として頻繁に用いられた。
 この図形がユダヤ人の象徴としてユダヤ人の間で普及するのは19世紀のことであり、1898年の第2回シオニスト会議においてシオニストの旗印に選定されて以降のことである。
 それゆえ、伊勢神宮参道の石灯籠の六芒星をダビデの星だとし、ユダヤ教と神道が同根であることの証とするのは、間違いである。

●同祖論に確かな根拠なし

 次に、ユダヤ人と日本人の関係について、ユダヤ人と日本人は共通の祖先を持つという説がある。日猶同祖論という。
 日猶同祖論の始めは、英国人のノーマン・マクレオドが1875年(明治8年)に長崎の出版社から刊行した英文の書『日本古代史の縮図』である。マクレオドは幕末に来日し、古代イスラエルと日本の習慣の類似性に関心を持ち、日本人はユダヤの第10支族の子孫であり、天皇家の歴史は古代イスラエル王家の歴史を継承したものであると唱えた。本書は1901年に『ユダヤ百科事典』に取り上げられ、アインシュタインがそれを読んで日本に関心を抱いたといわれる。
 日本人では、東洋史学者の佐伯好郎が、1908年(明治41年)の論文「太秦(うずまさ)を論ず」で、京都の太秦に住んだ渡来系の豪族・秦氏はユダヤ人だったと主張した。また、1932年(昭和7年)にキリスト教の牧師・中田重治が、太古の日本にユダヤ人が渡来し、彼らと先住民の混血により今日の日本人が誕生したと説いた。
 今日も日猶同祖論は一部のユダヤ人と日本人によって説かれているが、人類学的にも遺伝学的にも歴史学的にも、確かな根拠を持たない仮説である。

 次回に続く。
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