mixiユーザー(id:525191)

2017年02月23日08:55

676 view

ユダヤ16〜ユダヤ人の優秀性

●言語

 古代ユダヤ人は、ヘブライ語を話した。ヘブライ語はセム語族に属する。
 ユダヤ人は、ローマ帝国に神殿を破壊され、各地に離散すると、たどり着いた土地の言語を日常語として用いた。だが、自らの共同体の内部では、その土地の言葉をヘブライ文字で表記する独自の言語を創り出して使用した。ユダヤ・スペイン語、ユダヤ・アラビア語、イディッシュ語がその代表的なものである。
 アシュケナジムが使うイディッシュ語は、中世中欧でドイツ語文法を基礎にして生まれた。語彙の約85%はドイツ語に起源を持つとされる。それをヘブライ文字で表記する。
 離散後の長い歴史の中で、ヘブライ語は祈りと教典学習のためだけの書き言葉になっていた。これを生きた話し言葉として復活させたのが、エリエゼル・ベン・イェフダである。19世紀末から20世紀初めにかけて、シオニズムの運動が広がり、ユダヤ人が世界各地から続々とパレスチナに帰還した。彼らは、様々な出身地の言葉を話していた。ベン・イェフダは、故国再建のためにはユダヤ人を一つにまとめる共通の日常語が必要だと考えた。イスラエル建国の際、彼の創った言葉が公用語とされた。それが、現代ヘブライ語になっている。
 近代国家の国民(ネイション)の形成において、国語の創出は重要な役割を果たすことが多い。ユダヤ人はこの点において、国語・国民の創造に成功している。

(2)能力と活躍

●類まれな能力

 ユダヤ人は、経済的能力に極めて優れているが、それだけでなく学問、思想、科学、芸術等の分野で多数の天才を輩出し、優れた成果を生み出してきた。
 ユダヤ人は人類の人口のわずか0.20%を占めるに過ぎない。だが、ノーベル賞の受賞率は人類平均の150倍にも達する。1999年までの受賞者総数698人のうち、約20%に当たる136人がユダヤ人だった。20世紀後半から21世紀初めにかけての時期では、平和賞を除く同賞に占めるユダヤ人の割合は、30%前後を維持している。日本人は、1%程度に過ぎない。
 社会学者シーモア・リプセットの著書『ユダヤ人とアメリカの新舞台』によれば、1995年の同書刊行時点で、ユダヤ人は過去30年間にノーベル科学賞・経済学賞を受賞したアメリカ人の約40%を占めた。また全米のトップクラスの知識人200人の約50%を占めた。またリプセットは、別の論文で1990年度における全米のトップ30の大学の教授陣の約30%をユダヤ人が占めていると書いているという。
 アメリカ人の知能の平均を100とすると、ユダヤ人の平均は115という測定結果が発表されている。理論物理学や数学の分野で卓越した業績を上げられるのは、知能指数が140以上の人間といわれるが、その水準の知能を持つ人間をユダヤ人はアメリカ人の平均の約6倍も輩出しているという調査結果もあるという。

●ユダヤ人が優秀である理由
 
 ユダヤ人は、なぜこれほど群を抜いて優秀なのだろうか。人類の歴史の七不思議の一つともいえるこの現象について、いろいろな説が出されている。
 佐藤唯行は、著書『日本人が知らないユダヤの秘密』で、それらの説を紹介している。
 第1は、環境説である。ユダヤ人は学問・文化の中心である都市に集住し、高い教育を享受できる豊かさを得た。また、長い間疎外されたことで、世に認められたいと願う自己顕示欲が、人一倍高まったという説明である。佐藤は、この説明には説得力があるが、彼らの驚異的な知的偉業達成率は、環境説だけでは説明困難だと見る。
 第2は、遺伝説である。血統的優秀さで説明しようとする説である。その中の一つに、迫害が激しかった時代には賢い者だけが生き残り、愚かな者は淘汰されたという淘汰説がある。佐藤は、淘汰説は説得力に乏しいとして反証を挙げる。ロマ族(ジプシー)はユダヤ人と同様に迫害され続けたが、ユダヤ人ほど知力を発揮させることはなかった。また、ユダヤ人の中でも商売で成功し富を蓄えた商人は賢いわけだが、そういう者ほど迫害の際には真っ先に標的とされ、殺される確率が高かった。
 第3は、社会説である。ユダヤ教社会では学者が尊敬され、子孫を残せたという説である。それによると、ユダヤ教社会では、財産を持つ無学な者よりも貧しいユダヤ教学者のほうが、結婚相手獲得をめぐる競争で勝利を収め、学者が子孫を増やせた。これに対し、カトリックの社会では最も賢い子は司祭となり生涯を独身で過ごし、子孫を残さなかったとする。佐藤はこの説も信憑性に乏しいとして、富裕なユダヤ商人が一文無しの学者を自分の娘婿にする事例は少なかったと指摘する。
 これらの環境説、遺伝説、社会説は、どれも説得力を欠く。佐藤は、これらに代わって近年有力視されてきた説として、職業選択説と学習中心説を挙げる。
 第4となる職業選択説とは、金融業・商業を通じて知力が磨かれたという説である。9〜10世紀にユダヤ人が西欧・中欧へ定住するようになると、彼らの就ける仕事は、金融業・商業に法的に限定されていった。それらでの成功には、非ユダヤ人が従事する農業などに比べ、高い知力が必要だった。庶民が慢性的飢餓にさらされていた中世において、高収入の家庭は栄養状態がよく、幼児死亡率が低下する。その結果、高収入のユダヤ人は子孫を増やせたと説明するものである。
 第5の学習中心説とは、ユダヤ教が学習中心の宗教に変容したことが、ユダヤ人を優秀化したという説である。この説は、古代にさかのぼって説明を行う。紀元後1世紀、ローマ帝国の支配により、それまで神殿での祭儀中心の宗教だったユダヤ教が、教典学習中心の宗教へ変容した。そのことが、ユダヤ人の知力底上げの契機となったという説である。それによると、64年、パレスチナのユダヤ教指導者ジョシュア・ベン・ガマラは、すべてのユダヤ人男子は、6歳になったらユダヤ人学校で学ばなければならないという布告を全ユダヤ人に通達した。この布告は遵守され、2世紀を経ずしてユダヤ人男子は世界の諸民族の中で、例外的ともいえる識字・計算能力をほぼ100%の割合で身につけた。この布告の追い風となったのが、70年、ローマ軍によるエルサレムの神殿破壊である。神殿での祭儀が不可能となったことで、シナゴーグでの教典学習中心主義が、ユダヤ教の主流になったからである。教典学習は中級・上級のタルムードへ進むとかなりの知力が要求される。そのためユダヤ人の中で知力の乏しい者は、学習が苦痛となり次々と脱落し、ユダヤ教徒であることをやめてしまった。そのため、ローマ帝政初期に帝国総人口の7〜8%を占め、約800万人もいたユダヤ人口は、1〜6世紀の間に次々とその姿を消し、多くはキリスト教徒の農民になった。第4の職業選択説のいう都市での職業選択が始まる以前に、学習不適格者を抱え込まなくなったユダヤ教社会では、知力の底上げが完成していた。こうして優秀な人材だけがユダヤ人として残ったというのである。
 佐藤が紹介する職業選択説と学習中心説は矛盾するものではなく、古代ローマ時代以降の優秀化は学習中心説で説明され、西洋での中世以降における優秀化は職業選択悦で説明できる。これらの説を総合すると、教典学習中心の信仰で優秀化したユダヤ人は、金融業・商業を通じてさらに知力が磨かれたと考えられる。ただし、ユダヤ人が生活する社会環境が、彼らが豊かな文化に触れ、高い教育を受けることを可能にしたという要因もあるだろうし、優秀な親が子供を育てることを千年単位で繰り返すことで、世代を重ねて優秀化が進んだという要因もあるだろう。
 なぜユダヤ人が抜群の優秀性を示すのかという問いは、様々な角度からの総合的な考察を必要とするのである。

 次回に続く。

4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する