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2017年02月13日09:51

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ユダヤ12〜ユダヤ教の組織と信仰

(3)組織

●宗教的民族的共同体

 ユダヤ教は民族の宗教ゆえ、もともと民族的共同体がそのまま宗教的共同体だった。民族とは別個に自立した教団があるのではない。この宗教的民族的共同体の組織は、宗教だけでなく、政治・経済・社会・文化を総合的に含む組織である。これは、古代から前近代まで世界に広く見られる伝統的な共同体のあり方を保つものだった。
 紀元70年に古代ロー帝国によってエルサレムの都市と神殿が破壊され、ユダヤ人は祖国を喪失して流浪の民となった。以後、ユダヤ人は各地の社会において、伝統的共同体としてのユダヤ教社会を維持していた。
 1880年代からパレスチナへの移住運動が始まり、イスラエルの建国に至ったが、イスラエルは多民族・多宗教国家であり、国民の中には非ユダヤ人や非ユダヤ教徒もいる。政教分離を原則としており、ユダヤ教を国教としていない。それゆえ、国民共同体と信徒共同体は一致していない。宗派の異なる集団が並存している。これは、イスラエル以外の諸国に居住しているユダヤ教徒の集団においても同様である。
 各宗派の組織に共通するのは、聖職者と一般の信徒によって構成されていることである。

●聖職者
  
 ユダヤ教の聖職者をラビという。ラビは、律法学者を意味する。ラビは紀元前5世紀から律法の研究や戒律の整備を行い、ユダヤ教を発展させた。今日のユダヤ教は、彼らによる「ラビのユダヤ教」を継承したものである。
 ラビは、ユダヤ教の指導者としての知識を学び、訓練を受け、その職を任された者である。歴史的にはシナゴーグと呼ばれる集会所の指導者であり、ユダヤ人共同体の指導者も務めてきた。
古代・中世には、ラビは他の生業を持つ者とされていたが、16世紀以降、専門的な職業化が進んだ。それには、キリスト教の影響が指摘される。ただし、ラビは、キリスト教のカトリック教会の聖職者とは違い、人と神の中間に位置し、神へのとりなしを果たす役割を持つ者ではいない。
 ラビの最も大切な仕事は、ユダヤ教の礼拝を主導し、祈りや祭りの持つ深い意味を信徒に教えることである。また、ラビは精神的指導者の仕事にとどまらず、様々な相談ごとに応じるよろず相談承り人ともなっているといわれる。

●シナゴーグ
 
 宗教は多くの場合、祭儀を行う場所や信者が集う施設を持つ。ユダヤ教徒は、ローマ軍に国を滅ぼされて神殿を破壊されてからは、離散した各地で集会所に集まって宗教活動を行ってきた。神殿での祭儀が不可能となったことで、シナゴーグでの教典学習が中心となった。
 ユダヤ教の集会所をシナゴーグ(会堂)という。ギリシャ語のシュナゴゲー(集会所)に由来する。ユダヤ教会と称されることもある。シナゴーグは、もともと聖書の朗読と解説を行う集会所だった。現在は祈りの場であるとともに、礼拝や結婚、教育の場であり、また文化行事なども行うユダヤ人共同体の中心施設となっている。

(4)信仰

●目的

 ユダヤ教徒にとって、人生最大の目的は、神の定めた律法を厳格に守ることによって、神の前に義とされ、神の国に入る資格を得ることである。それを信徒が個々に自分のために目指すのではなく、集団で目指すところに、ユダヤ教の信仰の目的がある。

●行為の重視

 ユダヤ教は、律法主義の宗教である。律法に従い、戒律を守るために、実践を重視する。信仰を持っていたとしても、決められたことを実行しないのは、ユダヤ教徒のあるべき姿ではないとされる。キリスト教は、ユダヤ教の律法主義を批判し、内心で信じるだけで救われると説いた。こうした内心で信じるだけで救われるという考え方は、ユダヤ教にはない。心で信じるだけでなく、行いが求められる。

●信仰告白と祈り
 
 神ヤーウェへの信仰告白は、「シェマ・イスラエル (聞けイスラエル)」を中心とする。「シェマ・イスラエル」とは、『申命記』6章4〜9節にある次の言葉である。
 「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」
 ユダヤ教徒は、この信仰告白を書いた羊皮紙を収めた革の小箱 (テフィリン)を、一つは左上腕に、もう一つは額に巻きつけて、神に祈りを捧げる。
 一日に朝、昼、晩の3度、祈祷をするのを原則とする。平日には、父祖の神の全能と聖名の賛美に始まり、神のシオン帰還とイスラエルの祝福で終わる19項目の祈祷文を唱える。本来は18項目であったことから、シュモネー・エスレー(18祈祷文)と呼ばれる。規律して行われることから、アミダー(立祷)ともいう。
 立祷は、正式には成人男子10人以上の集団 (ミヌヤン)で祈ることになっている。

●安息日と礼拝

 『創世記』は、神が6日間で天地と人間を創造し、7日目に休んだと記している。それに基づいて、ユダヤ教には安息日(シャバット)が設けられている。安息日は、神の恵みの業を思い起こすため、すべての労働を休む神聖な日とされる。金曜日の日没に始まり土曜日の日没に終わる。
安息日ごとに行われる公の礼拝は、律法(モーセ五書) の朗読を中心とする。毎週1区分ずつ朗読して、1年間で読了するよう54区分されている。
 安息日は、礼拝に参加するほか、自分自身を見つめたり、家族と対話したりする日ともなっている。

●祝祭日

 ユダヤ教には、次のような祝祭日がある。新年祭、贖罪日、仮庵の祭、律法の歓喜祭、ハヌカ祭プリム祭、過越の祭り、七週祭などである。
 これらのうち、最も特徴的なのは、過越の祭り(ベサハ)である。この祭りは、モーセがエジプトを脱出しようとするのを許さないエジプトのファラオに怒った神ヤーウェが、エジプト人の初子を皆殺しにした故事による。この時、ユダヤ人の家では難を逃れる目印として、戸口に子羊の血を塗った。神はその家を過ぎ越したので、ユダヤ人は天罰を免れた。この祭りは、ユダヤ人は神に選ばれた民であることを確認し、子孫に伝える儀礼となっている。

●人生儀礼

 男子は生後8日目に割礼を受け、同時に命名される。これは、新生児が原初のアブラハム契約に参加してユダヤ人共同体の一員になったことを示す儀式とされる。
 少年は13歳で成人式(バル・ミツバー)を行い、戒律を守る義務を負う。バル・ミツバーは「戒律の子」を意味する。成人を迎えると、完全に大人と同様と扱われる。

●清め

 ユダヤ教には、穢れを忌み嫌い、穢れを祓う清めの思想と儀礼がある。死体に接した者、月経や出産後の女性は、ミクベ(沐浴場)で首まで水につかって、身を清める。

 次回に続く。
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