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2017年02月06日10:05

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ユダヤ9〜実在観・世界観・人間観

●実在観〜実在は唯一の神

 ユダヤ教の実在観は、唯一の神を実在とするものである。この神ヤーウェは、人格的、一元的で人間に親近的である。神ヤーウェは、「わたしはある。わたしはあるという者だ」(『出エジプト記』3章14節)と述べる。ここで「ある」とは、真の実在であることを示唆する。「ある」という神の規定は、神を有(存在)とし、有(存在)を神とする西洋思想の元になっている。
 ユダヤ教は、一元的なものが多様に現れているとし、一元的なもののみを実在とする。それがセム系一神教の基本的な論理となっている。

●世界観〜神による天地創造

 ユダヤ教の世界観は、実在としての神によって、世界が創造されたという考え方に立つ。神すなわち創造主が初めに存在し、世界は神の意志で無から造られたとする。さらに動植物などの万物も神の働きで造られたとする。世界や万物の起源に関するこのような考え方を創造論という。ユダヤ教の創造論は、キリスト教、イスラーム教にも受け継がれた。
 『創世記』1章1節から2章3節にかけて、天地創造が概略次のように描かれている。
 初めの日に、神は天と地を創造した。地は混沌とし、水面は闇に覆われ、聖霊がうごめいていた。神は光を生み出し、昼と夜とを分けた。2日目に神は、水を上と下とに分け、天を造った。3日目には大地と海とを分け、植物を創った。4日目には日と月と星が創られた。5日目には水に住む生き物と鳥が創られ、6日目には家畜を含む地の獣・這うものが創られ、海の魚、空の鳥、地の全ての獣・這うものを治めさせるために人間の男と女が創られた。7日目に神は休んだ。
 天地創造の時期については、紀元前3761年10月7日としている。

●人間観〜神の似像

 ユダヤ教の人間観は、神によって、世界とともに人間もまた創造されたという考え方に立つ。
人間創造については、『創世記』1章26〜30節に、概略次のように記されている。神は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と言った。自分にかたどって人を創造し、男と女を創造した。神は彼らを祝福して言った。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と。また言った。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう」と。
 『創世記』2章7〜9節には、より詳しく次のように記されている。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」。最初の人間アダムの次に女が造られたとし、同2章22〜24節に次のように記されている。「人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。『ついに、これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから』。こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」
 ここでは女にはまだ名がない。後に、アダムはエバと名付けて妻とした。

●原罪と楽園追放

 ユダヤ教の人間観において特徴的なのは、原罪と楽園追放の思想である。
 神によって創造されたアダムと女は、罪を犯し、楽園から追放されたとする。『創世記』3章1〜6章に概略次のように記されている。
 「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。『園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか』。女は蛇に答えた。『わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです』。蛇は女に言った。『決して死ぬことはない』。女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。」
 アダムと女の行為は、神の知るところとなる。続いて、3章8〜24節に概略次のように記されている。「その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。『どこにいるのか』。アダムは答えた。『あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました』。主なる神は女に向かって言われた。『何ということをしたのか』。女は答えた。『蛇がだましたので、食べてしまいました』。
 神はアダムに言われた。『お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く』。神は女に向かって言われた。『お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前を支配する』。神はアダムに向かって言われた。『お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ』。
 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。神はこうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。」
 『創世記』4章では、アダムとエバの間には、カイン、アベル、セトが生まれたことが記され、続いて子孫の物語が綴られていく。
 上記のように、ユダヤ教では、人間は神ヤーウェが神に似せて創造したものであるとする。神は土くれから、最初の人間アダムを創造した。次にアダムの肋骨からエバを造った。神の似像として造られた人間は、他の生物とは異なる存在であり、地上のすべての種を支配すべきものとされる。
 神は、自らの意志によって天地万物や人間を創造する自由を持つ。人間が神に似るということは、人間にも意志の自由が与えられているということを意味する。自由は、人間における神に似た要素として最も価値あるものであるとともに、また神への背反の原因ともなりうるものである。
年老いた蛇に唆されたエバは、禁断の知恵の実を食べた。そのために、人間は神に罰せられ、エデンの楽園から追放された。それゆえ、人間は原罪を負っている。原罪によって、人間は互いに敵意を抱き、男には食べ物を得るための労働、女には産みの苦しみが課せられたとする。
 こうしたユダヤ教の人間観には、自由の肯定と知恵の発達による禍、人間の尊厳と原罪という相反する要素の認識が見られる。そこには、人間に対する深い洞察が見られる。
 もう一つ、原罪の結果と考えられているのが、人間の死である。神の命令に逆らった罪に対する罰として、人間は死すべきものとなった。原罪によって、人間はみな死に、土に還る定めを負ったと理解する。このことは、人類が知恵を持つことによって、死を意識するようになり、また死を意識することによって、生きることの意味を問うようになったことを象徴的に表しているものだろう。ただし、ユダヤ教は、死を以って終わりとせず、この世の終りに、すべての死者はよみがえり、生前の行為に応じて最後の審判を受けるとしている。この点については、後に最後の審判、死生観の項目で述べる。
 ユダヤ教では、先に書いたように人間は神によって神の似像として創造され、神から自然を支配し、これを利用することを使命として与えられていると考える。同時に、この項目に書いたように、人間は自らの過ちにより原罪を負っており、そのために争い、労働と産みの苦しみ、そして死を免れないと考える。これがユダヤ教の人間観の主要な内容である。また、この人間観がユダヤ的価値観の根底にあるものとなっている。

 次回に続く。
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