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2016年12月06日09:38

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時代を越えて(121) 「保育園落ちた。日本死ね。」とトランプ現象の波及

 読売新聞「人生相談」で、恋人の男性が「田舎は嫌いだ。君の故郷には近づきたくもない」と言う。他の面は好きなのに、そう言われるといつもケンカになる。という相談があった。回答者は土肥幸代という弁護士だったが、「それが何故問題なのか分からない。あなたの故郷の人が嫌いなわけでなく、地域が嫌いだと言っているだけでしょう。広い心で接したらどうか。」という回答だった。

 これを読んで流行語大賞「日本死ね」とトランプ現象が私の中でつながった。

 私自身は京都の出身であるが、若い頃は寺や神社に関心もなく、歴史は好きだったが世界史の方だったし、京都には何の愛着もなかった。好きでも嫌いでもなく、どうでもよかったのである。だから、知人から、京都観光に行って客への横柄な態度に会って、すっかり京都が嫌いになったと言われて、そういうこともあるだろうな、あの京都だからと納得したこともあった。
 一方、北海道出身の同僚が、いつも郷里への愛着を語り、それに比べてこの広島県(就職先)の暑いこと、ゴキブリが飛んでいる。おまけに道の狭いこと、などとこぼしていたが、私は、それほど故郷を愛せるのか、北海道だからなのか、これこそ郷土愛と言うものかと目を開かれた思いがしていた。

 ということで、土肥弁護士の「故郷を嫌いと言われて何が問題か」という回答にはあぜんとしたのである。それに地域と住む人を分離できると考えている。この弁護士には「郷土愛」というものが分からないのだろう。弁護士と言う職業は、法律から出発する典型的な「演繹型」思考の持ち主が多いのかもしれない。何が要素になっているのか分からない「郷土愛」なるものには近づきたくもないのだろう。

 で、「日本死ね」の問題であるが、ネットやツイッターでは大きく取り上げられている。賛成派は、待機児童の問題を世に知らしめたことが大事であって、「日本死ね」と言う言葉はその深刻さを表現した「比喩」(社会学者の憲寿)であるとする。
 それに対して、反対派は、だったら流行語大賞は「待機児童」でよい。「死ね」という言葉を使ってよいのか。現にこどものいじめで大問題になっているではないか。流行語大賞として学校や家庭で子供に説明できるのか、とする。
 これは比喩で、日本人へのテロ教唆ではなく、日本政府を代表する安部首相死ねという意味でもないというのなら、世界中で日本をディスる「韓国死ね」も主宰者の「ユーキャン死ね」もよいのか、と反論している。それに待機児童問題が深刻なのは東京都であって、この言葉をブログ(今はないらしい)で発信したとされる人も東京在住である。だから、正確には「東京死ね」というべきで、他の地域に住む日本人には罪はない、との反論もある。
 ということで、いくらインパクトがあるからといって、しかも特段流行したわけでもなく、事後ではあるが世論調査でも支持されない問題ある言葉を選んでよいのか、と思われるのだが、ここで問題は自分の国を「死ね」と言っていいのかということである。
 ここまで来てやっと今日の人生相談と接点ができたのであるが、土肥弁護士のように郷土愛も日本がなくても困らない人が一定程度存在するようである。
 で、それはリベラル国際人(トッドの新書を立ち読みしていたら、ネオリベラルと言うらしい)のキャラクターと一致する。

 そこからトランプ現象に相対するのであるが、郷土や自分の国への愛着のない国際人という知識人階層が進めてきたアメリカのグローバリズムやEUの移民政策などへの反動がトランプ現象、いわゆる極右運動だった。今、イタリアにも広がり、オーストリアにも半数近くを占めているらしい。だとしたら、もう「極右」と言うべきではないだろう。この言葉には、存在を許される右派の境界を越えた異端という意味が感じられる。ファシストやヒトラー主義者の生まれ変わりの意味を含ませたいのだろうが、そうではない。エマニュエル・トッドなどのいうグローバリズム疲れ症候群なのである。
 さらに言うなら、グローバリズムは郷土愛、人種、宗教の違いによる差別を認めない。ただ、エリートと非エリートの違いだけがある。なぜなら、エリート知識人は人種に関係なく存在し、グローバル企業や国際機関で活躍している。彼らの間で差別などがあるとたちまちコミニュケーションが途絶してしまうだろう。
 逆に、たとえばアフリカの現地人非エリートとのコミニュケーションがとれなくても何の問題も起きない(もっとも、現地人との付き合いのある商社マンなどには現地人嫌いがいたと思もわれる)。無論、自国内でも同じである。ヨーロッパに広がりつつあるトランプ現象はまさしく大衆の反乱と言ってよいだろう。

 昔々だが、朝日新聞でフランス探検だったか、そのようなルポルタージュ企画があった。日本人はフランス人と言うとパリを思い出すが、フランスの田舎にはパリと縁のない不可解な伝統的生活があること、だから、探検はアフリカだけでするものではない、というのであった。
 まさに、アメリカやヨーロッパの田舎の反乱に違いない。

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