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2016年11月28日08:54

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人権381〜経済的権利の歴史的な拡大

●経済的権利の歴史的な拡大

 経済的権利を思想史的に見ると、まずロックが17世紀に資本主義的な所有権を基礎づけた。ロックは身体を自由な個人の所有物とし、身体的労働による生産物を所有する権利を自然権として正当化した。これによって、近代西欧社会では、所有権を基礎とした財産の自由、契約の自由、営業の自由等の経済的権利が確立された。生まれながらに平等な権利を持つ自由で独立した個人という人間観は、ロックに多くを負っており、近代資本主義社会における市場・所有・契約に関する経済的な権利を持つ個人である。普遍的・生得的な人権を唱えたロックが、同時に近代資本主義社会における経済的権利を理論づけたところに、人権という概念の特殊近代西欧的な性格が表れている。
 ロックの思想を受けてアダム・スミスが、資本主義の経済理論となる古典派経済学の礎をすえた。彼の政治経済学的な主著『国富論』は1776年、アメリカ独立宣言発布の年に刊行された。スミス以後の経済学は、自由競争による市場の論理を正当化した。それによって、欧米において資本主義は大きく発達した。だが、欧米諸国における国民の経済的繁栄と個人の権利の拡大は、非西洋文明の諸社会を植民地としたことで可能になった。有色人種の権利を剥奪し、帝国の中核部が周辺部を支配・収奪する構造の上に実現したものだった。
 イギリスでは『国富論』の出た1770年代から、産業革命が始まった。1830年代にかけて、動力・エネルギー・交通の革命が連動的に起こった。それによって資本主義は飛躍的に発達した。機械制大工業は、労働者を劣悪な労働条件下に置き、社会における経済的な格差が広がった。これに対し、マルクスは生産手段の私有が階級分化を生んだとして私有制を否定する共産主義を説いた。共産主義は、人権はブルジョワ的な観念だとして否定し、階級闘争を説いた。今日、左翼の政党や市民団体は、普遍的な人権を説くが、これは元祖マルクスの理論に反している。
 20世紀初頭以降、市場の機構が理論通りに作動しなかったり、作動の仕方や結果が著しく公正を欠いたりする事態が生じた。そのため、近代法は修正を迫られることになった。それによって、現代法の基本的な考え方が発達した。現代法では、政府は市場に一定の介入を行うべきものとし、国民が政府に給付を請求する権利を認める。
 この変化には、ロシア革命の影響がある。ロシアで史上初めて共産主義革命が成功し、ソ連共産党は革命を輸出する活動を展開した。自由主義諸国は共産化を防止するため、さまざまな政策を講じた。イギリスでは、ケインズが1920年代から深刻化した失業の問題に取り組み、有効需要の創出による完全雇用をめざし、国民経済の発展によって自由と道徳を確保する理論を展開した。そこから福祉国家観が登場した。それまで、西欧では政府の役割は、国防と治安の維持だけでよい、経済については自由放任で、市場の機能に任せたほうがよいという夜警国家観が主だった。だが、福祉国家観のもとで、政府は国民の生活の安定と福祉の確保を主要な目標とし、積極的に社会経済政策を行うものに変わった。労働者の権利が保護され、労働条件の改善や勤労権、争議権、政府への給付請求権等の経済的権利が社会権として発達した。
 共産主義の旧ソ連・東欧では、労働者は共産党官僚に支配され、自由と権利を制限された。1980年代から民主化を求める運動が起こり、ソ連・東欧の共産党政権は崩壊した。20世紀の世界を揺るがした共産主義は、近代西欧的な自由と権利に関して言えば、それらの後退でしかなかった。
 自由主義諸国で発達した経済的権利は、その国の「国民の権利」であって、人間が生まれながらに持つ権利ではない。すなわち、普遍的・生得的な人権ではない。だが、それらの権利は「人間らしさ」を維持する権利として追及されており、「人間的な権利」という意味では人権と呼ぶことができる。「人間らしい」とか「人間的な」という観念は、集団的及び個人的な人格的成長・発展の程度や社会の持つ価値観、経済・社会・文化・文明の発達度合によって異なる。「人間らしい」「人間的な」の基準は、その国家における国民の常識による。それゆえ、「人間的な権利」は「国民の権利」として追及され、実現されてきたものである。そして、権利を実現した国民は、他国民に対して、その実現を奨励し、支援・助力すべきものである。ただし、本当にすべての人間が生まれながらに平等であり、また現実において平等でなければならないと考えるならば、豊かな国の国民は貧しい国の国民に対して、互いが同じ水準になるまで、富を分かち与えなければならない。だが、そのような実践をしている国は、一つもない。また、国際連合は人権の理念を高々と掲げ、大多数の国々が国際人権条約を締結しているが、豊かな国の国民が貧しい国の国民に対して、互いが同じ水準になるまで、富を分かち与えねばならない、とはしていない。それゆえ、経済的権利は「人間の権利」としてではなく「国民の権利」として発達してきたものであり、「人間が生まれながらに平等に持つ権利」としてではなく、その社会が「人間的な」と考える権利として発達してきたのである。

 次回に続く。

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